am00:50~

   am00:50


 報告を受けた金坂大学学長、氷川結城は金坂大学第三研究所大学長室に召集をかけた。

 戦闘実験配属実験体全員集合。

 №13・荒城啓次は手近に会った椅子に腰掛けて缶コーヒーを飲んでいる。

 研究所の警備員が、普段より明らかに緊迫した雰囲気で仕事に取り掛かっている様子を、理解していないわけではないだろうが、彼はどんな状況でも自分の調子を崩したことはない。

 最近十度目のダイエットを始めたはずだが、カロリーの高いミルクコーヒーを飲んでいるあたり、諦めたらしい。

 №42・奥田佳美は右手の銃傷の手当てはしたが、鎮痛剤の効果がまだ現れないのか、右腕の鈍痛に忌々しげに美麗な顔を顰める。

 仕事の前に、適当な研究員にもう一度診せたほうが良いかもしれない。

 この研究所は医療の心得がある人間は山ほどいる。

 もっともその医療技術を正しい目的で使っている人間は皆無だ。

 №45・鈴木鳶尾が、彼女の腕の傷に顔を近づけ、舌を突き出して舐めようとするが、蠅のように手で払われる。

 それは予想通りの反応だったのか、寧ろ嬉しそうに「ヒャハッ」と軽く奇声染みた笑い声を上げた。

「下らない真似はよせ」

 №31・仲峰司は彼を窘めると、側の椅子にいる自分の妹を安心させようとしてか、右肩に軽く手を載せた。

 №32・仲峰美鶴は兄に安心させるように頷いて、温もりをより確固と感じたいのか、その手の上に自分の左手の平を添えた。

 そして殴られた頬と、手刀を受けた首筋にシップを張った、所長の門野誠一と副所長の杉原友恵が、氷川大学長の前で一通りの報告を済ませた。

 外部機関の諜報員、もしくはそれに類する者により、実験体№57・南条彩香と№58・春日歩は強奪された。

 なお裏門で行動を共にしているところを目撃された浜崎純也研究員に、手引きを行った容疑がかけられている。

 両者は実験体と共に現在逃走中。

 説明をする杉原友恵は緊張しきって直立不動でいるのに、所長の門野誠一はどこかだらしなく、先程から殴られた箇所が痛むのか、しきりに押さえ、実験体のことでぶつぶつの口の中で呟いている。

「こんな報告しとる暇があれば早く取り返しに行けばよいのだ。まったく時間の無駄だ」

「そのとおり。だがせっかくの機会だと思ってね、実験演習を行うことにした」

 独り言に氷川結城は口を挿み、五人を見渡す。

「集まってもらった君たちには、これから実験体二名の奪回に取りかかってもらう。現在敵数不明、戦力不明、目的不明。しかしおそらくは市街戦になるだろう。そして事実上これは実戦と同じだと思ってくれ」

「なるほど」

 所長はすぐに理解して合点がいく。

 今までの演習実験では得られない、実戦そのもののデータが得られる。

 不利益しかもたらさない状況下において、短時間で利益を得る方法を思いつくとは、若くして大学長に就任するだけのことはある。

 所長は少しだけ氷川結城を見直した。

 研究一筋で大学派閥闘争に無頓着な門野誠一は知る由もなかったが、この若い大学長を若輩の青二才と軽視し、地位の簒奪を企んだ者は、悉皆が認識の甘さと軽挙妄動を思い知ることとなった。

 氷川結城がなぜ、このような非合法な活動を含んだ研究機関に入ったのか。

 その理由を突き詰めれば、子供時代に父親が自殺したのが原因といえる。

 彼の父親は、たいした実力も人望もなく、だが虚栄心だけは人一倍あり、事業を起こして社長の椅子に座った。

 だが、経営は当初から悪かった。

 程なく経営が立ち行かなくなり、銀行からは元々会社設立のために借金をしていたのでそれ以上の融資を受けられず、非合法的な金融会社に頼り、その結果回らない首がさらに回らなくなり、最後には自分に保険をかけて、自殺した。

 だが暗愚な父は事前に調べておくということさえしておらず、基本的に自殺では保険は降りず、ましてや会社の状態を調査すれば保険金目当てのものだということが保険会社にすぐにわかり、当然保険金はほとんど出なかった。

 自宅は借金の抵当に入っており、他の財産と呼べる物もほとんど差し押さえられ、結果、氷川結城と母は路頭に迷うことになった。

 それまで専業主婦をしていた母は、子供である氷川を養うために慣れない労働で随分苦労した。

 氷川はそんな母に感謝はしていたが、尊敬してはいなかった。

 母をそんな境遇に追い込んだことで、父親に怒りを持ったかというと、そんな気持ちは全くなく、ただ侮蔑や軽蔑といった感情が占めいた、

 そして母にも同じ感情を持っていた。

 専業主婦をしていたのは、働いてもたいした金額を稼げなかったからだ。

 だから父に支配され擁護されていた。

 それが他の会社に代わっただけだ。

 父の下働きから、会社の下働き。

 結局なにも変わらない。

 父親は実力もなく会社を興したから失敗し自殺するしかなくなったのだ。

 そして母がわずかな給金のために汗水働くのも、金を稼ぐ才覚がないからだ。

 そんな人間は苦労するしかない。

 子供だった氷川は両親を冷淡に捉え、そして自分は絶対にそんな人間にはなるまいと決心した。

 そして実力を身につけるために勉学に励み、やがて高校を首席で卒業し、当然大学でも優秀な成績を治めた。

 学歴という肩書を手に入れた彼を、数多くの一流企業や公社が欲しがったが、氷川が選んだのは暴力団と深くつながりのある企業だった。

 非合法に人体実験を行う機関の下部組織。

 この国に古くから存在する、ヤクザと呼ばれる暴力行為の専門集団に氷川が入ったのは、あらゆる企業会社が実質的にヤクザによって支配されている状況を知っていたからだった。

 金を稼ぐには支配する側へ行かなければならない。

 企業会社は母のような人間を支配しているが、父が経営していたような企業会社はヤクザに支配されている。

 その構図を知ったのは記憶に残らないような些細なことだったが、それが氷川の方向性を決定した。

 企業に入ってすぐに金融業を任され、利益を上げることに苦心してきた。

 融資した相手を見定め、その人間をそれとなく落としいれ、保険をかけて自然な事故死に見せかけて殺害する。

 また本人だけではなく、その家族も対象とする。

 財産を徹底的に搾り取ることは勿論、臓器売買や人身売買も行っていた。

 暴力団時代は、氷川のような優秀な学歴の人間が入ってきたことを怪訝に思い、また明らかに疑惑と恫喝をもって接する者も多かったが、氷川はそういった事態は予想しており、そのための対策も既に行っていた。

 ヤクザなどの非合法のビジネスを行う組織は、実質的に暴力によって上下関係が決定される。

 自分は喧嘩をしたこともないが、専門家はいる。

 そうした人間を見つけ出し、部下として取り入れていた。

 例えば、警察の元格闘技官の松川。

 性犯罪で身の破滅寸前だった松川を救い、彼を活用して伸し上がった。

 やがて氷川結城は功績が認められ、順調に地位を上げ、二年前に上層部である機関に引き抜かれ、同時に、この人体実験を行う施設の責任者に就任。

 順調に人生は進んでいる。

 金坂大学の大学長に就任してからは、金融業のほうは松川に任せていたが、別組織に襲われ、組織の金を奪われたため粛清した。

 それほど有能ではなかったのだろう。

 いささか目に余る行動も多かった。

 そして警備主任につけていた高永大介。

 先程死んだ。

 父と同じように自己顕示欲ばかりが強く、威張り散らし、怒鳴るだけしか能のない人間だった。

 示威行為には役立つので使っていたが、やはり能無しには変わりなかった。

 解雇に関する手間が省けたのでちょうど良かったかもしれない。

 交代させるのにも、面倒がかかる。

 氷川結城は長く使っていた部下に対してなんの愛着も持っていなかった。

 ただ使える手駒としてしか見ておらず、そして用がなくなり、むしろ邪魔になるようならば、排除する。

 多少のトラブルがあっても、氷川はけして動じない。

 その状況から、最も被害の少なくする対策を見出し、時には利益を生む方法を閃く。

 それが氷川結城の最大の能力だ。

 これから使える手駒は、目の前にいる五人。

 人間でありながら、人間以上の能力を持った者たち。

 氷川結城は、更なる利益をもたらす彼らを上層部に渡すつもりはなく、自らの部下として活用するつもりだった。

 そして、今回の事件は、有用性を立証する。

 荒城啓次が不意に、しかし緩慢で鈍い動作で手を上げた。

「あー、ちょっといいですか? 警備主任はどこにいるんです? 大切なお話をしているのに、なんだか姿を見せないようですが」

「あいつは死んだよ。イツッ」

 吐き捨てるように奥田佳美が答えると、声帯の振動が傷を刺激したのか、小さく短い悲鳴を上げ右腕を押さえた。

 まだ痛み止めが効かないらしい。

「死んだ? あの人がですか? あー、それは、可愛そうに」

 大げさに嘆いて見せるが、悲壮感は微塵もなく戯けているようにしか感じられない。

「へへ、死んで当然のクズさ。ヒヒッ」

 悪意に満ちた嘲笑を抑えきれない鈴木鳶尾は、心底警備主任の死を喜んでいるようだ。

 それは顰蹙を買ったが、しかし高永大介の死を悲しむ者がこの場に一人いないのも事実だ。

 彼の科白を無視して、仲峰司が指示を出し始めた。

 時間を無駄に費やすとそれだけ標的は遠方へ逃走する可能性が高い。

「では荒城さんは標的の居場所を特定してください。他はその間に戦闘準備と、所長はデータ採取機器の準備を。出発は十五分後に」

 №13・荒城啓次の能力は、千里眼(クレアボヤンス)だ。

 通常の視力では感知不可能のものを捕らえる能力。

 遠隔の場所の出来事や、視界を完全に遮断した隔壁の向こう側を見ることができる。

 それはまるで高度な生体探査機。

 程度の差はあれ、一度でも彼の目に捕まった者が逃れられた事例は一つもない。

 顔と名前がわからない強奪者を見つけることはできないが、知人である浜崎純也と、実験体の二人ならば、多少の時間をかければ捕捉は可能だ。

 荒城啓次が探査している間に、他の者が準備に取り掛かろうと学長室から退室しようとした時、鈴木鳶尾が抗議の声を上げる。

「ちょっと待てよ、なんでそいつが仕切んだよ」

 皆はまともに取り合う気はなく、ことあるごとにつまらない諍いを起こす彼に、うんざりとした感情が顔に擡げる。

 氷川結城が端的に答える。

「私が指揮に指名したからだ」

「たまにはよー、俺にやらせろよー。なー、なぁー」

 ダダを捏ねる子供のようだが、脅迫に近い声質を含んでいた。

 しかし氷川結城は冷然と拒否する。

「駄目だ。おまえは実戦経験がない」

 戦闘実験には多数参加している鈴木鳶尾だったが、今までに実戦に加えられたことは一度もない。

 それに彼は今までの戦闘実験において、独断専行に走る傾向にあり、また精神的問題も加わって予想予測共に不確定要素が多く、総論として自分勝手な行動を起こすと見なされている。

 指揮を執らせるなど論外だ。

「私の指揮下に入るのが嫌ならば、外しても構わないが」

 仲峰司が提案する。

 しかし成績に影響し正式な研究所所属の構成員になるのは遠のくだろう。

 それは理解しているらしく鈴木鳶尾はすぐに引く。

「えーえー、わかったよ、チクショウ」

 吐き捨てて彼は警備室から出て行った。

 室内の空気が淀んでいるように皆の気分が悪かったが、払拭するように陽気な声で荒城啓次が激励をかけた。

「じゃあ、あたしたちも準備を始めますか。ほら、時間ないんでしょう」

 それが合図あるようにそれぞれ退室し始めた。

 仲峰美鶴が微かに不安な表情で学長室から出ようとした時、仲峰司が優しく囁く。

「美鶴。大丈夫だ、お前はなにも心配することはない」

 そして頬を撫でる兄に、妹は微笑して頷いた。

「うん、わかってる。兄さん」

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