振り向いて、名前を呼んで。
斉木 緋冴。
軽い気持ちで受けた面接
某ファーストフード店でアルバイトするのが、密かな夢だった。
バイト先で、イケメンの彼氏とか出来ちゃったりして。
そんな淡い夢を抱く、あたし、高校一年生。
文化部の幽霊部員の行き先なんて、予備校かバイト先くらいしか、思い付かなくて。
友達何人かで、軽い気持ちで受けた面接で、あたしだけ受かってしまった。
友達には悪いけど、「高校一年生」と「ファーストフード店のアルバイト」の、二足の草鞋を履くことにした。
バイト初日、店長の後をついて店の中を見たり、先輩たちにあいさつをしたりした後、教育係に任命されたという、宇木博人さんに、紹介された。
身長は、多分180センチくらいで、細マッチョかな。
軽くワックスで整えた濃い茶色の髪。
人懐こそうな茶色の瞳を、三日月の形に細めてる。
肝心の顔は……中の上?
「イケメン!」って感じでは、ない。
びっくりするくらいの出会いを期待してたあたしは、ちょびっと、がっかり。
そんなあたしの心の中など知らない宇木さんは、
「よろしく」
と言って、律儀に会釈をしてくれた。
慌ててあたしも、
「よろしくお願いします!」
と、会釈をする。
「元気良くていいね」
と、誉められて、ちょっと照れくさかった。
バイトは、まずは雑用と、レジ業務が主だった。
慣れるまでが大変だったけど、手順やパターンを覚えれば、あたしでも役に立てた。
最初は、宇木さんに助けてもらったり、手伝ってもらったりしていたけど、三か月の試用期間が終わる頃には、何とか独り立ちの合格点をもらえるかも知れないくらいになった。
けれど、ある日。
「なんだよ、つかえねぇ姉ちゃんだな! 他のヤツよこせよ!」
注文を変えたり、取り消したりを繰り返した中年男性のお客様が、もたついていたあたしに向かって、怒鳴った。
人気は少ないけれど、ない訳ではないレジ前で、真っ赤な顔をして、大声でどなり散らして、更にカウンターをどんどんと叩く、お客様。
あたしは恐怖さえ感じて、余計に手が震えてしまって、何度も打ち間違いをしてしまっていた。
半べそ状態になって、パニックになっているところに。
とん、と、頭の後ろを軽く叩かれる感じがした。
え?
「申し訳ございません、お客様。他のお客様のご迷惑にもなりますので、お声を抑えて頂けますか」
と、宇木さんがあたしを優しく押しのけて、まだ何か怒鳴っているお客様に、極めて落ち着いた低い声で、ゆっくりと話しかけた。
体全体で、あたしをかばうような形になった宇木さんの肩の向こうに、目を白黒させているお客様が見える。
「こちらの不手際で、お客様に不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。反省させ、このようなことが繰り返し起こらないように、注意していきますので、どうかご容赦頂けないでしょうか」
宇木さんは、一つ一つの言葉を噛んで含めるように、さらに低く落ち着いた声で話しかけ、次いで、深く頭を下げた。
あたしも、慌てて頭を深く下げる。
隣のレジやバックでは、先輩たちが心配そうにしているのが、ちらっと見えた。
カウンターの向こうで、お客様が戸惑っているのを、空気で感じる。
激昂している自分に対し、こんなに泰然とした態度で返されるとは、思ってもいなかったのだろう。
「ああ」
とか、
「うう」
とか、くぐもった声が聞こえてくる。
すると、頭を下げているあたしの視界で、宇木さんの手がすっと動いて、体を起こすのが分かった。
あたしも、一瞬遅れて、頭を上げる。
「改めて、ご注文を承ります。本日は、Aセットがお勧めですが、いかがですか?」
宇木さんは、あたしが打ち間違ってしまったオーダーを、片手でピッピッとレジを操作して、すべて取り消しつつ、大人しくなったお客様の目を真っ直ぐ見て、にっこりと微笑んだ。
流石に、お客様もそれを目の当たりにして、目を丸くしている。
あたしも同様だ。
「お客様?」
すっかり黙ってしまったお客様に、宇木さんが声をかける。
「ああ……いや、その、ああ。……じゃあ、Aセットで」
微笑みに圧倒されたように、お客様はしどろもどろになりながら、注文を変えた。
「ありがとうございます」
また、宇木さんが微笑む気配がした。
あたしはその隣で、目に涙が浮かんでくるのを感じながら、頭を下げた。
結局、怒鳴り散らした中年男性のお客様は、Aセットとサラダを平らげて、帰って行った。
帰り際には、
「また来るわ」
と、少しばつ悪そうに苦笑いしながら、レジでカウンターを拭いていたあたしに、声をかけてくれた。
「ありがとうございました。またお越しください」
と言うと、
「あの兄ちゃんにも、よろしく伝えてな」
と言って、手を振って去って行った。
悪い人じゃなかったんだなと思うと同時に、ちょっと出来るようになったからって、何でもできるように思い上がってたあたし自身に、ものすごくがっかりした。
それから、宇木さんに申し訳なくて、どうにかなりそうだった。
穴があったら入りたいって、こういうことなんだと思った。
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