夢と記録
ぴょん、ぴょん、ぴょん、とユリが跳ねる。黒毛を艶やかに光らせ、体を回転させながら。彼女はリズムカルに暗闇の中で踊る。
たん、たん、たん、と足音がする。ユリの姿はいつのまにか人間の雌になり、豊かな黒髪を靡かせながら優美な踊りを披露する。ふわりと百合の香りがその黒髪から漂ってきて、我輩は思わず灰色の毛を逆立てていた。
「相変わらず、君は跳ねるのが好きだな……」
我輩が苦笑と共に彼女に語りかける。彼女は悪戯っぽく黒い眼を細めてみせた。その眼が金の光をきらりと帯びる。彼女の姿は猫になって、ユリは我輩の前でダンスを披露する。
ぴょん、ぴょん、ぴょん。
4本足でユリが跳ねる。まるで、イエネコのように。
そんなユリに我輩はにゃあっと鳴き声をかけていた。
がばりと、我輩は首を起こす。眼前へと顔を向けると、我輩は床に投影された液晶キーボートに手を乗せたままうつ伏せに倒れていた。
ユリから聞いた証言を記録しているうちに、眠ってしまったのだろう。それにしても妙な夢を見たものだ。
ユリが人になって、イエネコになる夢。そんなユリに、我輩は親しげに声をかける。まるで、人になったユリを知っているかのように。
ふわりと鼻孔に花の香りが広がって、我輩はユリに思いを馳せる。
ユリは、前世の記憶を嬉々として話してくれた。
自分が名の知れたバレリーナであったこと。科学者の恋人がいて、彼とは生涯を誓った中であったこと。ハイという雄猫と、クロという雌猫を飼っていたこと。
そして自分は氷河期を生き延びるためにコールドスリープにかけられ、そこから先の記憶がないこと。
「コールドスリープか……」
宙に浮かぶ映像画面を見つめながら、我輩は呟く。画像にはイエネコ語によって私が書き起こしたユリの証言と、ネットにアクセスして得たコールドスリープの情報が映し出されていた。
人間たちが20世紀の終わりから構築してきたネットワークシステムは彼らが文明の最盛期に打ち上げた半永久型の軌道衛星により今でも生き続けている。各自の炬燵コロニーは生体コンピュータにより管理されている。この生体コンピュータは21世紀初頭に開発された魚の死体を使った記憶媒体を応用し、人間の脳をベースに造られている。
それは炬燵システムと呼ばれる。軌道衛星上のネットワークシステムを通じてこの炬燵脳たちは情報をやり取りし、我らが生存できる環境を常に維持してくれる。
自分たちのことを、人間に炬燵で飼われている猫だと揶揄する輩もいる。
だが、我輩は人間たちがイエネコ信仰の使者である我らに下僕として仕えるため、炬燵システムとして生き残る道をとったのだろうと推察している。
むろん、我輩と同じ解釈をする猫人が大半だ。
「また、巡り会える……」
澄んだ雌猫の声がして、我輩はそちらへと振り返る。欄干に身を預けたユリが、クリップで纏められた資料を見つめていた。
――ヒトモドリの記録
そう記された資料をじっとユリは読んでいる。彼女の眼は真剣さを帯び、興奮に黒い瞳孔が開く。
「何か興味深い記述でもあったかい?」
我輩の言葉にユリはぴくりと形のよい耳を動かした。耳を吾輩の方へと向け、ユリは金の眼を我輩に向けてきた。
「本当に、ここは人間の絶滅した世界なのね。なのになんで、私たちは猫になってここにいるのかな?」
金の眼が悲しげに伏せられる。彼女はそっと持っていた資料を床において、言葉を続けた。
「この記録を残した、あなたの前のあなたは、何を思ってまた巡り会えるなんて記録に書いたのかしら?」
「その記録の言葉通り、我輩たち222号は、225号の後継個体の面倒をずっとみていた。ずっと、ずっと。でもそうやって後継個体の世話をした前の我輩たちは、記録は残せどヒトモドリとして生まれた225号の後継個体たちについては詳しい記録を残していない。ただ、彼女に巡り会える。会えば分かる。そう記してばかりだ……」
そっと起き上がり、我輩は立ちあがる。彼女は我輩の背後にある画面へと顔を向けた。
「本当の私はどこにいるんだろうね……」
画面に映るコールドスリープの記述を見つめながら、彼女は申し訳なさそうに猫耳をたらしてみせる。コールドスリープとはその名の通り、体を低体温状態に保ち肉体の老化を防ぐ技術の事だ。
ユリの証言がたしかなら、彼女の肉体はこの地球上のどこかに保存されていたことになる。その肉体が無事かどうかは別の話だが。
私は、炬燵システムにアクセスし、そのコールドスリープの記録を検索していた。彼女の証言を裏付けるため、ユリがどこに眠っているのか調べていたのだ。
「君は、何者なんだい……?」
私は彼女に問う。
長い氷河期が始まった時代、人類は自らの仲間をコールドスリープにかけ、遠い未来に望みをかけた者もいた。私が調べた限り、ユリはそのコールドスリープにかけられた人間の中には含まれていない。
彼女は秘密裏にコールドスリープにかけられたか、あるいは――。
「ヒトモドリにはこんな仮説がある。我輩たちは人工子宮にいるあいだ、睡眠学習によって自分たちのこと学習する。その睡眠学習を我輩たちに施しているのは、この炬燵コロニーを管理している炬燵システムだ。そのシステムに何らかのバグが生じ、自分たちを猫人ではなく、人間だと誤認する個体を作り出しているのではないかという説なんだが……」
「私は、機械が生み出したバグって事か……」
ユリの口が閉ざされる。彼女はそっと眼を伏せて、床に置いた資料を見つめた。
「まるで胡蝶の夢のようね。私は百合の花畑を踊る蝶なのか、その蝶を追いかけるクロなのか、それともそんなクロを見つめていた私なのか……。そのどれもが正解で、どれもが違うのかもしれない……。どれもこれも夢の中の世界で、正解でもあもあって束の間の夢でもある……」
「我輩には、君が夢の存在とは思えんよ」
ぴとぴとと我輩は後ろ足の肉球をリノリウムの床につけながら彼女に近づいていく。ぽんっと前足の肉球をユリの額に押しつけると、彼女は驚いた様子で顔を見あげてきた。
そう、我輩はユリが炬燵システムのバグで作り出された存在だとは思えないのだ。それにしては彼女はとても魅力的で、生き生きとしている。
まるで、遠い昔に生きていた人間たちのように。
それに彼女がただのバグならば、我輩たちの前個体が225号の後継個体を世話するよう遺言を残すだろうか。
「葬儀がある。君の前の個体を還元する儀式だ。自分の前個体を眼にすれば、何か思いだすかもしれない。君が何者なのかも分かるかも」
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