輪踊り
安西一夜
01 出発
ランニングシューズが着地するたびに、心地よい反発を大地から受け取る。こめかみを伝う汗が風に飛ぶ。
見渡すかぎりの草原を貫いて道が続く。道脇に群生する樹木――
デレク・タカノ中尉は徐々にペースを上げてゆき、丘の手前でフィニッシュした。
丘の上にはマキルのコテージがある。中から赤ん坊の声がする。昨日、
開いた窓からマキルが手をふった。
居間に通されると、妻のポーレが三人の赤ん坊を抱いてソファにいた。緑色の赤ん坊たちは、
この子らは、鶏卵大のゲル状卵に収まって産み落とされ、卵自体が数倍に成長したのち、ゲルの殻が溶解して誕生したのだ。初回に入植した
この
目の前の赤ん坊たちは、直前世代とはさらに異なる形質を持つのだろう。外観に目立つ変化は見えないが、体内のどこか――遺伝子レベルか臓器レベルか――で着実に変化は進むのだ。驚くほどの速さで。
「かわいいね」
どの子が男の子か女の子か、とは訊かない。雌雄同体だから。
デレクはメモリカードをマキルに手渡した。「日本という国の
やりとりを見ていた赤ん坊たちは、言葉を解するように微笑んだ。小さな唇が今にも礼を言いそうだ。それでも不思議はないが。
この平和な惑星――アルファnine――に銃声が轟いて、四日が経った。騒動の後、デレクはある決心をした。マキルもポーレも、たぶん赤ん坊たちも、その決心を知っている。別れが近いことを。感応力が研ぎ澄まされた彼らは、心を読めないまでも、〈共有意識〉を介してこちらの意向を察する。
マキルは寂しそうな目をしてこちらを見ていた。
「今度の輪踊りは、最大規模だそうじゃないか」
「とうとう実現するんです」マキルは興奮気味に言う。
「デレクも踊りますよね」ポーレは懇願するようだ。
「……踊りは苦手なんだ。でも、考えておくよ」
デレクはコテージを後にして、再びランニングを始めた。
遠くで花祭りの準備をしている。あと数日だという。風が巻きだして花嵐となった日から始まる祭りだ。祭りのメインは輪踊り。その歌が風に乗って聞こえる。異郷の不思議なメロディで歌われる歌詞は、
世界中の娘さんたちがみんな
手をつなぎ合う気にさえなったら
海をめぐって輪踊りを
踊ることさえできように
***
「パパが迷子になる」
そう言って泣き止まないミチルに、デレクは面くらった。
妹のナナも泣いている。
自宅のポーチでバッグを提げたデレクは、妻のアケミと困った顔を見合わせた。
フライトで
「あなたが迷子になる夢を見たっていうのよ、二人そろって」
「二人そろって同じ夢……」
出発前のデレクにしてみれば、あまりいい気持はしない。
聞けば、暗い宇宙空間にたたずむ父親は帰り道がわからなくなり、彷徨い歩きながら遠ざかる夢だという。
「〈七つまでは神のうち〉って、お
妻はイリノイ工科大の一級下、日本人留学生だった。
「日本のコトワザ?」六歳と四歳をじっと見る。
「あなただって半分日本人じゃない。聞いたことない?」
デレクは首を振る。小学校卒業まで父の生まれ故郷ニイガタで暮らしたが、記憶にない。
似たような話を、軍の心理戦研究に携わる友人から聞いたことがある。
論理的な思考を司る左脳が未発達な幼児は、潜在意識と繋がる右脳の働きが優位で、〈自己〉と〈外界〉の〈壁〉を越えやすい。
玄関が開く数分前に「パパが帰って来た」と言ったり、曲がり角のむこうに知人がいることを知っていたり、視点が別次元にあるかのような子供たちの挙動は、稀ではないそうだ――
「警告夢だと思って慎重に行動するよ」あまり気にせずに言った。
「案外、お姉ちゃんの夢の話を聞いて、ナナが自分も見たような暗示にかかったのかもしれない」妻は耳元に口を寄せてささやいた。
デレクはしゃがんで、両腕で二人の娘を抱いた。「いくら宇宙が広くても、迷子にはならないよ」
パパの体温に安堵したのか、しだいに大泣きが収まる。
「いつも、ちゃんと帰ってきただろう。約束を破ったことがあるかい? 今度も同じだ」
「ホントに?」ミチルがしゃくりあげて訊く。
二人の目を交互に見つめて頷くと、
「ゆびきり」ナナは覚えたての日本の契約を要求した。
娘二人と小指を掛け合った。
「絶対、ここへ帰って来るから。お嬢さんたちこそ、迷子になるなよ。ちゃんとこの家で待っていなさい。ママの言うことをよく聞いて」
「ずっと、ここで待ってるよ。お家で」ミチルが言った。
アケミとキスする。彼女は不安げな目をしていた。「わたしも待ってる」
「なんだよ、きみまで。大丈夫だって。いつも組むベテランチームだ」
六月。ボルチモアの空は驚くほどの晴天だ。
荷物を積み込み運転席から手を振って、ワシントンの宇宙軍オフィスへと発車した。
バックミラーの中で、白い家と家族の姿が小さくなってゆく。並んで見送る三人の夏服が朝の光に輝いている。庭のサイカチの緑がやけに鮮やかだ。まるで古い記念写真のように見える。
妙に後ろ髪を引かれる。いつもと違う……
――ばかばかしい。娘たちの夢を真に受けてどうする。
不穏な感覚を遮るために音楽をスタートし、絡む糸を振り切る思いでアクセルを踏んだ。
愛車は街を抜け、晴天へ駆け上がるようにハイウェイに乗った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます