プリファ計画

七乃瀬 雪将

プロローグ

 ルール――規則、規制を意味する言葉。


 法律、校則、利用規約、その他……社会生活、集団行動において遵守されなければならない決まりごと。


 法律や規則があるからこそ、人々は決まりを守って生活し、時には窮屈に感じることこそあれど、快適な暮らし、平和な日常が実現している。


 規則は、人々の快適な生活において守らなくてはならない。これが当然であり、大抵の人は意識せずともその理に則って生活している。


 しかし、遵守されるべき規則とは、基本、各個人の意思に委ねられる。


 いくら法を定めたところで、個人個人が自由の意思を持つ限り、全ての人間を規制することなど出来やしない。法とは意思を持つ人間の自由を奪う決まりごとでもあるからだ。


 ルールが守られないと、迷惑を被る者が出てくる。不快な思いをする者がいる。

 同じ種族であり、共に未来を歩んでいくはずの「人」が同じ「人」を無意味に傷つけるなど、まったくもって不毛だ。


 なぜ、決して難しいことではないはずなのに、人はルールを犯すのか。

 他者に迷惑がかかるというのは明らかなはずなのに、モラルを守らないのか。

 自分勝手な人間が多いのは、なぜなのか……。



 他人の迷惑になることを素知らぬ顔で行うような、モラルが欠如した人間は……この社会に必要だろうか。


 *


「T大前~。お降りの方はお忘れ物の……」


 電車のアナウンスが響き、電車が停車。扉が開く。


 ドア前に立っていた数人は降りる者を優先するように道を開け、空いた道を通って乗客が降りていく。都会ほど多くはないが、それでも少なくない乗客が列に並んでいた。


 そこへ、一人の男が人の流れに逆らって乗車した。細身で無精ひげを生やし、ラフな白のロンティーとジーパン姿の男は、イヤホンを耳に装着しながらずいずいと降りる乗客を避けて、空いている席に座る。並んでいた乗客の中には顔をしかめる者もいたが、やがて、何事もなかったかのように自分の席を見つけては座っていく。


「次は~西K町~。西K町~」


 電車は発車し、繰り返しのアナウンスを流す。車両を揺らして音を立てながら、前に進む。

 ラフで細身な男は、座りながら耳につけられたイヤホンの音量操作キーを使用し、音量を上げる。今は電車が動いている。止まっていた時よりも列車の走る音が大きくなったのは事実だ。


 左隣に座っていた小太りのサラリーマンが顔をしかめ、右隣に座っていたセーラー服の女子高生もチラッと左隣を見ては何かを気にする素振りをする。どちらも気にする人物はただ一人。隣に座っているラフな格好をした細身の男性だ。

 電車内の人たちも一瞬気にする様子を見せるも、我関せずを貫き、気づいていないフリをする。


 細身の男性自身も、そんな二人からの視線などお構いなしにスマホゲームに夢中だ。自分が迷惑をかけているという自覚すらない。依然として音漏れは続いている。


「すみません。音量、小さくしてもらえませんか?」


 少しして、左隣に座っていた小太りのサラリーマン男性が遠慮気味に声をかける。電車内の他の乗客への配慮なのか、声は小さめだ。


 しかし、細身の男性はその声に気づかず依然としてスマホ画面を見続ける。


「あの……すみません」


 小太りの男性が細身の男性の肩を軽く叩くとようやく、細身の男性はそれに気づいた。イヤホンを外すと、先程の音漏れよりも大きな音楽が車内に流れる。


「はい?」

「音量、小さくしてもらっていいですか? 音が漏れているので」

「あぁ……」


 細身の男性は面白くなさそうに顔をそらすと、しぶしぶイヤホンの音量操作キーを使用して音を小さくする。


「ちっ」


 ほんの小さいものだったが、細身の男性から不機嫌な舌打ち音がする。当然、隣にいた小太り男性と女子高生には聞こえている。しかし、二人はそれ以上事を荒げたくなかったため、それを指摘することはしなかった。音量が小さくなったのならそれでいい。


 しかし、電車がスピードを上げ、電車の移動音が大きくなると、細身の男性は再びイヤホンに手を伸ばし、音量を操作する。イヤホンから聞こえる音漏れは大きくなった。先程の注意など、まるでなかったかのように、細身の男性は変わらない調子でスマホゲームに没頭する。


 ――いらないな。これは。


 その瞬間、細身の男性の耳「だけに」それまで聞いていた音楽の爆音が響き、耳から血しぶきがあがった。


 白のイヤホンを赤く染める。男性は耳から血をドバドバと出しながら、車内の中央にばたりと倒れた。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 隣に座っていた女子高生を筆頭に、乗客からの悲鳴が電車内に響いた。車内は混乱し、乗客は細身の男性から距離を取るように後ずさりする。


 ――他人の迷惑を顧みないからこうなる。


 電車は駅に停車し、救急車で細身の男性が運ばれた。細身の男性はショック死。鼓膜は当然のことながら破れていた。


 ――これでまた一人いなくなった。世の中はもっと良くなる。


 ひとつの人影が、救急車に運ばれていく細身の男性を見て小さく呟いた。

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