その望月の男、と、女。

斉木 緋冴。

中宮彰子と囲碁

その夜は、こぼれ落ちるような望月の夜だった。周りの星すらかすむほど、藍色の空に輝く月の光は、この宮中で光り輝くあのお方のように。


「中宮さま、そろそろお休みになられては」

 夕刻、御簾越しに中宮に声をかけたその女房の名は、「紫式部」。一条天皇の中宮、藤原彰子に仕え始めて数年が経っていた。この頃には、「源氏物語」の著者として有名になっていた彼女は、中宮彰子の信頼も厚く、殊更に側に置かれていた。彰子は、紫式部のことを姉のように慕い、歌だの碁だの貝合わせだのと、とにかく自分の退屈しのぎに付き合わせていた。

「まだ眠くなどないわ」

 既に、一条天皇との間に子を成していたにも関わらず、彰子は、頑是ない子供のように、頭を横に振って緩くいやいやをして見せた。背に流した長い黒髪が、優しく揺れる。

「中宮さま」

 うつむいた彰子に、紫式部は苦笑した。いつものことではあるのだが、彰子は早くに休むのを、嫌がる。まるで、夜に何かを感じ取っているかのように。

「紫式部、もう一局打ってから。そうしたら休むわ。お願い」

 両手を合わせて、小首を傾げ、紫式部を拝むようにする彰子を見て、紫式部はそっとため息を吐いた。

「仕方ありませんね。一局打ちましたら、お休みくださいませ」

 紫式部がそう言うと、彰子はホッとした顔で微笑んだ。周りに控えていた数人の女房たちが、部屋の隅に片してあった碁盤と碁石を運び出してきて、またそろそろと部屋の隅に控えた。

「紫式部がいてくれて、嬉しいわ。他の女房では、こんなに根気強く付き合ってくれないもの」

 彰子は、周りを見渡して、扇をゆっくりと美しく、広げた。確かに、少々わがままに映る彰子の言動に付き合うには、根気がいるようだ。

部屋には、あちらこちらに灯がいれられ、藤壺と呼ばれる豪奢な飛香舎は、夜独特の華やぎが宿った。季節は秋。この藤壺には、今は花はない。初夏の頃には、藤棚の藤が、文字通り零れるように咲き誇り、甘い香りがそこここに漂う。花の盛りには宴も多く、人の出入りも多いが、花の頃を過ぎ去ったこの季節は、毎夜のように催された宴も、その盛りの頃からは比較的落ち着いている。

そのせいか、藤の花の盛りを過ぎてから、彰子は夜、寂しがるようになった。ひとたび宴を催せば、人も集まるし歌も飛び交うのだが、近頃の彰子は、それを求めることはなくなっていた。

なぜだろう、と、紫式部は思い悩む。何か、紫式部には思い及ばないことで、心を思い患っているのだろうか、とも。

「紫式部? さ、打ちましょう」

 思いに沈みそうになっていた紫式部を、当の本人が呼び戻す。心なしか、少し嬉しそうに碁盤を撫でているのを見ると、自分のわがままが通ったことに、ほっとしたようでもある。

「仰せのままに」

紫式部は、心に引っかかるものを感じつつ、碁盤をはさんで彰子と対した。

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