雨は言語を持っている。

三〇七八四四

雨は言語を持っている。

 雨は言語を持っている。

 このことに気づいたのはちょうど二週間前の、月曜日の放課後の帰り道のことだ。雨を浴びて「あっ、これ悲しいな」って感じたのは初めてだった。まあ唐突にそんなことを言うと悲しい時に偶然雨が降ったんだろ、と思うかもしれないけれどそうじゃなくて、雨が降ってその雨粒が自分に、より正確に言えば肌に、当たった(いやこれはむしろ刺さったとでもいうべきか)時に悲しいなんて感情が僕の中に挿入された感覚が感じられたのだった。

 このことに対して考えを向けることはなくて僕はむしろ、「なんで急に僕は悲しくなったんだろう」ってことに興味の方向を奪われたのだけれど、いやだって急に人間が悲しい感情を発生させることがあるなんて不自然だって生まれて十四年くらいしか生きてない僕でも思うことであってつまりそう思うことは実に自然発生的でとても自然なことだと思う。

 その雨が身体の中に突き刺さるまで僕が考えていたことといえば、この前買ったゲームのことで、その時は多分楽しい気分だった筈なのだ。こんな風に「悲しい」って僕の頭の中に思い浮かべると、「哀しい」の方も自然と変換候補として出てくるのだけれどそれらの違いなんて僕にはわからない。悲しいものは悲しいのだ。それは漢字の違いとか感じ方の違いではなくて、絶対的に「悲しい」ってのがどこかには必ずあって、人間たちの感じる悲しいなんていう感情はそこからちょっともらってきただけなのだ。そんな自分でもよくわかんないむやみやたらと無駄に考えてしまうのはこないだ悲しい雨を食らったからなのかもしれないし、その前なのからかもしれないけどこの話にそんなことは関係ないし関係させることはない。つまりは何が言いたいかというと雨が降った時に悲しいって感情が生まれたことがものすごく大変なことなのだ。

 このことを朝学校に向かう途中に奏太に話してみたんだけれども奏太は「あーはいはい、わかったわかった。雨の話な」みたいな感じで聞いているんだけど聞いてない。いややっぱりどう考えたって聞いてないでしょ。こういう適当なところが奏太のいいところでもあるんだけど、人が真面目に話しているのだから真面目に聞いて欲しい。僕は真面目に話しているのだ。真面目に雨が降ったら悲しくなった話をしているんだ。いやでもよく考えたら全然論理的でないし、意味がわかんないから奏太の適当な態度も致し方ないのかもしれない。まあいい。僕としてもこの話はしたくてしたわけじゃなくて、僕の頭の中をぐるぐる周り、周り、周り続けて永久機関になりそうだったところをすんでのところで奏太に放出してことなきを得ただけなんであって、絶対にこの話がしたかったわけじゃないのだ。これはほんとにそうだから疑われようともこのルートに進展はない。


 雨を浴びると悲しくなっちゃう事件に対して、僕が持っている仮説としては雲、いや雨、ひいては水が言語(人間の言うところの言語ではなくて水には水独特の言語)を獲得したんだというもので、母なる水が雨を以って僕達人類に語りかけてきたのだ。こうなってくれば僕達としても毎日水さんに「ありがとう」とか「美味しいね」とか言葉をかけていたことが無駄じゃなかったことがわかったということでよかったよかった、となるわけだ。

 いやそんなことはないと思う。

 もしそうならもうちょっと雨はもっと甘くて優しい(そう、飴みたいに)ことを僕らに語りかけてくれる筈なのだ。だって「悲しい」ばっかり伝えてくるわけであって、何が悲しいとかなんで悲しいとかそういった方向に話が向かないのは全く自然ではない。

 もしかしたら雨も今赤ちゃんみたいなもので、覚えたての言葉を繰り返しているだけなのかもしれないしそう考えると微笑ましく思わないこともない。いやそもそも雨に思考があるのかはわからないし言語を持っているのだから思考もあるのだろうと考えてしまうのは危険なのかもしれない。あるのかもしれないけど。でもどれだけ考えたって結局仮説は仮説でしかなくて圧倒的な事実の前には無力だ。

 じゃあお前は答えを知っているのかと言われると知っている。というより分かっている。


 立花颯花たちばなふうかさんは僕も同じ中学校の僕と同じクラスで、廊下側から二番目の列の前から三番目の席、つまり僕の席の斜め左前の席に座っている女の子だ。

 とても簡単に結論から述べてしまうと、彼女が「悲しい」雨を降らせている張本人だ、と僕は思っている。でも、これは事実だ。なんでこのことを知ったのかというと、この間、雨の日に帰っている途中に見てしまったのだ、僕が「悲しい」と考えてしまう雨の中で彼女が傘もささず口を大きく開け、雨粒が入ることを気にせず、天に向けて笑いながら帰るところを。

 そんな程度のことで彼女を黒幕扱いするのはおかしいと思うかもしれないけど、考えてもみて欲しい。だってあんな悲しくなる雨の中で笑えるなんて信じられないし、おかしい。そもそも雨の中であんなに楽しそうに笑うなんて悪い女の子に決まっているじゃないか。だから彼女があの「悲しい」雨を降らせていると考えるしかない。これは事実を基に導かれる論理的な帰結であり、真理なのだ。何よりなんてったって事実でしかない。なので、あの日から立花颯花さんのことが気になってみてしまうのは仕方がない。そのうち何か仕出かさないか見張っているのだ。

 このことも奏太に話してみたんだけれどこれも奏太には全然響かなかったようで、むしろニヤニヤとしながら「湊は立花さんのことが気になるんだな。立花さん可愛いしな」と揶揄からかってくる。もはや雨の話すら覚えていない。本当に人が真面目に話しているのだから真面目に聞いて欲しいと思う。たしかに立花さんは僕からみて結構可愛い方だと思う。けどそれって千年に一人の美少女ってほどじゃないしどっちかっていうと一年に千人生まれてくる美少女の一人と言った具合がしっくりくる。これは何も立花颯花さんを貶めようとかそんなんじゃなくて事実の羅列で、立花颯花さんが美少女かどうかなんてことは微塵も問題ない。

 あ、でもこれをいうと波風がすごく立つと思うしあくまで「主観的に」というのをしつこいくらいに先頭につけた上での思考であることに注意したい。

 それにしたって全く奏太は何も分かっていない。人が真面目に話しているときは真面目に聞いて欲しい。


 そんな理由から僕は立花颯花さんを監視(監視と言っても学校にいる間だけで、彼女のプライバシーな部分は侵害してはいないから安心して欲しい。何が?)しているのだが、そうするようになってから二週間ほど経った今日、雨が降る。悲しい雨だ。

 その日僕はしっかりした傘じゃなくて開いた時に少し頼りなさを感じるような黒い折り畳み傘しか持ってなかったので、それを差して帰る。肩が少しだけ傘からはみ出て、そこに雨が降りかかる。育ち盛りなのだ。はみ出た肩に降りかかる雨からじんわりと悲しさが広がって来る。こんな風に悲しくなってくるのはもう何度も経験したのでこの悲しみの扱い方なんかは心得てきた。すごい、これが大人になるってことなのかななんてじんわりと広がる悲しみを脇において、でもしっかりと認識しながらも考えていると、次の交差点で立花颯花さんが信号が青になるのを待っていた。

 今日の立花颯花さんのスタイルは水玉模様のなんかよくわかんないけどかわいい傘と黄色い長靴である(ちょっとこれはあざといと思う)。もちろん服は制服である。まだ暑くもなっていないし、寒くもないのでマフラーみたいな強化パーツはついてない。僕が交差点に着いて彼女と同じように信号を待つと、彼女がこちらに気付いたようで、話しかけてきた。

「あ、佐藤君、やっほー」

「や、立花さん。今日部活は?」

 僕もつられてやまびこを返しそうになるけど、すんでのところで抑えて、結局よくわかんない感じのあいさつになってしまった。

「今日は雨だから休み。佐藤君も?」

 立花さんはソフトテニス部で、今日の室内練習はソフトボール部と野球部だったと思うのでそりゃそうだろうなと思う。

「うん。そうだよ」

 そう僕が返事すると話すことはお互いに無いので、会話がなくなる。いや、僕から話したいというか訊きたいことはあるのだけど唐突に変なことを訊かれても困るだろうしもし立花さんが本当に悪い女の子だったら僕が困ったことになるだろうから何も話しだすことが出来ないでいた。

 信号が青になると特に示し合わせたわけではないけれど二人とも同じペースで歩き出す。正確に言うと僕の方が立花颯花さんの歩くペースに合わせている。こんな状態で話さないのも変なので僕が彼女に何か話そうともごもご口の中で言葉を転がしていると、なんと彼女の方から話を始めた。

「小学校の頃はみんな仲良かったよね。えっと、いや、今仲が悪いわけじゃないんだけど、その、わかるでしょ?」

 てっきり僕が彼女を監視していることがばれたんじゃないかと思ったけど、大丈夫だった。それにしても立花さん、唐突に言い出した内容だけに内容がとっちらかってる。

「昔はみんなで遊んでたよねって話? でも帰り道で遊んでたのって小学生の頃でも一、二年生のときじゃなかった?」

「それはそうだけど、そうじゃなくって、なんか急にみんななんかよそよそしいなって感じるときがあって」

「あー、言いたいことなんとなくわかるよ。しっかりと説明するのは難しいけど」

「うんうん、そうなんだよ。で、何話そうとしたんだっけ」

「分かるわけないじゃん」

「記憶喪失かよ」

 そう言うと僕らはちょっと笑う。すると立花さんがはっとしてから、話す。

「そうだ。佐藤君、私のことすっごく見てるでしょ」

「み、見てないよ」

 唐突にばれたくないことを指摘されて僕はいかにも動揺してますみたいな感じで返事してしまった。実際、動揺している。流石に動揺しているのが伝わったようで、立花颯花さんは自分の考えに確信を持ったようで、にんまりと笑って、続けた。

「やっぱり見てるんだ。いやね、見られてるなーと思ってて、百合ゆりとか里音さとねとかにも話してみたんだけど勘違いじゃないかーって言われててさぁ、いやはや、訊いてみるもんだね」

 そう言うと彼女は楽しそうに笑った。なんて鋭いんだ。そんなにピンポイントで僕に監視されていることに気付くものなのか。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ているということなのか。やはり彼女は悪い女の子かもしれない。油断は禁物だ。

「見てないって、たぶん勘違いだよ。他の人が言ってるみたいに」

 よし、今度は平静を装って話せた。

「本当? でもさっきすごーく動揺してたじゃん。隠さなくてもいいよ、私怒らないからさ」

 うわばれてる。

 立花さんは今度は理解ある大人のふりをして、片手を顎につけながらうんうんと首を振った。あざとい。表情がころころ変わる。

 彼女が楽しそうなので、案外とこれはいけるのでは、と思い、この間のことを話してみた。

「そういえば立花さん、この間雨のとき傘差さないでゆっくり歩いてたよね。それも楽しそうに」

「えっ、そこも見てたの? うーん、お母さんとかには内緒ね。傘を忘れて急いで走って帰ったことにしてるから。クリーニングとか大変なんだってめっちゃ怒られたんだよね」

「そりゃそうだね。で、なんであんなに楽しそうだったの?」

 この間から思っていたことの核心を話の流れで訊く。タイミングもリズムもばっちりだ。音ゲーなら「パーフェクト!!!!」みたいな感じで出ていることだろう。そんな幻視をしながら僕は彼女の返事を待った。

「佐藤君ってさ、明日のことを考えて生きてる?」

「ん? 考えてるんじゃないかな、たぶん」

 急によくわからないことを言われたら少なからず戸惑うのは当たり前だと思う。そもそも、質問の答えになっていないし、ずるい。

「たぶんってことはあんまりはっきり考えているわけじゃないよね。ただみんななんとなーくふんわりと明日のことを考えているよね」

「大体の人はそうだと思うけど、それがどうかしたの?」

「雨の日に傘を差すのもそうなんじゃないかなって」

「ん? どういうこと?」

「雨の日に傘を差すのは濡れたら後が面倒くさいとか、風邪をひいたらいやだーとかそんな感じじゃん? 濡れることそのものが嫌なわけじゃないじゃん?」

「たぶん嫌な人はいると思うけど」

「佐藤君は濡れるのは嫌い?」

「いや……なんじゃないかな。たぶん」

「ほら、明日のこと考えてる」

「じゃあこの間立花さんは次の日のことを考えてなかったから傘を差さなかったってこと?」

「そう。でも家に夏用のがあったから完全に考えてないってわけじゃなかったんだけどね」

 なんだかよくわかるんだかわからないんだかわからない(わかりにくい)説明を聞きながらこれ以上聞くのも正直面倒なのでふんふんなるほどと頷いた。人間はこうやって大人になる筈である。ちなみに傘があるので腕は組めなかった。その間立花さんは傘をくるくる回していた。


 立花さんと一緒に歩いて帰りながら早くも十分ほど経ち、あまり話題が出せずに学校から帰り道のちょうど半分くらいにある赤と青のアジサイがたくさん生えた家を通り過ぎた。立花さんと僕の家は意外と近いのでまだまだ全然さよならばいばいとはならない。立花颯花さんと今すぐにでも別れたいわけではないし、流石にここまで来て無言なのもおかしいのでここはひとつ奏太にもバッチリうけた、昨日見た自宅のトイレから延々とゾンビが出てきたという夢の話をしようと口を開いた瞬間だった。

「そういえば佐藤君は何で私が傘を差さないで帰ったのがそんなに不思議だったの? ただ傘を忘れてただけかもしれないのに」

 機先を制するとはまさにこのことだろうか、先のことと言い、立花さんは武道の達人だったりもするのだろうか。先々の先せんせんのせんをとらえてくるというかもうそんなことをされたら僕には遺憾の意しか示せない。混乱してるのか自分でも何を考えてるのか分からない。質問内容も入って来てない。聞き返す。

「ごめん。なんだって?」

「だからなんで佐藤君は私が傘を差さないで帰ってたのがそんなに不思議だったのって聞いてるの」

 立花さんは何でこうも核心ばかり突いてくるのか。もしかして核心しか突けないんじゃなかろうか、逆に(何の?)。今日クラスの友達とした乳首当てゲームを思い出す。いや、思い出さなくていいだろう。特に百発百中の男、田井中たいなかについては本当に全く思い出す必要もない。絶対にだ。でもちょっとだけ今日のことを思い出してる。でもそんなことをしてると立花さんの核心を突いた質問に答えられなくなる。そんな変なことを思い出していたからついうっかり正直に答えてしまうのもしょうがないと思う。

「あの時立花さん笑ってたから」

「? 確かに笑ってたけど。ていうかなんで佐藤君ちょっと笑ってんの?」

「いや、なんでもない」

 僕はそうごまかすと、ちょっとだけ傘をずらして頭に雨を浴びる。僕は悲しくなる。やっぱり雨は言語を、感情を持っている。立花さんは少し不思議そうな顔をするけど知らない。

「立花さんは雨を浴びた時に何も感じなかった?」

「何それ。しいて言えば楽しかったけど。いや、何も考えないで濡れるの久しぶりだからすごーく楽しかった。が正しいかな」

 言い回しがいちいちよくわからない。単刀直入に言おう。

「雨を浴びると悲しくならない?」

「悲しくなるって?」

 まさか、立花さんは悲しみの感情を持たないのだろうか……いやそうじゃないだろう。

「最近雨を直接浴びると急に悲しくなるんだ」

「何それ。じゃあ今も浴びると悲しくなるの? 泣いちゃう?」

「悲しくなるよ。泣かないけど」

 自分で言ってて本当によくわからない。でも立花さんは雨を直接浴びても悲しくならないみたいだ。

 そこで僕は立花さんに言語を持った雨の話を詳しく聞かせる。立花さんは理解したのかなんなのか「あーそうかも、人の体の九十パーセントは水だっていうからね。なっとくー」と言ってたりした。絶対に納得してないでしょ。そもそも人の体の九十パーセントは水ってなんだ。多すぎる。そんなに多かったら僕らの体を使って食塩水の濃度の問題が作れるわ。いや、これはちょっと伝わらないし面白くないな。でも、人が真面目に話してる時は真面目に聞いてほしい。僕は真面目に話している。

 そんな説明をした後、理解したんだからしてないんだかよくわかんない立花さんは傘をちょっとだけずらして雨を浴びると何かに気付いたみたいで短く声をあげた。

「悲しくなった?」

「ううん。雨を浴びた瞬間、ちょっと楽しくなったかもって」

「楽しくなった?」

「うん。もしかしたら傘を差さないで帰った時楽しかったのは、雨を浴びたからかもしれない」

 傘をずらして雨を浴びたり防いだりしながら彼女は言った。

 それを聞いて僕はますますよくわかんなくなってきた。雨を浴びて僕だけが悲しくなるのならまだよくわからないけどわかる。でも立花さんが雨を浴びて楽しくなるのはわからない。

 僕と彼女で浴びている雨は違うんだろうか。それとも雨粒の一つ一つ端正に職人が違う感情を入れ込めているとでもいうのだろうか。

 そう思って傘をずらす。

 雨を浴びてやっぱり悲しくなる。

 もう本当にわかんなくて笑えて来た。僕が力なく笑っていると立花さんは嬉しそうに訊いてきた。

「あっ、佐藤君も楽しくなってきた?」

「いや、悲しいけどなんだかよくわかんなくなってきちゃって。悲しいんだけど笑えて来たというか……いや、もしかしたら楽しいのかもしれない。でも悲しいんだよね。わかんない」

「あはは、何それ。もしかしたら私も……おお? なんか悲しくなってきたかもしれない。楽しいんだけど悲しくなってきたかもしれない。うん、これは悲しい!」

 ものすごく楽しそうに立花颯花さんは言った。どこからどうみたって彼女は微塵たりとも悲しみなんて感じてない。でもすごく楽しそうだ。

 そんなことを言いながら僕らはさっきから傘を振り回していたので、はたから見たらおかしな二人だし、二人ともびしょ濡れだ。彼女があまりにも楽しそうに悲しいというのを聞いて僕も本当は楽しいんじゃないかと思い始めた。だから僕も彼女に全然考えないままで頭の中に浮かんだことをすぐに放った。

「そうだね。今僕らものすごく通じ合ってるね」

 言った後で「おや? これはさっぱりしないカップルが使う陳腐な言葉なのでは?」と思ったけど知らない。そもそも僕は悲しいんだ。そんなちょっとした僕の反省なんか知らない。可愛い女の子とちょっと喋ったからと言って浮かれているわけじゃないのだ。だから全然口に出した後もやましさなんて生まれる筈ないし生まれさせない。

「うん。私たちものすごく通じ合ってる」

 立花颯花さんの屈託のない声を聞いて僕が思ったのは「これはいけるのでは?」ってことだけだった。

 

 その後はほとんど何事もなく立花颯花さんと別れて、傘を持っていたのにずぶ濡れで帰って来たのを見て家族に変な目で見られたけど別に問題はない。


 やっぱり雨は言語を持っている。今日立花颯花さんと話していて早速その理論に齟齬は生じたけれど僕はその理論をすぐに捨てたりすることはない。むしろ理論は障害に出会ってこそ洗練されたものになっていくのだ。でも今日は立花颯花さん(かわいい)と話したが為に非常に憔悴仕切っているので、この灰色の脳細胞を使うことはかなわない。きっとこの理論は明日の僕が必死に考えて洗練させてくれることだろう。

 僕は明日のことは考えない。

 明日の僕が考えることも考えない。

 明日の僕が考えないことについても考えない。当たり前だけど。

 ただ明日僕がどんな感情になるのかは気になる。

 次の雨の予報は来週の水曜日だ。いや、次の雨の日も立花さんと話せるかもなんて微塵も思っていないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ雨が降るのを楽しみにしている僕がいる。そんな風にぐるぐる考えながら僕は眼を瞑って、眠った。

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