ながつきのつきと菫の花

伴美砂都

ながつきのつきと菫の花

 アルバイト先の喫茶店を出ると正面に、ぼったりと赤く大きな月がかかっていた。

 煉瓦造りの階段を降りて行く。九月も半ばを過ぎて朝晩はぐんと涼しくなった。捲っていた黒のパーカの袖を伸ばす。通りに人影はない。

 歩きながら歌う。今日、お店でかかっていた曲だ。


  永遠にかなわぬひかりよ

  わたしは欠けた赤い月

  かつて 太陽になりたかった日もある

  快晴に憧れた日も

  それに向かって大きく笑う向日葵の花も

  ただ 時は過ぎ

  秋のはじめの夜にかかる

  うるみきったやまぶき色の

  いちばんきれいな月であること

  晴れでは疲れてしまうひとに

  そっと降るやさしい雨であること

  かたすみで咲く小さな菫の花であること


 「ながつきのつきと、菫の花」


 そこまで歌って道路をはさんだ向こうに、よく知った影が見えた。こちらへ大きく手を振る。

 ほっそりとした腕と白い手のひら。今日はどこかにご飯食べに行こうよ、ってメールが入っていたっけ。友達の店だからってバイトは許してくれたけど、たまに心配になって見に来ちゃったりする、過保護っていうか心配性なのだ。

 母はひいき目に見なくたってだいぶきれいだから、ひとりで出歩くのは彼女のほうがあぶないんじゃないかと思っちゃうんだけど。


 「すーちゃん」


 手を振りながら、笑っている。

 母は、歳をとるごとに明るくなる気がする。私と血の繋がりのない母はだいぶ若いときから私を育ててくれていたから、年齢的には姉というほうがしっくりくるほどで、歳をとる、という言葉はまだ当てはまらないのだけれど。

 でも、私にはまちがいなく母だ。


 手を高く伸ばして振り返して、青になった信号をわたる。

 ながつきのつきと、菫の花。ほんとうは季節外れだけれど、薄い光に照らされてひっそりと咲くそれを私は思った。


 歩いてくるうちに月はもう高くのぼり、薄い黄色になって夜空に冴えている。母の隣に並びながら、もう一度見上げた。

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ながつきのつきと菫の花 伴美砂都 @misatovan

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