邪神戦姫
濁酒三十六
第1話不思議な本と不思議な幼女
水池蓮魅は悪夢に魘されていた。深い深い海の底へと沈み込み、虚ろな意識の中で地の底から響く不気味で…優しげな声が彼女の頭の中に届いていた。
……ハ…ミ…………スミ……………ス…………ミ………ハスミ…………
意識はあやふやなのにその声はハッキリと感じ取れ…蓮魅はゆっくりと瞼を開き夢より目を覚ました。時間は5時59分…。蒸し暑い部屋、時季は初夏。今年は猛暑が予測されていてこの梅雨もジメジメとし、朝は下着が汗で湿って気持ち悪い寝起きとなった。
部屋の窓を開けると外はシトシトと雨が少なからず降っており蓮魅は小さな溜め息を吐く。エアコンの除湿をつけて風呂場へと向かい、スポーツブラとパンツを脱いで洗濯機へと入れ、温かいお湯でシャワーを浴びて汗を流した。
バスタオルでショートボブの髪を拭きながら全裸で風呂場から出てきた蓮魅は箪笥から新しい下着を出して身に付け、また雨降りの外を閉めた窓越しに見つめながら朝みた悪夢を思い返していた。
水地蓮魅は幼い頃はそれなりに裕福な家庭であったが七歳の時に旅客船事故で両親を失い自身も沈み逝く船と両親と共に死ぬ筈であった。しかし荒れ狂う海の深淵に沈む中で不思議な声を聴き、気付いた時はアメリカの廃れた町の海岸に打ち上げられていたのである。
蓮魅はふと思い出した様に本棚から一冊の古びた厚い本を取り出した。
「ええ!?」
取り出した本の表紙がベチョリと濡れていて蓮魅はビックリして本を右足の甲に落とした。
「ィイイッタアアッ!!」
本は角から落ち、思わず悲鳴を上げてしまう彼女。直ぐに口を噤んでお隣の部屋に聴こえてしまわなかったかと息を潜める。
…どうやら大丈夫な様ではあるが蓮魅の部屋は八世帯のアパート一階右端で余り防音効果がなく大声を出してしまえばお隣と二階真上の住人に聴こえてしまうのである。過去2~3回トラブルになった事がある。…とは言え蓮魅も静かな方が好きなので決してご近所付き合いは悪い訳ではない。慣れてしまえばアパートの人達も悪い人ではないのだ。そんなこんなで二年程をこのアパートで一人暮らしを彼女はしているのであった。
濡れていた本隣を触り…やはり濡れてしまっているのを確認して顔をしかめると、その二冊を適当に開いてガラステーブルに置いて乾かした。そしてもう一冊の元凶である分厚い本を広い厳めしい顔付きで睨んだ。
「全く、何であの時こんな本をわたし持ってたのかしら?」
実はこの厚い本はアメリカの海岸で発見された際に幼い彼女が大切に抱き締めていたそうなのだ。蓮魅はこんな汚い本を持っていた記憶はなく、旅行時に手に入れた訳でもないし中を見たが意味が解らない絵や文字が連なっており、解読にも興味がないので手放そうと古本屋等に売ったりしたがどういう訳か手元に戻っているのである。さすがに気味悪く思ったのだが特に害はなかったのでそのまま置いておく事とした。しかし今までは今日の様に異常な湿り気を滲ませるなんて事はなかった為、蓮魅は束ねておいた古雑誌の上に放り投げ、後日棄てる事にした。
「さて、朝ごはん食べて学校行くかな。」
そう言って蓮魅は食パン1斤六枚切を用意し、冷蔵庫から納豆を出して皿の上に食パンを一枚皿の上に置くとパンの上にといた納豆をかけて食べ始めた。
私立の高校に通う蓮魅は二年生である。部活はしておらず下校時間は早い。今日もいつも通りに登校しホームルームまで仲間達と他愛もない話をして授業は適当に受け下校時間は特に学校に用はないので帰り支度をして帰宅……。
「はすみーっ!」
…と、自分を呼ぶ声がしたので学生鞄を担いで振り向いた。
「なーに、奈江?」
蓮魅は声の主の名を呼び、主はその整った中性的な顔で“にかっ”と笑った。彼女の名前は田口奈江、蓮魅とは小学校四年生の時に同級となり、ある出来事から連む様になった親友である。そして高校も同じクラスで正に腐れ縁とも言えぬ事もない。容姿は男子と見間違う程の短髪でスカートを穿いていなければイケメンに間違われる程で男女共に人気が高い上に時折蓮魅も見惚れる事があった。
「今日暇?“オレ”今日部活ないから暇なんだ。だからカラオケ行かないかカラオケ?」
「カラオケはパス。もう冷蔵庫空だから買い出しするの。」
「んじゃオレも付き合う!」
「ただ飯にありつく気か、“オレっ娘”?」
「どうせ素麺と惣菜天ぷらだろ?」
「…金払え。」
そんなこんなとガールズトークに花を開かせ、二人はケラケラと笑い下校。商店街へと足を伸ばすのであった。
町にあるアーケード街、雨は降ってはいないが空は隙間なく雲に覆われて気持ちが幾分か沈む感覚を行き交う人々は感じて気だるそうに重い足を運んでいた。
然程多くはない歩行者の足元の合間を小さな影がチョコマカと走り抜けた。目撃者からは2~3歳くらいで真っ黒い髪ふわふわヘアで浅黒い肌をして白いワンピースを着た幼女に見え、何処を目指しているのか右へ行き左へ行き、時にケーキ屋へ突入して指を咥え涎を垂らしながらガラスケースを見つめ、店を出たらまた出鱈目に駆け走り和菓子専門店へと突入、ガラスケース越しの羊羮やどら焼きをじーっと物欲しそうに見つめると苦笑いをした店員のおばさんにどら焼きを頂いた。
「“くてぃら”っ!」
幼女は笑顔の店員に満面の笑顔を見せて喜びを表し手を振って出て行くとどら焼きを走っている間に食べきり、今度はスーパーに突入して食品売り場を物色、指を咥えて涎を垂らした。じーっと視線をお菓子棚を端から端へ流していき通路までいった途端、幼女のクリッとさした大きな目が見開いて瞳を輝かせた。
「“かか”っ!!」
突然甲高く声を上げたかと思いきや、店内で駆け出し二人の女子高生に向かって突進。ショートボブの女学生の腹に加減なくタックル…否、人間魚雷を決めた。
「ウボフッ!?」
「“蓮魅”!!」
傍らにいた田口奈江が驚いて相方の名前を叫び、店内は何事かと彼女達に注目した。
押し倒された水池蓮魅は倒された際に後頭部を打ってか完全に大の字になって気絶しており、謎の幼女は蓮魅の上に乗っかって嬉しげに胸元に頬擦りをしている。奈江はオロオロと集まる野次馬にビビりながらふわふわ黒髪ヘアの浅褐色幼女を昏倒している蓮魅から引き剥がし抱き抱えた。
「かか、かか、う~、やーう、やーうっ!」
幼女は暴れて奈江から逃げると今度は昏倒中の蓮魅の右腕を枕にして寄り添い寝っ転がってしまった。
「か~か♪」
奈江には目の前の状況がさっぱり理解出来ず、取り敢えず警察を呼んで待つ事にするのであった。
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