07 種子
*
爽やかな春の気候が居座り、この地へ降りて長い時が過ぎたような錯覚に陥る。まだ十日を経過したにすぎないが。
美しく、眠りを誘うリゾートは、時間の感覚を曖昧にした――
時折ふる雨はやさしい。雨雲は空を覆い尽くすことがなく、雲のない辺りから射す陽光が、細かい雨粒をキラキラ輝かせる。天から光の粒が落ちてくるようだ。短い雨の後は遠くの草原が霧でかすみ、大きく虹が架かった。
基地を下る道の両脇に、湿りを帯びた青い絨毯がひときわ鮮やかだ。斜面を覆うネモフィラの花を撫でながらドロシーは歩く。触れると掌に露が付く。本当はネモフィラではないが、よく似た
遅れがちなドロシーのために、デレクは何度も立ち止まらねばならなかった。
またドロシーが立ち止まる。デレクは彼女の視線をたどった。
恋人たちの営みからは目をそらすべきだろう――当初は思ったが、彼らは隠そうとしないし恥ずかしがりもしない。
「愛し合ってる」呟くドロシーの目が哀愁を帯びる。
デレクは彼女の年齢を思った。もちろん
「額を付けて遺伝情報が送信されている。ファクシミリみたいに……」
「そんな言い方をしたら身も蓋もない」
「ボブよりマシ。交尾してるぜ、ってあいつは言う」
「彼らはどんどん変わっていくんだ。そのうち性もなくなるかもしれない」
「あの可愛らしい愛の儀式がなくなるの? 寂しいわ」
「ここは何でも合理的だからな。無性になって一体が一体を産むほうが、個体数を稼ぐには有利だ。その代わり多様性が失われるけど」
「進化って何かしら。生きものは何のために進化するのかしら」
「そうだな。ゴールは何処なんだろう」
ドロシーは、ふいに額を押さえた。
「どうかした?」
「いきなり思ったの。神になるためだって。進化して、進化して、究極まで進化して、生きものは神にならなければならない。何故って、自分たちが今居る、この宇宙を創造しなければならないから……」
意外なことを言った自分に驚いたようすで、ドロシーは眉根を寄せ首をひねった。
ジョークかとデレクは笑う。「ニワトリと卵の話かい?」
道脇の草むらで車座になり瞑想するグループがある。行き合う
精神の共有とはこういうことか。どうも馴染めない。
どこかから歌が聞こえる。花祭りに歌われる輪踊りの歌だ。奇妙なメロディで
マキルの家に着いた。二人の大使は親善と情報収集のためにドアをノックした。
カントリー調の部屋でテーブルを囲み、木の実たっぷりの焼き菓子とハーブティでもてなされた。
ドロシーは、まず〈寿命〉の話題を持ち出した。
「生死は相の違いでしかない。容器である
「エネルギー場ってのはニルヴァーナのことね。〈思念〉っていうのは?」
「〈自我〉を形成する意識エネルギーとでも言えばいいか。あくまでも、イメージを無理に言葉にすれば、ですが」
「基地のデータで知ったけど、ニルヴァーナはあの世、つまり死後の世界なの?」
「亡くなった方々に逢える場所ということです。何と呼ぼうと自由ですが。あなたがたも、既に体験されたでしょう?」
「亡くなった家族や友人たちがニルヴァーナに居る。彼らの〈思念〉は地球からここまで飛んで来たのか?」デレクは訊く。
「距離は問題になりません。また、皆が来るわけではない。意思が尊重されるようです。生き物は自己を存続させたいと考えます。そのように設計されているから。だから、ほとんどはニルヴァーナに入るでしょう。しかし、存続を望まない、規格外の〈思念〉もないわけではない。それに、何かに執着して移動できないというケースもある。彼らはニルヴァーナ以外の場所にとどまり残留思念となります。エネルギー場にいないので、いずれ消滅しますが」
「生まれ故郷では、〈成仏できない〉とか〈迷う〉とか言っていたな。そういうことか……」
「わたしは半信半疑。でも、あの世があると信じられたら幸せね。ママがそうだった。あの世があるから生前の寿命は短くてもいい。というより、早くむこうへ行きたい――あなたたちもそう考えるのね」
「生きている間の持ち時間を問題にしているのなら、我々と
「ちょっと待って。あなたたちの寿命は五分の一のはずよ」
「たとえ千年の寿命があったところで、無駄に費やせば短いものでしょう」ポーレが夫の代わりに応えた。
「怒らないでください」マキルは子供のように無垢な瞳を二人に向ける。「あなたがたは時間を無駄なことにばかり使っている。造っては壊し、また造る。争って和解し、また争う。そのような不毛な時間を差し引くなら、わたしたちの寿命は、あなたがたと変わらない」
デレクとドロシーは顔を見合わせる。
返す言葉もない。破壊と再生を繰り返した地球人は、とうとう不可逆的な破壊に行き着いたのだ。
「そうやってまわり道をするのが人生……いや、人間だと思うが」そこまで言って、彼らを人間扱いしない言い方をしたかとデレクは夫妻を窺った。が、気にしたようすはない。
「なるほど。思い悩んだり停滞したりがなければ、そりゃあスムーズな人生よね」ドロシーは自らの過去を振り返るような顔をする。「そういう無駄な時間を差し引けば、同じ寿命になるか。わたしたち、五分の四も無駄にしてるんだ。で、賢者の時間を生きている
そんなニュアンスなど拾おうともせず、マキルは応えた。「すべきことが多過ぎて、時間が足りないのです。あと56億7千万年しかない」
「56億……しか」ドロシーの口は半開きで動きを止めた。
「それは何のリミット?」デレクが訊く。
「カウントダウンの時間です。宇宙が終わるまでの」ポーレが答えた。
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