第36話 卒業式の後に

「……今まで黙っていましたけど、俺、たちばな先輩のことがずっと好きでした!」


 たちばな芽衣めいの卒業の日。

 思いを告げたのは俊平しゅんぺいの方からであった。

 告白に選んだ場所は、二人にとって最も馴染み深い教室である生徒会室。

 卒業式後に生徒会室に来てほしいと、前日の内にメールで連絡をしていた。

 所詮は一方的な片想い。先輩が来なかったらそれも仕方がない。

 だけど、温情でも気まぐれでも何でもいい。先輩が指定通りに生徒会室に来てくれたなら、男らしく素直な気持ちを伝えようと、そう覚悟を決めていた。

 玉砕覚悟。緊張で思わず、俯きがちに目も瞑ってしまった。

 目だけではく、耳まで塞いでしまいたい心地だったけど、それではあまりに情けない。

 これまでの人生で最大の緊張をその身に感じつつ、俊平は芽衣の言葉を待った。


「それだけ?」


 そこまで言われたわけではないのに、「そんなくだらないことで呼び出したの?」と、心がネガティブに過大解釈してしまう。


 突き放された。振られてしまったのだと、俊平は早くも傷心気味だったが。


「ずっと好きでしたじゃ、何だか過去形みたいだよ。もっと踏み込まないと」


 思わぬ一言に、俊平はハッとして面を上げる。

 やや赤みを帯びながらも穏やかな芽衣の表情には、一切の威圧が感じられない。

 その表情は勇者を励ます聖女のようで、それでいて年頃の乙女のような気恥ずかしさを感じるものであった。


 これ以上、女性の方に言わせるのはあまりに甲斐性なしだ。

 そんなことは当時中学二年生の俊平にだって分かっていた。

 一度深呼吸をして、呼吸と気持ちを整える。


 昨日メールをした時点で、

 今日こうして生徒会室に足を運んだ時点で、

 いつにも増して魅力的に見える、紅潮した芽衣の表情を直視した時点で、

 何度も何度も、覚悟は重ねて決めてきた。


 男らしくはっきりと告げよう。

 もう迷いはない。


「俺は橘先輩のことが大好きです。俺と付き合ってください!」


 面と向かってそう告げた。

 男を見せた。

 見つめ合ったまま流れる沈黙。それは決して胸を刺すような鋭利なものじゃない。

 橘芽衣は、大好きな先輩は、紅潮した顔で微笑みを浮かべている。

 彼女がよく笑う人なのは、共有してきた時間からよく分かっている。

 決して作り笑いなんて浮かべない人だ。彼女は嬉しい時にしか笑わない。


「こちらこそよろしくお願いします。藍沢俊平くん!」

「た、橘先輩」


 返答と同時に、芽衣は勢いよく俊平へと抱き付いてきた。

 熱い抱擁は完全に俊平の想定外。嬉しさのあまり脳がオーバヒートを起こし、目を丸くして硬直してしまった。


「私もね。君のことがずっと好きだったんだよ」

「そう、なんですか?」


 力強い抱擁が、芽衣の言葉を何よりも裏付けている。

 好きでなければ、こんなにも愛のある抱擁など出来まい。

 そんな当たり前のことにすぐさま理解が及ばぬ程度には、俊平は慌てふためていた。


「自信のない男は嫌われるぞ」

「すみません、玉砕覚悟だったんで、現在進行形で混乱していて」

「もっと自信を持ちなさい。君は君が思っているよりもずっと良い男だよ」

「そう、なんですか?」

「疑問形で返すのは、私に対する遠回しな批判だよ。その返しは私に男の子を見る目が無いと言っているのと同義」

「すみません!」

「謝るところじゃないでしょう。まったく、そういうところが可愛いんだけどさ」


 そう言って芽衣は、緊張で瞬きの回数が増えている俊平の頭を優しく撫でてやった。当時の俊平はまだ身長が伸び切っておらす、芽衣との背丈はほとんど変わらない。芽衣の包容力を相まって、その姿は弟を宥める姉のようでもある。


「ねえ。いつから私のことが好きだったの?」

「……一目惚れです。俺が初めてこの生徒会室にやってきて、初めて先輩と面と向かって話したあの時。それからはずっと先輩のことを意識していて。もう、頭の中が先輩でいっぱいです!」

「後輩くんを一目惚れさせちゃったか。私も罪な女だね」

「自分で言います?」


 俊平が言うと同時に、二人一緒に破顔した。

 笑うごとに緊張感が霧散していく。

 だんだんと、普段通りの心持で会話が出来るようになっていく。


「しっかりと自信をつけるためにも教えてください。先輩はその、俺のどこを好いてくれたんですか?」

「頑張り屋で、誰かを笑顔にするのが大好きで、自分自身もよく笑って。いつの間にか、そんな俊平くんに自然と視線が向くようになってた。君はきっと私を理解してくれる人だと、そう思えた」

「俺のこと、見ていてくれたんですね。嬉しいです……自分でも卑屈だなと思うんですけど、藤枝さんみたいな凄い人が近くにいるんで、俺、あまり自分に自信が持てなかったんです」

「藤枝くんは藤枝くん。俊平くんは俊平くんだよ。私が認めた男なんだし、これからはもっと自信を持ちなさい、私の彼氏でしょう」

「そうですよね。俺、先輩の彼氏になったんだ。うじうじしてたら、先輩にも失礼ですよね」

「これからは先輩も禁止。恋人同士なのに、堅苦しいにも程があるでしょう」

「えっと、何てお呼びすれば?」

「何でも好きな風に呼んで、愛しのマイエンジェルとか」

「何ですか、それ」

「ただの一例。それじゃあ、無難に名前でどう? これからは私のことは芽衣って呼んで」

「分かりました。それじゃあ、芽衣さんって呼びます」

「えー、そこは呼び捨てじゃないの?」

「すみません、突然すぎてまだハードルが高いです。呼び捨ては慣れてからということで」

「まあ、無理強いはよくないか。男らしく呼び捨てにするさまは、後のお楽しみにとっておくよ」


 満面の笑みでそういうと、芽衣は俊平の両手を取ってぶんぶんと上下に動かす。


「改めまして、俊平くんの恋人になりました、橘芽衣です。どうかよろしくね」

「改めまして、芽衣さんの恋人になりました、藍沢俊平です。よろしくお願いします!」

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