am01:00~

   am01:00


 確保に成功した二人の被験者を乗せたセダンは、町外れの工場跡に駐車した。

 工場内に事前に用意して置いた、エアロ仕様のスポーツカーにかぶせてあったシートを剥ぎ取り、車体を点検する。

 なんらかの罠を仕掛けられた可能性を考慮してのことらしいが、その可能性は低いように思えた。

 実際、組織の男は不審ななにかは発見しなかったようだ。

 車両交換は追跡の目を眩ますための常套手段らしい。

 だが№13・荒城啓次の目を騙せるか、浜崎純也は甚だ疑問だった。

 しかし組織が送ってきた護送の男は、基本的にセオリーに従って動くようだ。

 対超能力者用の戦闘方法など確立していないのだから、そうするしかないのだろうが。

「浜崎博士。君はこれからどうする? すでに研究所は私たちの追跡を開始しているようだ」

 護送者が念の為にだろうか、準備しつつ訊いてきた。

 研究所内の手引きだけで終わるはずだったのだが、成り行きでここまで同行することになってしまった。

 護送者からすれば護送対象に含まれていない浜崎純也は足手まとい以外何者でもないだろう。

「私はここで分かれます。予定ではもっと早い段階で分かれるはずでしたし」

「どこか行く当てが?」

 ここで分かれたとしても裏切り者であることが判明してしまっている以上、当然研究所に戻ることはできず、アパートも一時間もしないうちに捜査される。

 浜崎純也に帰る場所などない。

 だが彼は清々しい面持ちで答えた。

「まあ、なんとかなりますよ」

 組織に支払った報酬のために財産のほとんどを処分した。

 アパートに帰ってもなにも残っていない。

 実家も子供の頃になくなった。

 浜崎純也の両親は彼がまだ子供の時に他界し、家や土地などもある程度保有していたが、親戚が相続権を横暴なほど主張し、結果、浜崎純也にはほとんど残されなかった。

 そして彼は施設に送られ、成長することになる。

 あのような研究所に入ることに忌避感を持たなかったのは、そういった経緯が影響しているのかもしれない。

 護送者は準備の手を止め、浜崎純也の言葉の真意を量るかのように、沈黙して見つめた。やがて一つ提案する。

「港までなら乗せていっても構わないが」

 そんなことをして足手纏いにならないのだろうか。

 浜崎純也は護送者の言葉の真意を量るかのように、沈黙して見つめた。

 だが感情が欠落したような瞳からはなにも汲み取ることなどできなかった。

「あんた……」

 不意に春日歩がセダンから降りてきた。

 覚束ない足取りで南条彩香の手を借りて歩く。

「目を覚ましたのか。大丈夫かい?」

 浜崎純也が南条彩香と代わった。

 意外だったのは少女が素直に代わったことだった。

 なにを言っても沈黙しか返ってこないのだが、精神感応能力者ならば心を読み取っているのかもしれない。

 春日歩は薬の副作用で力が入らず、口を開けば力なく涎が垂れ、発声も困難を伴ったが、戸惑いの中に敵意をまだ残したまま聞く。

「あんた本当に、俺たちを、助ける気なのか?」

「そうだ、もうすぐ君たちは自由になる」

 浜崎純也が一週間ほど前、二人を脱出させる話を持ちかけてきた。

 監視の目もあるので細部説明はされなかったが、春日歩は新実験の暗喩と受け止めていた。

 躾の行き届いていない研究員が見せる、幼稚で小心な嗜虐行為に類するもの。

 実験を予告することで精神的加虐を与えて喜んでいるのだと思っていた。

 だが本当に言葉通りの意味だったのだ。

 しかし研究する側である彼が、どうして実験動物を助けようと考えたのか理解できなかった。

 突発的で気紛れな神の啓示でも受けて、博愛主義に目覚めたのだろうか。

「どうして、俺たちを助けようと、思ったんだ?」

 浜崎純也はこの質問に上手く答えられなかった。

 彼自身、明確な理由がつけられなかったのだ。

 地方都市にある養護施設で寄り添うように生きていた二人を見つけたのは浜崎純也だった。

 二人は自分の特殊能力を努めて隠していたようだったが、しかし所詮子供の隠し事などすぐに判明する。

 そして周囲の子供たちは幼さに比例して勘が鋭く、同時に残酷だ。

 特殊能力ゆえに他者から敬遠され疎外され、程なく苛めに発展し、それを止めるべき大人でさえ帳尻に乗って虐待を始めた。

 そんな二人にとって心を許し、側にいることで安心を得られるのは、同じような能力を持ったお互いだけだった。

 二人の噂を聞いた、当時はまだ研究の使い走りでしかなかった浜崎純也は、この二人を使えば研究所内での地位を獲得できると考え、二人を養護施設から引き取り、大学長に直接掛け合った。

 その結果、研究所の正式な研究員として迎え入れられ、同時に公にできない研究所の裏側を知ることになった。

 始めは驚喜し研究意欲は益々燃えた。

 今までの自分の理論は所詮卓上の詭弁に過ぎなかったことを思い知り、新しい知識とデータの獲得に躍起になった。

 研究に勤しむ毎日が一年程続き、ふと自分が発見した実験体を思い出し、それまで同じ研究所にいたにもかかわらず、部署が違うというだけで不思議と遭うことのなかった二人の様子を見に行った。

 そして臓腑に鉛を流し込まれた気分に叩き落された。

 隔離室で蹲り、なんの反応を示さない少女。

 寝台に固定され薬物投与される少年。

 養護施設にいた頃もお世辞にも満足な体つきではなかったが、それを輪にかけて二人は衰弱していた。

 二人は過度の薬物投与で記憶まで破壊されかけているらしく、自分のことも、養護施設のことも覚えていないと報告書にはあった。

 自我崩壊を起こさなかったのが不思議なくらいだったが、それがかえって新能力発現の可能性を期待され、二人を新たな刑具へ導くのだった。

 そうして実験体を人間と認識していなかった浜崎純也は、外の生活を営んでいた二人に直接関わったことで、その二人にもう一度接触したことによって、研究に没頭して失われていた生々しい現実と生命の概念を思い出した。

 自分の子供時代を不幸と考えたことはなかった。

 他人どころか、間接的だが血縁関係のある親戚兄弟の子供からさえ、利益を得るために金を奪い取るような人間を見ても、ただ自分も同じことをすればいいだけのことだと、その程度にしか考えなかった。

 だがこれは、その程度の問題ではなかった。

 自分が彼らから奪ったのは金などではない。

 心、体、自由、そして命。

 かけがえのない人間の尊厳の全てを簒奪していた。

 明確に認識していたわけではなかったが、無意識の領域に食い込んだそれは、彼の心を確実に侵食していった。

 研究所内での生活は一変し、実験はただの拷問としか思えなくなり、今まで意識することのなかった実験体の悲鳴が、耳を塞いでも脳の奥底にまで劈くようになった。

 実験体の瞳が自分を見据えるのが恐ろしく、神経は衰弱し始め、食欲が減衰し、不眠に悩まされ、しかしわずかな眠りも悪夢に犯された。

 研究所の辞任も考えたが、研究を止めて、自分が突き落とした二人の運命から、無関係を装って生きていくことができるのだろうか。

 だが償いに彼らを研究所から救出させようにも、現在生存する二十人近い実験体を助けることなど不可能だった。

 死による安楽さえ願い始めた時、点け放しにしていたテレビからある科白が流れた。

「私は一人の人を助けたいだけです。そして、できればもう一人も」

 もう逝ってしまった聖母の言葉は、天啓だったのかどうかわからない。

 それに本来の意味も違うだろう。

 しかし実行しようと思えば、一人と、もう一人は助けられる。

 籠の中から出すことはできるはずだ。

 それで浄罪されるとは思っていない。

 ましてや研究所を裏切ればどんな制裁が待っているか。

 しかし、その行き着く果てに自分がどうなろうとも、心にほんの少しでも安らぎを得られるのならば、やる意味はあるはずだ。

 そうして浜崎純也は組織に連絡を入れた。

「どうして助けようと思ったのかよくわからない。でも、君たちのためと言うよりは、自分のためだと思う」

 その科白の意味は、春日歩にはやはり理解できなかっただろう。

 もし南条彩香が彼にほんの少しでも心を開いていれば、その本質を心で直接感じ取っただろう。

 あるいはその心を見通しているのかもしれないが、少女は常に沈黙している。

「とにかく君たちはもう自由だ。籠の中でモルモットにされることはない。外の世界に出られたんだ」

 はっきりと言葉に伝えられ、その意味を実感し始めたのか、春日歩は周囲を見渡した。

 廃工場の壊れた壁の向こう側には、街の光が瞬いていた。

 人々の生活の灯火。鼻腔を擽る空気は実験所の外界と遮断された隔離室の空気とは違い、匂いが混じっている。

 嗅覚へ刺激する悪臭も良香も、無菌状態に保たれた隔離室では有り得なかった。

 遠くから電車のレールの音と、自動車のクラクションが風に乗って耳に届いた。

 全て研究所の隔離室の中にはなかった、光、香、音。

 ここは籠の外。

 自由の世界。

 春日歩が南条彩香の手を握ると、沈黙の少女もまた握り返してきた。

 二人を見つめる浜崎純也の、精神に食い込む良心の呵責という茨の棘は、少しだけ和らいだ。

「避けろ!」

 突然、護送者の警告が耳朶を打ち、次の瞬間、頭上の天井一部が崩落した。

 護送者は春日歩と南条彩香の体を体当たりのように抱えると、落下してくる金属の塊を跳躍して避け、伏せて破片から二人を体で庇う。

 耳を劈く金属の落下音が鳴り響く。

 しかし危険に対する訓練を受けたこともなければ、身体能力に優れているわけでもない浜崎純也は逃げ遅れ、直撃は受けなかったが頭部に破片が当たり脳震盪を起こして倒れた。

 辛うじて意識を失わなかったものの、体の各部位に圧迫感を感じ上手く立ち上がれない。

 怪我をしたのかと思ったが、圧力は徐々に強まり、手足を支えることもできず、その不自然な感覚に気付いたとき、突如として体が宙に浮いた。

「ね、念動力」

 絞られる肺から現象の正体を言葉にして明かす。

 浜崎純也の体が捻り、手足の関節が砕け、肉が内部で引き千切れ、雑巾のように血が絞り出される。

 肋骨が全て骨折し、それが内臓に突き刺さったところで、念動力が不意に消失し、浜崎純也の体は地面に落とされた。

 その光景に慄然して目を剥いていた春日歩の耳に、無垢なまでに純粋な悪意に満ちた嘲笑が届いた。

「ヒャハハハッ。どうよ、所長? しょっちょう、な、なっなっ。どうよ俺の力? これで司より俺のほうが上だって判っただろ?」

 崩れた天井から自らの念動力によって浮遊して現れた少年、№45・鈴木鳶尾は残酷な道化師が綱渡りをしているかのようだった。

 だが観客は歓声も拍手も上げない。

「まだ判らんわい。まだ機器を動かしておらんというのに始めおって」

 走ってきたのか、息を切らして工場入り口に現れた研究所所長門野誠一は、抗議しながら急いで心電計や脳波計などのモニター機材と、映像記録のためのハンディカメラを起動させた。

 しかし、計測に必ずと言っていいほど必要とされる助手や、鈴木鳶尾の以外の実験体は、どういうわけか誰もいなかった。

「なんだよ、今良い所だったのによ」

 拗ねた子供のように口を尖らせる鈴木鳶尾に、門野誠一は抗議を取り上げることなく、ただいつのもの実験のように告げた。

「よし、始めろ」

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