07 種子


               *


 爽やかな春の気候が居座り、この地へ降りて長い時が過ぎたような錯覚に陥る。まだ十日を経過したにすぎないが。

 美しく、眠りを誘うリゾートは、時間の感覚を曖昧にした――

 時折ふる雨はやさしい。雨雲は空を覆い尽くすことがなく、雲のない辺りから射す陽光が、細かい雨粒をキラキラ輝かせる。天から光の粒が落ちてくるようだ。短い雨の後は遠くの草原が霧でかすみ、大きく虹が架かった。

 基地を下る道の両脇に、湿りを帯びた青い絨毯がひときわ鮮やかだ。斜面を覆うネモフィラの花を撫でながらドロシーは歩く。触れると掌に露が付く。本当はネモフィラではないが、よく似た地球こきょうの花の名で呼ばれる。学者が付けた正式名など、とうに忘れられている。

 遅れがちなドロシーのために、デレクは何度も立ち止まらねばならなかった。

 蜜樹ハニーツリーの群生を越えた先にマキルの家がある。午後のお茶に招かれていた。

 またドロシーが立ち止まる。デレクは彼女の視線をたどった。

 蜜樹ハニーツリーの林で、幹に寄りかかかるように座り、惑星子ほしのこのカップルが抱擁を交わしている。互いの肩を抱き額を合わせている。うっとり目を閉じて、一体化した彫像のように。

 恋人たちの営みからは目をそらすべきだろう――当初は思ったが、彼らは隠そうとしないし恥ずかしがりもしない。

 惑星子ほしのこたちの愛の営みは、幼い男女のハグのようで微笑ましい。

「愛し合ってる」呟くドロシーの目が哀愁を帯びる。

 デレクは彼女の年齢を思った。もちろん人工冬眠コールドスリープ期間を除外してだが。――36歳。あまりに若い。恋愛をあきらめるには。

「額を付けて遺伝情報が送信されている。ファクシミリみたいに……」

「そんな言い方をしたら身も蓋もない」

「ボブよりマシ。交尾してるぜ、ってあいつは言う」

「彼らはどんどん変わっていくんだ。そのうち性もなくなるかもしれない」

「あの可愛らしい愛の儀式がなくなるの? 寂しいわ」

「ここは何でも合理的だからな。無性になって一体が一体を産むほうが、個体数を稼ぐには有利だ。その代わり多様性が失われるけど」

って何かしら。生きものは何のためにするのかしら」

「そうだな。ゴールは何処なんだろう」

 ドロシーは、ふいに額を押さえた。

「どうかした?」

「いきなり思ったの。神になるためだって。進化して、進化して、究極まで進化して、生きものは神にならなければならない。何故って、自分たちが今居る、この宇宙を創造しなければならないから……」

 意外なことを言った自分に驚いたようすで、ドロシーは眉根を寄せ首をひねった。

 ジョークかとデレクは笑う。「ニワトリと卵の話かい?」

 道脇の草むらで車座になり瞑想するグループがある。行き合う惑星子ほしのこもいる。だが、微笑むくらいで特に挨拶も会話もない。地球人オリジナルの相手はマキルとポーレに任せてあるから、というわけだ。

 精神の共有とはこういうことか。どうも馴染めない。

 どこかから歌が聞こえる。花祭りに歌われる輪踊りの歌だ。奇妙なメロディで地球こきょうの詩が歌われる。祭りが近い。

 マキルの家に着いた。二人の大使は親善と情報収集のためにドアをノックした。

 カントリー調の部屋でテーブルを囲み、木の実たっぷりの焼き菓子とハーブティでもてなされた。

 ドロシーは、まず〈寿命〉の話題を持ち出した。惑星子ほしのこの寿命は十数年、地球人オリジナルの五分の一ほどでしかない。この惑星に着陸したおかげで自分たちの寿命も縮んだと嘆くドロシーに、マキルは意外そうな顔をした。

「生死は相の違いでしかない。容器である有機体からだが滅びても、〈思念〉はエネルギー場で循環し続けます」

「エネルギー場ってのはニルヴァーナのことね。〈思念〉っていうのは?」

「〈自我〉を形成する意識エネルギーとでも言えばいいか。あくまでも、イメージを無理に言葉にすれば、ですが」

「基地のデータで知ったけど、ニルヴァーナは、つまり死後の世界なの?」

「亡くなった方々に逢える場所ということです。何と呼ぼうと自由ですが。あなたがたも、既に体験されたでしょう?」

「亡くなった家族や友人たちがニルヴァーナに居る。彼らの〈思念〉は地球からここまで飛んで来たのか?」デレクは訊く。

「距離は問題になりません。また、皆が来るわけではない。意思が尊重されるようです。生き物は自己を存続させたいと考えます。そのように設計されているから。だから、ほとんどはニルヴァーナに入るでしょう。しかし、存続を望まない、規格外の〈思念〉もないわけではない。それに、というケースもある。はニルヴァーナ以外の場所にとどまり残留思念となります。エネルギー場にいないので、いずれ消滅しますが」

「生まれ故郷では、〈成仏できない〉とか〈迷う〉とか言っていたな。そういうことか……」

「わたしは半信半疑。でも、あの世があると信じられたら幸せね。ママがそうだった。あの世があるから生前の寿命は短くてもいい。というより、早くへ行きたい――あなたたちもそう考えるのね」

「生きている間の持ち時間を問題にしているのなら、我々と地球人オリジナルの間に差はありません」

「ちょっと待って。あなたたちの寿命は五分の一のはずよ」

「たとえ千年の寿命があったところで、無駄に費やせば短いものでしょう」ポーレが夫の代わりに応えた。

「怒らないでください」マキルは子供のように無垢な瞳を二人に向ける。「は時間を無駄なことにばかり使っている。造っては壊し、また造る。争って和解し、また争う。そのような不毛な時間を差し引くなら、わたしたちの寿命は、あなたがたと変わらない」

 デレクとドロシーは顔を見合わせる。

 返す言葉もない。破壊と再生を繰り返した地球人は、とうとう不可逆的な破壊に行き着いたのだ。

「そうやってまわり道をするのが人生……いや、人間だと思うが」そこまで言って、彼らを扱いしない言い方をしたかとデレクは夫妻を窺った。が、気にしたようすはない。

「なるほど。思い悩んだり停滞したりがなければ、そりゃあスムーズな人生よね」ドロシーは自らの過去を振り返るような顔をする。「そういう時間を差し引けば、同じ寿命になるか。わたしたち、五分の四も無駄にしてるんだ。で、賢者の時間を生きている惑星子あなたがたは、極力無駄を省いて何をしてるの? 瞑想したり、けっこうヒマそうだけど」言い方が刺を含んだ。

 そんなニュアンスなど拾おうともせず、マキルは応えた。「すべきことが多過ぎて、時間が足りないのです。あと56億7千万年しかない」

「56億……」ドロシーの口は半開きで動きを止めた。

「それは何のリミット?」デレクが訊く。

「カウントダウンの時間です。宇宙が終わるまでの」ポーレが答えた。

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