第12話 少年の誓い その1


──高熱で倒れたレックスは、走馬灯のようにこれまでのことを思い出す。



 記憶を辿った先に、最初に思い出されるのは怒った表情をした大人達の顔だ。

 娼館の旦那様は一度たりとも自分に本当の笑顔を向けてくれたことは無かったと思う。

 むしろ時おり見せる無感情の笑顔は、畏怖さえ感じた。


 ……たぶん人の顔を覗くのが苦手になったのはそのせいだろう。


 自分はラグダン男爵家で働く侍女の子として生まれたのだが、母親はお産の時に亡くなってしまったそうだ。

 そして母親は他の領地から流れついてきたよそ者で技量を買われて男爵様に雇われたのだが、愛想を振る舞わないことで他の侍女から疎まれていたらしい。

 そんな人の子供だからこそ男爵家の侍女は誰も育てようとせず、自分は厄介者として売り払われたのだろう。


 ……自分は誰にも必要とされないんだ。


 しかし何を間違えたのか、娼館の使いの者が女の子と勘違いし買ったそうで、自分は買われた先でも厄介者として扱われた。

 それでも仕事柄に親の分からない子供が多く一人増えても変わらないという理由から、野に捨てられることなく育ててくれた。

 なのでどれだけ暴力を振るわれようとも、これまで自分が生きてこれたのは間違いなく彼らのお陰なので、感謝こそすれど恨むことはない。


 ……生きていることこそ幸せだったのだ。


 記憶が定かになる頃には子供ながらに恩を返すべく、言われたことは全て頷き必至に働いてきた。

 良い思い出など殆ど無く嫌なことばかりではあったが、生きるためには働く以外の選択しか無い。

 だからこそ何でもこなしてきたのだが、それでもあの日の自分は逃げ出してしまった。


 ……男に自分の体を売ることが出来なかったのだ。


 それまでは何でもする覚悟が出来ていると自分の中では思っていたし体を売ることも厭わないと思っていた。

 それでも、いざそうなるかも知れないと聞いた自分はその場から逃げ出してしまっていたのだ。

 自分は覚悟が出来ていると思っていたのだが心の中ではまわりの大人と同じような、心の通わない死んだ目で笑顔を振り撒くようにはなりたく無かったのかもしれない。


 ……自分の覚悟などその程度だったのだ。


 逃げ出してしまったが当然のように頼れる場所などは無い。

 持ち物も僅かばかりの所持金と、手首に巻かれた母親からの唯一の形見である組紐だけだ。

 なのでせっかく手に入れた自由なのだが、手に職を持たない自分が生きていくには世の中は厳しすぎた。


 ……世界に拒絶されている。


 追っ手がくるのを恐れ、何度となく町を移り逃げるなかで、自分を受け入れてくれる人はどこにも居なかった。

 そしてフラフラになりながらたどり着いたこのヴィエンヌという町で意識が朦朧とし、目の前にあった食べ物をつい手にとってしまったのだ。

 そしてボロボロの服をした自分の見た目はどうみてもお金を持たぬ浮浪者であり、店主に怒鳴りつけられ逃げ出してしまったのだが、その手には美味しそうな匂いを放つ肉を持ったままだった。


 ……これはまずいと思ったが、もう既に後戻りすることは出来なかった──完全に盗人だと思われてしまったのだ。


 店主は怒り狂って包丁を持って追いかけて来たので殺されまいと必至に逃げ出し、幾つもの建物の間を通り抜け狭い壁と壁の間に入り隠れた。

 手に持っていたものはいつの間にか無くなり満たされぬ腹を押さえつけうずくまると、もうその場からは動けなくなってしまう。


 ……このまま死んでいくんだな。


 そう思い初めてからどれくらい時間がたっただろうか。

 突然、背後から話しかけられたのだ。

 

『大丈夫?』


 その時は既に誰が何を言っているのか分からないほどの状態だったので、ただひたすらに謝った。


『ひっ! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』


 先ほどの店主かも知れないので、何かしらの危害を加えられることを覚悟したのだが、そんなことは何も起こらなかった。

 そーっと目を開けて見ると、そこにいたのは怯えながらも心配そうにこちらを見つめる女性であった。


 ……怖いのであれば話しかけなければ良いだけなのに、彼女はむしろ僕の心配をしてくれる。


 手に持つラクスの果実を与えてくれた彼女の表情はコロコロと変わり、汚れを知らぬその瞳はこれまでの大人の中にはいなかったので見とれてしまった。

 そして自分の身の上話などするつもりは無かったのに、何故か聞かれたことを素直に話してしまい、いつの間にか心を許してしまっているのだ。


 ……この女性は何者なのだろう。


 しかしこのままこの人と一緒にいて先ほどの店主に見つかったならば、共犯として彼女まで罰せられかねない。

 そんなことになってしまえば、自分の中の事を許せないだろう。

 なのでお礼を告げて、その場から立ち去ろうとしたのだが、いきなり視界が歪んでしまう。

 そして心配をしてくれる彼女を余所に、自分の意識は遠ざかって行ってしまった。

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