バルドの夢

 1


「ほう、バルド。アイドラが、ずいぶん機嫌よく笑っているね。このは、お前のことを、よほど気に入っているようだ」

「ハイドラ様、そんなことはありません。アイドラ様は、誰にでも最高の笑顔をくださるんです」

「いや、そうでもないんだよ。とにかくこのは、好き嫌いがはっきりしていてね。機嫌をそこねてしまうと、それはもう」

 大陸暦四二二六年。

 この年のはじめ、バルドにとって忘れがたい出来事が、いくつかあった。

 まず、バルドが十四歳になった。つまり、こども扱いされる年齢を終えた。

 次に、バルドは従騎士になった。つまり、騎士になる道が開かれ、訓練が本格的に始まった。

 また、はじめて生きている魔獣を目にし、戦った。

 そして、アイドラが生まれた。足かけ四年にわたり、テルシア家当主エルゼラの従卒を務めたバルドは、テルシア家の人々から家族の一員であるかのように親しみを寄せられている。次期当主たるハイドラに、アイドラという娘が誕生したことは、バルドにとっても、限りなく尊く喜ばしい出来事だった。

 それにしても、かわいい。

 この笑顔をみると、修業のつらさや、体の痛みなど、たちまち消え去る。

 きゃっきゃと笑う声を聞くと、心に勇気と活力が湧き出してくる。

 だから、エルゼラの従卒ではなくなった今も、足しげくアイドラ姫のもとに通うことはやめられない。

 ただし、平民同然の郷士の家から出たバルドが、そのように主家の居住区に入りびたることは、いわば分を越えた振る舞いであり、快く思わない者もいた。


2


「そらっ、どうした! さっさと起きて、かかってこんか!!」

 騎士ニクスが巨体を震わせて怒鳴る。

 転倒したバルドは、その声の大きさに、頭蓋骨をぶるぶると揺さぶられたような錯覚を覚えた。

「くそうっ」

 跳ね起きて、そのままの勢いで剣をたたき付ける。

 だが渾身の一撃も、ニクスが構えた練習用の盾にやすやすと食い止められてしまう。

 次の瞬間、脇腹を強烈な打撃が襲った。

 バルドは、今度は横に吹き飛ばされた。

 地に落ちて、土ぼこりを立てながら転がる。

 何が起きたかはわかっている。騎士ニクスに蹴り飛ばされたのだ。

 体勢を立て直そうとするバルドの頭上から、剣が降ってきた。

 かろうじて左手にくくりつけた盾を構えるが、中途半端な防御で騎士ニクスの攻撃が止められるものではない。そのまま騎士ニクスの剣は、防御をはじき飛ばしてバルドの頭を痛撃した。

 練習用の木剣は、重量を持たせるため、太い。直撃されたら命にもかかわる。

「ふんっ。エルゼラ様に気に入られようと必死のようだが、そんなことでは騎士にはなれんなあ。騎士になりたければ、他領に行け」

 他領に行け、というのは、テルシア家の騎士や従騎士にとり、最大の侮辱である。「お前はパクラ領では通用しない」と言われているのだ。

 ののしりの言葉をつぶやいて立ち上がろうとしたところで、バルドの意識は途絶えた。


3


 バルドが年齢のわりには体格がよいといっても、小柄なおとなとならばともかく、鍛え上げた騎士と比べれば、まだまだみおとりがする。

 まして騎士ニクスは、テルシア家でも格別によい体格をしている。バルドからみれば、まるで巨人だ。本格的な騎士修業を始めたばかりのバルドには、到底太刀打ちできる相手ではない。

 どういうわけかニクスは、バルドにからんでくる。

 訓練の相手に、しばしばバルドを指名してたたきのめす。顔を合わせれば嫌みをいう。

 けれどバルドは、ニクスを憎む気にはなれなかった。

 ニクスの顔は、傷だらけだ。体も同じである。

 それは騎士ニクスが、主家のため、人々のため、身を惜しまず戦い続けてきた証しだ。

 それを思えば、憎むなどということができるわけはなかった。

 しかも、厳しい稽古は、バルドの望むところだった。

 バルドは強くなりたかった。ただただ強くなりたかった。

 それは今のところ、騎士の御園ガルデガット・ライエンに迎えられるような騎士になりたいという以外、目指すところの定まらない願いではあった。が、身心の奥底から絶え間なくあふれ出る奔流のような生命の力を向ける先は、強くなるということ以外には思いつかなかったのである。

 だからバルドはニクスを避けなかった。それどころか、自分から向かっていった。

 そんなバルドに侮蔑の言葉をぶつけながら、騎士ニクスは徹底的に、この最も年の若い従騎士を痛めつけた。


4


 命が下った。

 魔獣が出たのだ。

 手の空いていた騎士と従騎士が呼び集められ、討伐隊が編成された。

 指揮官は騎士ニクスである。

 バルドは従騎士として討伐隊に加わった。

 その魔獣は、どうやらまだら狒々ひひであるらしい。

 まだら狒々ひひ

 擬態の得意な獣だ。この獣は、表皮の色を、周囲の木や草や石と似た色に変えることができる。老練な狩人でも、森ではこの獣のために思わぬ不覚をとることがある。まして魔獣化しているとなれば、その脅威は恐るべきものである。

 相手がまだら狒々ひひの魔獣だと聞いて、バルドは半年前のことを思わずにはいられなかった。

 昨年の暮れから今年のはじめにかけて、バルドは〈裂け目〉の砦に詰めた。そのとき、まだら狒々ひひの魔獣と戦い、まだ正式に従騎士にさえなっていない身で致命傷を与えるという殊勲を挙げたのだ。

 だが、今度の戦いが同じような戦いになるとは限らない。息の根を止められるのはバルドの番であるかもしれないのだ。そう思い、心を引き締めた。

 このとき、騎士たちは槍を、従騎士たちは弓を装備するよう命じられた。

 槍は森での取り回しを考え、やや短い作りになっている。

 矢には無論、腐り蛇ウォルメギエの毒液が塗布される。

 四人の騎士と四人の従騎士からなる討伐隊は、魔獣がいると思われる地点に急行した。


5


 騎士ニクスが右手を上げ、隊列に進軍停止を命じた。

 そして、ここからは慎重に進むようにと、身ぶりで合図した。

 もともと森の中を進む速度は速くない。だが、一行は、さらにゆっくりと進んでいった。

 ニクスの勘は、接敵が近いことを告げたのだろう。

 バルドは、辺りをみまわした。

 暗く生い茂った森陰のどこかに、魔獣は潜んでいる。

 従騎士たちは、矢筒から矢を抜いて、弓につがえた。

 バルドもそうしようと思ったが、奇妙な心もとなさを覚えた。その心もとなさの正体は何かと考えたバルドは、馬から降りた。

 勝手な行動であるが、騎士ニクスはそれに気づきながら、とがめなかった。

 馬から降りれば視界は悪い。だが、騎射にまだ慣れていないバルドにとって、弓の腕を発揮するには、大地を足で踏みしめる必要があったのだ。

 一行は、まるで一つの生き物であるかのように、連携して周囲を警戒しながら、そろりそろりと進んだ。

 いる。

 どこかにいる。

 どこかすぐ近くに、魔獣はいる。

 浴びせられる強烈な憎しみに、首筋がちりちりする。

 バルドの位置は殿しんがりに近い。後方から襲われないよう、油断なく索敵するのがバルドの役目だ。

 そして敵を発見したなら……

「発見! 右後方、頭上っ」

 バルドは叫んだ。

 そして叫ぶより一瞬早く、矢を放った。

 その矢は誤たず、赤く光る魔獣の両の目の一つを射抜いた。

 それからは乱戦となった。

 本来、従騎士四人は、戦いの最初に毒矢を放ったら、あとは後方から支援したり、包囲網を敷くといった、補助的な役割を果たすはずだった。だが、いきなり乱戦となってしまったら、もう、騎士も従騎士もない。

 結局、騎士一人と従騎士二人が浅い傷を負っただけで、無事に魔獣を倒すことができた。バルドも剣を抜いて戦い、魔獣に打撃を与えたのである。


6


 その夜、討伐隊は城で少しばかり豪勢な食事と酒をふるまわれた。

 バルドがベランダで妹の月サーリエをみあげながら、慣れない酒の酔いをさましていると、近づいてくる者があった。

 騎士ニクスだ。

 ニクスは、バルドのほうをみようとはせず、しばらく森をみつめながら、手に持った杯を口に運んでいたが、やがてぽつりと口を開いた。

「なあ、バルド」

「はい」

「俺はなあ、お情けで騎士にしてもらったんだ」

「えっ?」

「家柄もないし、学もないし、剣の腕もたいしたことないしなあ」

「いえ、そんな」

「それでも馬力だけはあったからなあ。長年がむしゃらにやってきたさ」

「ニクスさんの剣は、ものすごい威力です」

「はっは。そりゃ、鍛えたからな。俺の取りえは、このでっかくて頑丈な体と力だけだ。だから、その取りえを、これでもかこれでもかと鍛えてきたさ。そして体と力の使い惜しみだけはしなかった。それを長年続けてきたから、お情けで騎士に取り立ててくださったんだ。騎士になれば、従卒が身の回りの面倒はみてくれるしな。お手当も出る。俺には武具も馬もそろえられなかったけど、エルゼラ様は、軍功への褒美という名目で下賜してくださった。おかげで騎士になれた。ありがたいことに、暮らしに不自由はない」

 返事のしようもなかったので、バルドは返事をしなかった。

 それからしばらく、沈黙の時間が続いた。

「お前、弓がうまいなあ」

「まだまだ全然です」

「今までいろんなやつをみてきたが、弓がうまいやつは必ずいい騎士になった。お前もいい騎士になるだろうさ」

 この言葉にも返事はしにくかったので、バルドは返事をしなかった。

 またも、しばらく沈黙の時間が流れた。

「なあ、バルド」

「はい」

「お前、テルシア家筆頭騎士になれ」

「えええっ!?」

「お前ならなれるさ」

 なれるわけがない。

 テルシア家筆頭騎士。

 それは領主に代わって、テルシア家全軍に号令する騎士である。

 ゆえに、テルシアの騎士すべてが心服し、指揮に従う人物でなければならない。

 そもそもテルシア家の騎士は強い。

 なかでも上位の騎士たちの強さは人間離れしている。

 筆頭騎士は、その人間離れした騎士たちの誰もが、自分以上であると認める武徳を積んでいなければならない。

 作戦を立てるには知略がいる。

 他家との駆け引きもできなくてはならない。

 身内からも、外部からも、おそれられ敬われるだけの人物でなければ務まらない。

 そのためには家柄も重要だ。

 現在のテルシア家筆頭騎士ローグモント・エクスペングラー卿をみればよい。

 武威と知性と気品が鎧を着て歩いているような人だ。

 エクスペングラー卿が領主の前でこうべを垂れる姿は、そのまま一幅の絵画だ。神話や伝説の世界をのぞきみるような思いがする。

 望んだからといって、修業したからといって、あんなふうになれるものではない。

 ましてバルドは、ただの郷士の息子であり、何の身分も財産も持たない。

 剣の腕はこれから修業して上達するだろう。だが正直なところ、本当に誰にも負けないほど強くなれるかといえば、自信はない。

 テルシア家筆頭騎士にふさわしいほどの絶対的な強さなどというものは、今のバルドにとって、天空のサーリエ同様、はるか彼方の手の届かないところにある。

 それでも、剣の腕は磨きようがあるが、知性や気品など、身につけようがない。家柄となると、これはもう、どうにもならない。

「俺にも夢がある」

「ゆめ、ですか?」

「ああ。どんな夢だと思う?」

「わかりません」

「戦いのなかで死ぬことさ」

「え?」

「戦って、戦って、戦い抜いて、戦いのなかで死ぬことが、俺の夢だ。それは、テルシア家のために働きながら死ぬってことだ。それが俺にとっての騎士の誇りなのさ」

 それだけ言うと、騎士ニクスは、さっさとどこかに行ってしまった。

 結局、バルドとは一度も目を合わせないままだった。

 一人残されたバルドは、再びサーリエをみつめて思った。

(夢)

(俺の夢)

(かなえずにはおかない夢)

(果たさずにはおられない望み)

(そのことを実現するために生きているのだといえるような何か)

(目指していること自体を誇れるような目標)

(それはいったい何なんだろう)

 その答えが出るのは、まだ先のことである。

 





(おわり)2017.1.1

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