一撃のクルス
黒羽カラス
第1話 一撃
奥深い森の開けた場所でザット・キーガンは強敵と遭遇した。瞬間、腰に携えていた剣を握り、背負っていた小ぶりの盾を構えた。
強敵は迫り出した口で低く唸る。鋭い
「……フォレストドラゴンか」
ザットは青い目で出方を窺う。
一瞬の気配を読んだのか。機先を制したドラゴンがザットの無防備な頭部に尾を振り下ろす。
甲高い金属音が森に鳴り響く。近くにいた野鳥が一斉に飛び立った。
革鎧の軽装が幸いした。鋭い尾の一撃を辛うじて盾で受け止めた。衝撃で片膝が落ちる。動きを止めたと確信したドラゴンが大口を開けて突っ込んできた。
ザットは咄嗟に横手に跳んだ。一本の牙が肩当てを貫き、勢いで剥がされた。
「余計な出費だ」
起き上がる際に剥き出しとなった肩を撫でる。怒りの矛先は後方にも向けられた。
クルスは長い黒髪で漆黒の服を身に
「まだなのか」
ザットは声を強めた。クルスは表情を変えずに顎先で前を示す。
「ブレスか!」
ドラゴンは離れた所で仰け反っていた。喉元が大きく膨れ上がり、青紫の煙を吐き出した。
ザットが斜めに走る。煙は拡散して脚に触れた。
瞬間、転倒した。唯一の牙、剣を取り落としてしまった。
ドラゴンが突進して前脚で薙いだ。盾を構えたが踏ん張れず、吹き飛ばされた。無様に転がって木の幹に背を強かに打ちつけた。
「あなたの戦いぶりを堪能しました」
クルスが側に立ち、呼吸もままならない相棒を見下ろす。
ザットは咳き込んでようやく肺に空気を送り込めた。四つん這いの姿となって腰に装着したポーチを開ける。丸薬を取り出して口に含んだ。
渋い表情で噛み砕き、だるそうに顔を上げた。
「……もう、いいんだな」
「はい、あなたのおかげで
その言葉に嘘はない。クルスの発する雰囲気でドラゴンは威嚇の姿勢から動けなくなっていた。
「程々にな」
「天に祈っていてください」
にっこりと笑ってクルスは歩き出した。
無風の中、長い黒髪が波打つ。左右に広がって金色に輝いた。
「ひしゃげて、磨り潰されて、肉塊になって、切り刻まれて、
高速の言葉が呪詛となって瞬く間に大気を蝕む。だらりと下げていた両腕が上がり始める。
水平となった瞬間、最後の言葉を放つ。
「無残な姿で死に絶えて!」
自らが十字架となって相手に死を宣告した。
空に浮かんでいた雲が渦を巻きながら一点に吸い寄せられる。限界まで圧縮されて一瞬で弾け飛んだ。
天に黒い穴が開いた。
「大当たりですが、こちらも危ないですね」
瞬時の判断でクルスは踵を返す。速やかな疾走に移行した。落ちていた剣を抜かりなく拾い、木の幹に背を預けていたザットの革鎧の襟を掴んで深い森に突っ込んだ。
木々の隙間を縫うように高速で駆け抜ける。引き摺られる形のザットは幹や根の手厳しい洗礼を受けた。
森の中が明るくなる。後方から強い光が迫ってきた。
クルスは速度を上げた。光は諦めたかのように引いていった。
走る足を止めて振り返る。
「無事に逃げ切りましたね」
「どこが、無事、なんだ……」
全身に打撲を負ったザットは苦痛に塗れた顔で言った。
丸薬を追加した。露出した傷に手早く軟膏を塗り込む。両脚の状態を確かめてザットは立ち上がった。
クルスは小さな拍手を送る。
「よく効く獣の糞ですね」
「わざとか? これは丸薬だ。効果は絶大だが、あまり使いたくはない。高価な代物だからな」
ザットはポーチの中に目を落とし、深い溜息を
クルスは場違いな笑みを浮かべる。
「戦士は痛めつけられると
「あのな。そんなもの、ある訳がないだろう。SPだったか、初めて聞いたぞ」
「そうなのですか」
クルスは穏やかに微笑む。ザットは反論する気が失せたと言わんばかりに側頭部の赤い髪を無造作に掻いた。
「俺の場合は戦いの攻防で気力が満ちて大技を出せるようになる。あとな、劣勢を逆転するような威力は期待しないでくれ」
「もちろんですよ。あなたには適度に血塗れになって貰いたいのですから」
喉に引っ掛かるような笑い声を漏らす。ザットは話を打ち切るように手を振った。逃げてきた先に目を移す。
「今回は相当な出費になる。ドラゴンの素材を回収に行くぞ」
「私は何の興味もありませんが、あなたが新たな強敵に遭遇する為の準備として、嫌々ながらもお付き合いします」
「正直すぎて涙が出そうだ」
ザットが先にゆく。クルスは笑みを絶やさず、付いていった。
深い森を抜けると、そこは砂漠だった。
「はあ?」
「見事に何もありませんね」
木々は消失して茶色い大地が剥き出しになっていた。未だに相当な熱を孕み、大気を歪ませていた。
ザットは力尽きたように両膝を突いた。
「ドラゴンはどこだ?」
「どこでしょう」
にこやかに相槌を打つ。素早く見回して軽く頷いた。
「先程の『天の気紛れ』で消滅したのでしょう」
「わかっている。そうなのだろう。わかっているが、泣けてくる……」
ザットは熱風に吹かれた。顔を背けて立ち上がる。涼しげな微笑を浮かべるクルスに向かって口を開いた。
「これ以外の魔法は本当に」
「使えません。以前に説明しました。威力の調節や種類を選ぶこともできません。『天の気紛れ』ですから」
「ま、そうだろうな。前回も異界の魔人を召喚して、俺までこんがり焼き上がるところだったし」
片方の側頭部の髪はほとんどなく、頭皮が見える斬新な髪型になっていた。
「でもな。クルスには常人離れした力もある。別に魔法に頼らなくても」
「お断りします。SPが溜まる現場で、じっくり鑑賞する楽しみを奪わないでください。それに約束と違います」
クルスはきっぱりと言った。
「そりゃ、クルスは命の恩人だし。まあ、何でも願いを聞くとは言ったが……瀕死になって助けられても、有難味が少ないというか……」
「不満ですか」
微笑んだまま、目にした石を拾って握る。掌を開くと粉々に砕けていた。
「あなたの頭と比べてどちらが硬いのでしょうか」
「約束は守らないとな、うん」
「その通りです」
クルスは満面の笑みで答えた。
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