コソ泥フェネックと砂漠の夜

リタ(裏)

コソ泥フェネックと砂漠の夜

 砂漠は地獄だ。


 地平線は遠く陽炎に揺らぎ、ありとあらゆる生命を焦がす。無限に広がる砂の海に浮かぶのは、乾き切った白い骨ばかりだ。

 私は『フェネック』。この地獄に暮らす、亡者の一人。ここは蟻塚のような建物が並ぶ、とあるオアシスの街だ。熱風に葉を揺らすナツメヤシの間から、光を浴びて白く輝く湖の水面が見える。ジャングルから引き込まれた地下水脈が泉となって沸き上がり、あの湖を生み出しているそうだ。その湖のおかげで不毛の大地に緑が育ち、様々な生き物が集ってくる。そして、私たちアニマルガールもその恩恵を受けて暮らしていける。『湖の恵みは全ての命に与えられたもの』だと皆は言う。それは良い奴にも、悪い奴にも、平等だとも言う。


 私は当てもなく街をぶらつく。自慢の耳を締め付けるように巻いたターバンが苦しいが、これも仕事だからしょうがない。睫毛についた砂粒を払うと、ふと一人のアニマルガールが目に入った。瞳を輝かせながらふらついている姿から察するに、ただの旅行者だろう。私は吸い寄せられるように、彼女の方へ足が動いていた。それもごく自然に、自然に見えるように……


「……きゃっ!」

「……わっ、びっくりした。気をつけてよー、おねーさん」


 ついうっかり。よそ見をしていたらぶつかってしまった。私は尻餅をついたままのアニマルガールを助け起こすと、念入りに砂を払ってやった。私はなんと優しいのだろう。


「これでよし、と。……私は優しいから良かったけどさー、こんなことになったら、まず殴られたって文句は言えないからね?」

「……うう、ごめんなさい」

「気をつけてね、良い旅を」

「す、すみませんでした!」


 何度も頭を下げるフレンズをなだめ、私はそそくさとその場を後にした。荒くれ者が多いこの街では、口より先に手が出る獣めいた奴らもごまんと居る。私はそいつらとは違って、いつでも冷静だ。暴力ではなく“慰謝料”で示談に持ち込んだからである。手近な空き家に滑り込み、綺麗な刺繍が施されたポーチを懐から取り出す。暗がりでよく見えないが、あの持ち主はよほど懐に余裕のあるアニマルガールだったと見える。手癖の悪さは私が“キツネ”だから? 私はポーチをひっくり返して中身を値踏みする。よく分からない紙切れ。鈍く輝く石の欠片。円盤状の金属。……こんなクズ、何の役に立つのだ。私はため息を吐きながらガラクタを目立たないボロ布に包み直して建物を出た。目的地はちゃんと分かっている。足がつく前に商売を続けなければ。


――

――――



「……ふぅん、土産物のアクセサリーか。こっちはライドチケット。それに…… ジャパリパークのスーベニアメダル。これで全部か?」

「それだけだよー。で、どうなのさ?こいつらの“価値”って」


 私の仕事はまだ続く。薄暗い路地裏で、集めたガラクタを価値ある物に変えなければならない。ある意味、これが一番骨の折れる仕事だ。


「スーベニアメダルは土を掘れば出る。アクセサリーもな。だが、このチケットは良いな」

「どの位になりそうかな?」

「……300」

「400」

「このアクセサリーは返す、それと合わせて350でどうだ? 俺はもう要らないが、こういうのは熱心なコレクターが居る」

「……分かった。乗るよー、その話」

 怪しげな店主はざらざらとネジを袋に注ぎ込んだ。金属がこすれ合う音が大きな耳に響く。不愉快だ。

「ほら、350とオマケ。……それにしても、チケットなんてよく手に入れたな」

「分かってるくせに。おねーさんも共犯者だからねー?」

「これはかつてのパークを復元する立派な“考古学”だ。お前みたいなコソ泥ギツネと一緒にするんじゃない」

「まったく、誰のお陰だと……」


 その時、私の耳がぴくんと跳ねた。雑踏の中から、耳障りな荒い吐息が聞こえる。


「……おねーさん、コヨーテが来たみたいだよ」

「そうか、随分と早いお出ましだな。ありがとよ、助かったぜ。俺はもう帰る」


 罵倒した直後に感謝するなんて、酷い手のひら返しだ。店主はそそくさと荷物をまとめ、隠し扉から姿を消した。私もさっさとこの袋小路から抜け出そう。雑踏の人混み越しに、肩をいからせて街道を歩くコヨーテが見えた。子分を大勢引き連れた、たちの悪いやくざ者だ。私たちは奴らのシマで勝手に商売をしている訳で、できれば関わりたくない相手。コヨーテに背を向け、小走りにその場を後にする。どこまで逃げても私を照らし続ける太陽が憎い。『もうやめてくれ、私の“かげ”を見せつけないでくれ』といくら願っても届くはずはない。私はふと立ち止まり、取引で得たアクセサリーを懐から取り出した。あの時の彼女は、今頃これを捜しまわっているのだろうか。私を憎んでいるのだろうか。良くない考えが陽炎とともに目の前を満たした。 


「……私にはさ、これしかないんだよね。悔しいけど……」


 アクセサリーを再び懐にしまい込み、場末の市場へ向かう。この忌むべきネジ共を、さっさと食べものに換えてしまおう。胃袋に入れて溶かしてしまえば、良心の呵責に苛まれることもあるまい……


――

――――


 また明くる日。私は性懲りもなく、やはり街で仕事をしていた。夜空の月に懺悔をしても、太陽が昇れば喉は渇くし腹は減る。私は気配を消しながら、雑踏の中で狙いを定める。そのうちにふと目が留まったのは、白黒の縞模様をした大きな尻尾。ゆらゆらと揺れるそれは、いかにもバカみたいだ。ここでやらない理由は無い。私は吸い込まれるように、彼女の背中に体当たりを喰らわせた。


「……おっとっと、ごめんよー」

「うわぁっ!」


 獲物と私はもんどり打って盛大に尻餅をついた。この程度のトラブルでは人々も足を止めない。どうやら、今日は絶好の仕事日和のようだ。


「大丈夫?おねーさん。さ、起きて起きてー」

「うう、ごめんなさいなのだ……」


 砂まみれになった獲物の体を撫でさする。さらさらと落ちた砂粒にまみれ、小包が彼女の足元に転がっていた。私はそれを素早く蹴り出す。小包は小さく弾みながら“元の”持ち主から遠ざかっていった。


「……本当にもう、気をつけてねー? じゃ、そういうことで」

「ごめんなさいなのだ。でも、助けてくれてありがとうなのだ」


 はいはい、と適当に相槌をうちながら、足早にその場を去る。あのような手合いが一番たちが悪いのだ。私は感謝されるような人物ではない。耳障りな笑い声が小さくなる頃合を見計らい、砂に埋もれた小包を拾い上げようとしたその時。


「……あーっ! 無い!アライさんの荷物が無いのだーっ!」


 素っ頓狂な叫び声だが、肩が竦んだ。勘づかれたか? あんな気の抜けた見た目をしている癖に、案外察しが良いじゃないか。


「キツネさーん!さっきのキツネさん! アライさんの荷物、見なかったのだ?」

「……え、荷物?荷物ねぇ……」


 なぜ、わざわざ離れた私に大声で問うのか。だが、ここで逃げ出したら『私が盗りました』と宣言するのと同じだ。跳ね上がる鼓動を隠しながら、私は努めて冷静に答えた。


「……荷物、うん。荷物ね?さっき、転んだときになんか転がってたような…… うん、転がってたよね。確かに」

「でも、落としたのなら、すぐ見つかるはずなのだ……」

「……そうだ!この辺りにはコヨーテっていう、小狡いイヌがいるんだよ。きっとそいつらが盗ったんじゃないかなー?」

「そんなことをする奴らがいるのか? とんでもない奴らなのだ! この街は碌でもない所なのだ。取り返しに行くのだ!」

「……それ、本気なの?」


 アライグマの行く先はすぐに分かった。なぜなら、彼女は私が指し示したコヨーテのアジトへ意気揚々と向かっているからだ。そして、私はその後ろ姿を追っているからだ。『なぜ追うのか、さっさと逃げろ』と私の影が囁くが、どうしても彼女を放っておく気がしなかった。今まで目を背け続けてきた、私が欺き続けてきたものたちの行く末。私の本心は、きっとそれが知りたいのだろう。


「おーい、コヨーテーッ!話があるのだーっ!」

 アライグマの叫び声を受け、コヨーテのアジトから一際大きな金色のイヌがのそりと姿を現した。取り巻きの“イヌ”たちは緊張した面持ちで両の耳をピンと立たせ、アライグマの一挙手一投足に睨みを効かせている。

「なんだお前。見たことない顔だな」

「一言言わせてもらうのだ! お前、アライさんの荷物を盗んだな!? さっさとアライさんにそれを返すのだ!」

「……は? 知らないな」

「まったく、しらばっくれるのもいいかげんにするのだ。アライさんはな、もう証拠もつかんでいるんだぞ! 親切なフレンズが犯人を教えてくれたのだ!」

「……おい、それ、誰だ」

「耳の大きな、金色のキツネさんなのだ!」

「……あの、クソ雌ギツネ!」


 よくもまあ、あそこまで話を拗らせてくれたものだ。あのクソダヌキめ、と思わず呟いてしまった。これでもう商売あがったりだ。コヨーテの群れを敵に回せば、孤独なキツネの命運など風前の灯火。さっさと荷をまとめ、この街を去ろう……


「そのフレンズがちょうどそこに来ているから、連れてきてやるのだ!きっとアライさんの証人になってくれるのだ」


 ……どうやら追跡はバレていたようだ。砂埃の向こうから意気揚々とこちらへ向かってくるアライグマが見える。その後ろには口元を引き攣らせたコヨーテが続く。不愉快な殺気が肌を震わせた。三十六計逃げるに如かず、とは誰の言葉だったか。幸いにも、野次馬たちはコヨーテの怒気に気圧されこの場から足早に去ろうとしている。私も波に紛れてさっさと逃げてしまおう。


 ……だが、私がここで逃げ出したら。きっとあのコヨーテは腹立ち紛れにあのクソダヌキを酷く打ちのめすだろう。それか縄張りの外へ、つまり砂漠に放り出すかだ。いずれにせよ、早かれ遅かれ彼女は死ぬ。私のせいで。



 私は跳ねた。乾いた砂塵がつむじ風のように舞い散り、砂まみれの罵声と怒号が四方から私に浴びせられる。そんなものに構ってはいられない。立ち込める砂埃から飛び出した先には、奇襲に驚き目を見開いたコヨーテ。


「おねーさん、邪魔だよ!」

「お前、フェネック! ……ふぎッ」


 振りかぶった右手の爪が、コヨーテの鼻面を切り裂いた。

 彼女は顔を押さえてよろめくが、敵もさる者。すぐに体勢を立て直し、牙を隠しもせずに呻り声を上げた。一方、アライグマは状況が呑み込めずに右往左往しているだけだ。私は彼女の腕をしっかりと掴むと、怒り狂うコヨーテを後目に振り向かず駆けだした。


「ほらっ、行くよ」

「おおっ! あの時のキツネさん!」


 ここからが本当の勝負だ。不意打ちでコヨーテを引き離したはいいものの、長期戦になればなるほど“私たちの”勝機はゼロに近くなる。地下へ逃げるか? だが、地下通路の存在をコヨーテに知られるなどということがあっては、そこを利用している陰の商売人たちも敵に回すことになる。それとも、湖を泳いで逃げる? そもそも、私は水が苦手だ。そうこうしているうちに、乾いた空気が気道を締め上げる。思考は砂粒のように脳からこぼれ落ち、息ができないほどの酷い頭痛が五官を苦しめる。これが“年貢の納め時”というものなのか。


「ごめんよ、私、もう、ダメかもしれない……」

「そんな! ……キツネさん、今度はアライさんが助ける番なのだ」


 アライグマは這々の体の私を背中に乗せ、近くのナツメヤシに飛びついた。彼女はささくれ立った樹皮を物ともせず、あっという間に何十にも重なった葉の陰に潜り込む。アライグマは入り組んだ樹冠から顔を覗かせ、しきりに外の様子を窺っていた。


「……静かだね。うまく“まけた”のかな?」

「あのコヨーテたち、木には登れないみたいなのだ。せっかくヒトの体になったのに、その使い方も知らないなんて、勿体ないのだ」


 私はといえば、幹にしがみついているのがやっとの有様。揺れる視界の片隅に、アライグマの大きな尻尾が映る。彼女との出会いはついさっきのはずなのだが、今ではとても昔のことのように感じられた。たった一度の貸し借りだけで、何度も死線を潜り抜けてきたパートナーのような気さえもした。


 だが、いくら感傷に浸っていてもナツメヤシの樹上で足止めされてしまったことに変わりは無い。コヨーテたちはまだここに気付いていない。もし見つかったとしても、木登りはできないはずだ。だがそれは、私たちの安全圏がもはやこのナツメヤシの葉の中にしか残されていないことも意味していた。



 その時、微かな振動が幹を伝って上がってきた。思わず体が強張り、幹にひしとしがみつく。アライグマも不安げな視線をこちらへ投げかけ、じっと息を殺している。まさか、コヨーテたちがやって来たのか。大鋸を持ち出しナツメヤシごと切り倒される可能性だってゼロではない。嫌な汗ともどかしい焦りが背中を伝った。ここまできたら覚悟を決めるしかないのだろうか。私たちは恐る恐る眼下を覗いた。


 幸いなことに、コヨーテたちの姿はそこにはなかった。だが、その数倍はあろうかという巨大な体躯を持つ獣がそこに居た。背中はいびつに盛り上がり、縮れた毛が熱風に揺れている。その姿は私のような砂漠の民には馴染み深いものだった。


「……あれはラクダだよ。さっきの揺れは、あの足音だったんだねー」


 私たちの眼下で、何十頭ものラクダの群れが横を通り過ぎていく。背中には大量の荷物を載せ、幅広い蹄がしっかりと砂を踏みしめている。その群れの中にはアニマルガールの姿もある。ラクダたちは彼女らの先導に合わせ、熱砂の砂漠を物ともせず邁進する。アライグマは呆気にとられ過ぎゆく群れをただ見つめているだけだ。私の心臓の鼓動が強く胸を打った。先程までの緊張のせいではない。私の胸中に、やるべき道筋が示されたような気がした。


「……いや、ただのラクダじゃないね。これは、チャンスかもしれないよ」

「?」

「ラクダたちは荷物を背負ってるよねー。きっと、フタコブとヒトコブのキャラバンだよ。オアシスからオアシスへ、いろんな物をラクダで運んでるんだ。いろんな道具だけじゃなくて、食べ物や水もね。だから、どんな連中もキャラバンには手を出せないのさ」

「へぇー…… 知らなかったのだ」

「……キャラバンについて行こう。どこか遠くの、ここじゃないオアシスへ行こうよ。どうかな。……アライさん」

「キツネさんは命の恩人なのだ。どうせアライさんには帰るところもないから、どこにだって行けるのだ」


 私はアライグマの手を引き、急いで木を降りてキャラバンを追った。私たちの行き先は、燦々と輝く太陽だけが知っている。私のような薄汚いキツネは砂漠の熱砂に燃やし尽くされるだけなのだろうか。それとも、何処かで新たな“オアシス”を見つけられるのだろうか。今の私には分からない。ただ、砂漠は地獄だということは確かだ。独りきりだったら、だけどね。

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コソ泥フェネックと砂漠の夜 リタ(裏) @justice_oak

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