第8話 疲労困憊

 放課後。俊平しゅんぺいは校舎四階の西端――空き教室が並んでいる一画を訪れていた。

 元々は生徒会室や教材室として使われていたエリアなのだが、三年前の増改築により場所が移り、使用頻度は減少。現在は主に、文化部向けの部室として開放されている。


「奥だったな」


 ポケットから取り出した便箋で、もう一度指定された場所を確認し、一番奥の空き教室へ向かって歩みを進める。

 移動教室などで四階を訪れることはあるが、空き教室はまったく使わないので、この一画を訪れる機会はほとんどない。

 一番手前の空き教室の前に差し掛かると、中から数人の男子生徒が談笑する声が聞こえてきた。教室のプレートには『UMA研究会』という名前が刻まれている。部活動が始まると同時に部員が差し込んだのだろう。


 気になった俊平がさり気なく聞き耳を立てていると、


「一番はビックフットだろ」

「いや、ジャージーデビルだろ」

「それよりも、チュパカブラって萌えるよな」


 オカルト系の番組でよく耳にする名称がチラホラと俊平の耳に飛び込んできた。部の名称通りUMA(身確認生物)について取り上げている部活のようだ。


 ――何のやり取りをしてるかはよく分らないけど、少なくとも俺はチュパカブラには萌えないぞ。


 昔テレビで見たチュパカブラのイメージ映像を思い浮かべながら、俊平はUMA研究会の部室を通り過ぎる。


 そのまま俊平が二つ目の教室の前に差し掛かると、


「私の一押しはこれだよ」

「う~ん、少し地味じゃない?」

「確かに、もっと攻めたデザインでいかないと」


 女子生徒達の、どこか華やかなやり取りが聞こえる。

 俊平が部室のプレートを見上げると、『ファッション研究会・最』と書かれている。扉のガラスは中からカーテンで覆われており、内部を確認することは出来ない。


「……最って何だよ?」


 聞こえてきた話の内容から、ファッション系のニュアンスを感じとっていた俊平だが、最後の『最』が意味するところまでは理解できないでいた。

 そもそもこことは別に、校内にはファッション研究会(部室は被服準備室)が存在している。何故似たような部活動が二つも存在しているのだろうか?


 俊平がそんな疑問を抱いていると、


「やっぱりこっちを付けてみなよ? 胸がさらに大きく見えるよ」

「そうだね。今付けてるブラの方がデザインが可愛くて好きだけど、やっぱり大きく見せたいしね」

「よ~し、早速試しちゃえ」


 ……何か今、ブラって聞こえた気がしたんだが?


 何かがおかしいことに俊平は気付き始めていたが、次の瞬間、それは決定的なものとなる。


「えい!」

「きゃっ、ちょっと揉まないでよ」

「いいじゃん、女の子同士なんだし」

「あっ、ちょっとそこは」

「私にも触らせてよ」

「駄目だって、二人とも~!!」


 ――おい、色々な意味でやべえよ! というか、何で学校側もこの部活に許可を出したんだよ!


 扉一枚を隔てて行われているであろう、女子同士の刺激的なやり取りを耳にし、俊平は大きな困惑と、僅かばかりの興奮を覚えていた。


 説明しよう! 『ファッション研究会・最』とは、ファッションの中でも特にランジェリーに注目し、流行や機能性について日夜研究している部活動である。

 ちなみに、部活名の最後に付けられている『最』とは最先端の最を現しているのだが、その真意を知る者は校内でも少ない。


 ――隣の「UMA研究会」の連中はどう思ってるんだよ! 壁を隔てて聞こえてるのかどうかは分らないけども。


 そんな疑問を抱きながらも、俊平は『ファッション研究会・最』の前を足早に離れることを決める。このままだと理性に影響が出そうだと判断しての英断だ。年頃の男子には少々刺激的な内容なのは間違いない。

 通り過ぎざまにも喘ぎにも似た艶めかしい声が聞こえてきたが、俊平は聞こえていない振りをしてそのまま教室前を通過する。


「ようやく着いたぜ」


 一番端の空き教室――指定された場所に到着し、俊平は思わず溜息を漏らす。

 特別体力を消費したわけではないが、ここに辿りつくまでに目撃した二つの部活動のインパクト(特に二つ目)が強過ぎて、主に精神的に疲労してしまった。


「……深層しんそう文芸ぶんげい?」


 入口のプレートにはそう記されている。これまでの二つの空き教室に漏れず、ここも部室として使用されているようだ。


 ――入っても、大丈夫だろうな……。


 文芸部の上に深層という余計な? 単語がついてる点を気にしつつ、俊平は扉に手を掛ける。足を踏み入れないことには何も始まらない。


「藍沢だ、入ってもいいか?」


 一言、教室内にいるであろう人物に断りを入れる。


「どうぞ」


 聞き覚えのある女子生徒の声が、俊平に入室の許可を出す。


「入るぞ」


 ぶっきらぼうに言うと、俊平は『深層文芸部』の扉を開け、室内に一歩踏み出す。


「お待ちしておりました。藍沢先輩」


 教室中央に設置されたパイプ椅子に腰掛け、長机の上で手を組む繭加まゆかの姿がそこにはあった。さながら映画に登場するお偉いさんようなスタイルだ。


「やっぱりお前だったか、御影」


 大した驚きを見せることも無く、俊平は淡々と扉を閉める。


「あまり驚かないんですね? 私の姿を見た瞬間驚くような展開を期待していたのですが」

「それは残念だったな」


 心にも無い同情を口にして俊平は意地の悪い笑みを浮かべる。ラブレター? の差出人の名前を確認した時点で正体を察していた俊平が、今更驚くはずもない。


「まあいいです。それよりも今回、藍沢あいざわ先輩をお呼びしたのには理由があります」

「昨日の話の続きだろ?」


 昨日の今日で接触があったことは予想外だったが、話の続きが気になっていた俊平にはむしろ好都合だった。


「はい。放課後なら時間はタップリありますしね」


 肯定する繭加の表情は笑顔だが、昨日最後に見せた様な眩しい笑顔ではなく、どこか作り物染みた無機質な笑みだ。


「とりあえずお掛けください」

「じゃあ、遠慮無く」


 繭加に勧められ、向かい合う形で反対側のパイプ椅子に腰掛けた。

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