ロンガの忠誠
1
十九回。
新記録である。
ロンガは心地よい達成感を感じながら、大地に横たわって荒い息をついた。
わずかな休憩で体力を回復できるのは、十五歳という若さの特権といってよい。
しばらくしてむくりと起き上がると、今度は細剣を手に取った。
父の形見であり、無銘だが名剣だ。
すらりと剣を抜いたが、先ほどまで騎士剣と同じ重さの練習剣を練習木にたたき付け続けていたのだから、腕はすっかり力を失っていて、まともに構えることもできない。
だがそれでよい。
疲れきってまともに騎士剣を振れないときにこそ、この細剣の出番はある。
やっと中段に持ち上げた剣が、重さに引かれて振り下ろされてゆくなかで、ロンガはタイミングを計って前に飛び出した。剣は見事に狙った位置に突き立った。
この練習を五度繰り返すと、もう本当に腕が上がらなくなった。
再び大地に横たわってしばらく休憩すると、ロンガは練習場を立ち去った。
まもなくティグエルトが目覚める。身の回りの世話をしなくてはならない。
2
ロンガことロンガード・スペンドルの父親は、ザイフェルトの部下だった。
だがたぶん、ザイフェルトと父のあいだには、上司と部下という関係を超えた絆があった。父の姿のあれこれから、ロンガはそう確信している。
父は戦場で受けた傷がもとで床に就くようになり、病を得て死んだが、その死に際に、言い残した言葉がある。
「ロンガ。ザイフェルト様に……」
ザイフェルト様に、どうせよというのか。何かを伝えたかったのか。
父の葬儀に、わざわざザイフェルトは来てくれた。そしてそっと母に金貨の袋を差し出した。それは母と子がしばらくのあいだ生活できるだけの金だった。
父が死んで二年後に母が死んだ。途方に暮れるロンガに、ザイフェルトは優しく語りかけた。
「私の所に来ないかね。君と同じ年の息子がいるのだ」
ロンガはうなずいた。
そのうなずきは、覚悟を伴っていた。今日から私はこのかたの家臣だ。そしていつか恩に報いるのだ。たった八歳のロンガ少年は、そう心のなかで誓ったのである。
ザイフェルトはロンガをバドオールの街に連れてゆき、フェルミナとティグエルトに引き合わせた。
それからロンガがロードヴァン城に移って辺境騎士団に籍を得るまでの六年間に、ザイフェルトに会ったのは二度である。その二度の記憶は、ロンガにとってかけがえのない宝物だ。
一度目は十歳のときだ。やや早い騎士修業を始めた直後だった。
ザイフェルトは剣の練習をする心得を教えてくれた。
「いいか、ロンガ。剣は渾身の力で振るものだと思っている騎士が多い。だが渾身の力というのは持てるすべての力ということであり、それを引き出すには密度の高い練習が必要だ。そして渾身の力を振るったら、もうその騎士には攻撃をする力が残されてはいない。だが戦場での戦いというものは、一撃で終わるものではない。だから一撃必殺を目指すより、七分の力で攻撃できる回数を伸ばしてゆくのがよいのだ」
本当にそうだと思った。
力というものには限りがある。いくら肉体を鍛え抜いた騎士であっても、無限に剣を振り続けることはできない。弓兵が背に負う矢の数に限りがあるように、騎士が剣を振れる回数には限りがあるのだ。
戦いのただなかで、自分が剣を振れるのはあと何度かを正確に把握できる騎士を、ロンガは目指すようになった。
二度目は十二歳のときだ。剣の練習をしていた。わずか十二歳であるが、ロンガは、小型の練習剣を七回振れるようになっていた。そのあと細剣を取り出して練習をした。それをザイフェルトにみられていたのである。
細剣の訓練は騎士の教程にない。ザイフェルトに叱られる、と思った。
だがザイフェルトの言葉は優しかった。
「おそろしく正確な狙いだな。それは天性のものだ。練習して身につくものではない。お前の父も細剣の名手だった。父の血を継いでいるのだな」
ロンガの胸は誇らしさで一杯になった。
そして、いよいよこのかたに忠誠を尽くそうと思った。
だが、しばらくして、自分の思いちがいを知った。
ザイフェルトはロンガより三十歳年上である。ロンガが騎士になるころには、すでに現役を引退しているだろう。
つまり、ロンガの忠誠はザイフェルトには捧げられない。
では誰に捧げればよいのか。
ザイフェルトの息子ティグエルト以外にない。
そもそもザイフェルトがロンガをティグエルトに引き合わせ、一緒に生活させているのは何のためなのか。息子を頼む、という意味以外に何があるというのか。
それからというもの、ロンガはティグエルトをただ一人のあるじとして仕えるようになった。
表面上はそれまでと変わりはない。ティグエルトはロンガにとり、同じ年の気の合う少年であり、いたずら仲間であり、身の回りの世話をすべき主家の子だった。だが心のなかでは、ロンガはティグエルトに唯一の忠誠を捧げるようになったのである。
いや、ロンガが忠誠を捧げる人は、もう一人いた。
それはあるじティグエルトの婚約者、レイリアである。
3
ティグエルトがレイリアに出会ったそのとき、ロンガもまた、レイリアに出会った。
——女神スウェン=コ=エルだ!
十三歳という年齢にだけ可能な純粋さと激しさをもって、ロンガはレイリアを崇拝した。レイリアは、神話から登場したとしか思えないほどに、神々しく光輝を放つ存在であり、女らしさを開花させる直前の鮮烈な香りを放つ、理想の少女だった。
たぶんロンガは自分の表情をつくろうことも忘れてレイリアにみいった。
だが、レイリアはティグエルトとみつめ合って、世界のほかのもののことは忘れ去っており、ロンガの表情を読み取る者はいなかった。
いや。
フェルミナにはみぬかれたかもしれない。
だが、フェルミナは、突然現れたロンガを受け入れ、息子同然に扱ってくれた人であり、ロンガが道を誤ったときには優しく諭してくれる人だ。フェルミナになら、心のうちを悟られてもかまわなかった。
こうしてロンガは恋に落ちた。
それはけっして告白することのない恋である。ロンガが騎士になっても、レイリアに剣を捧げることはない。万が一にもこの恋情を誰かに悟られるわけにはいかないからである。
そしてまた、剣を捧げるというようなこれみよがしな振る舞いに出なくても、心のずっと深い所で、揺るぐことのない忠誠を、ロンガはレイリアに捧げていた。
ティグエルトとレイリアの生命と幸福と名誉を守ることこそが、ロンガード・スペンドルの生きてゆく意味となった。
ティグエルトとレイリアが恋を育んでゆくのを、ロンガはみまもった。
そしてついにティグエルトがレイリアに告白し、レイリアがそれを受け入れたとき、ロンガは歓喜をもって、木陰で涙を流したのである。
4
ティグエルトとロンガは、ザイフェルトの命により、ここロードヴァン城に来て、従騎士となり、一年が過ぎた。
素晴らしいことに、この城には辺境騎士団長たるザイフェルトがいる。
ロンガはこの城で、おのれの文と武を磨き上げている。
今やようやく騎士剣を十九回振れるだけの力を養った。
細剣も、ますます正確さを増している。
力を高めてゆかねばならない。
必要とされる時が必ず来る。
その時は目の前に迫っているかもしれない。
(おわり)2016.1.21
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