人間は内面
倉田日高
人間は内面
透明な分厚い壁の向こう、暖色の光に包まれた清潔なフロアには、ピンク色の服をまとった人々が立ち働いている。それぞれの帽子には赤い十字が縫い付けられていた。
「ねぇパパ、あれが赤ちゃんなの?」
少年は窓の向こう、無数に並んだカプセルを指さす。彼の視線の先には、カプセルの中で健やかに呼吸を繰り返す小さな命があった。
柔らかく脆弱な肌と細い髪の毛、微かに上下する膨らんだ腹がその生を示す。手足も短くごくごく頼りなげな乳児は、しかし満ち足りた笑顔で眠っていた。
「もっと近くで見たいなあ」
「駄目だよ、赤ちゃんの世話は難しいんだ。だから専門の人たちがこうして働くんだろ?」
父親は諭すようにいい、少年の頭を撫でた。
「でも学校の友達に、赤ちゃんと一緒に暮らしてるって子がいるよ?
ぼくも赤ちゃんと暮らしてみたい」
それは深く考えられた訳でもない言葉だった。父親は髭もなくつるりとした感触の顎を撫で、少しの間考える。
「……もう一人子どもも、いいかもしれないな」
「うん!」
少年は窓に額を貼り付けるようにして乳児の並ぶカプセル室を見つめていた。
数ヶ月が経ち、少年は自分が兄となったことを知らされた。
「赤ちゃんはまだカプセルに入ってるんだ。しばらくしたら、家に来ても大丈夫になるからね」
父親の言葉に、少年は無邪気に顔を火照らせた。
自分と同じ生き物とは思えないような繊細な命。これから一緒に暮らすのか。
彼はやってくる弟のために部屋を片付け、あげられそうなおもちゃを選び、会わせるべき友達を考える。
一週間後の休日、両親が病院を訪れた。
母親が赤ん坊を毛布にくるみ、少年の部屋に入ってきた。
「赤ちゃん!?」
少年は興奮を隠しきれず、幼い声を跳ねさせた。
「うん、今は起きてるけど、あんまり大きな声を出さないであげてね」
母親は囁くように告げる。少年は何度も首を縦に振った。
「赤ちゃん、お兄ちゃんですよー」
少年が見守る中、母親は優しく語りかけながら幼児のブランケットをめくる。
最初に見えたのは発光する瞳。次に金属質の頭皮とナイロンの髪が覗き、そして脈拍にあわせて明滅する胸部のライトが現れる。
少年は言葉を失ってその弟を見つめた。
「……赤ちゃんは?」
「赤ちゃんだよ。お兄ちゃんになったんだから、お兄ちゃんらしくお世話してあげてね」
母親は耳に快い波長で合成された声を発する。同時に感情を示すように目のライトを点滅させた。
少年は微かな駆動音とともに指先をあげ、鋼鉄の頬をかいた。
「……赤ちゃんじゃない」
「いいえ、私たちの子どもで、あなたの弟よ。ちゃんと管理所の皆さんが育てて、脳を移し替えたところもちゃんと見たんだから」
母親はいとおしげに赤ん坊の体を撫でた。金属の肌が触れ合うと、微かに硬質の音を奏でる。
「間違いなく、私たちの遺伝子を分け合った愛しの息子なんだから。この子の笑顔、お父さんにそっくりじゃない?」
彼女の脇腹をくすぐるような手つきに、赤ん坊は笑い声を上げた。赤ん坊のそれに似せられた声は、高まるにつれて僅かに軋んだ。
人間は内面 倉田日高 @kachi_kudahara
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