吐き気がするほど愛してる
初夏みかん
第1話 最上階に君といる
「ねぇ、何してんの」
フェンスを乗り越えようとした体勢のままぐるりと首を巡らせ、貯水タンクの上からこちらを
太陽が隠れたことでいっそう鮮やかになった影のなかでにやにやと笑うその瞳は、玩具を見つけた猫のように爛々と輝いている。
「飛び降りるの」
「何故?何のために?貴女がその狭い足場から空に羽ばたくことになんの意味があるというの?」
わざとらしい。下手な役者の劇中台詞のほうがまだましだ。
それに、私が望んでいるのは空を飛ぶ事ではなく空から奈落の底に真っ逆さまに落ちること。今にもその華奢な背中から大きな羽根を生やして羽ばたこうとする少女とは真逆に逝きたい。
フェンスを乗り越え、靴を脱げば少女が背後に降りてきた。スカートのポケットからペンチを取り出し――なんでそんな物持ってるんだこの人は――滅茶苦茶なリズムと音程の鼻唄に合わせ、パチンパチンとフェンスの網目を無き物にしていく。
長方形の形に切り取られたフェンスはぽいと無造作に放られ、耳障りな音と共に屋上に倒れ伏した。
「何がしたいの」
「貴女を愛でたいの」
するりと腹部に回ってきた腕を払い除ける気にもなれず、好きにまさぐらせる。
「私のこと何も知らないくせに」
「知ってるよ」
「嘘つき」
「さてどうだろうね。三年二組の桜木さん」
「あら、名前は覚えてたのね。意外だわ同じクラスの菊川さん」
菊川、という名前をこの学校で知らない人はいないだろう。
実の親には捨てられ貰われた先では虐待。母親からの売春強要。父親からの灰皿兼サンドバッグ扱い。アルコール中毒と拒食で死にかけたこともある。クラスで一度も出席した姿を見たことのない包帯と痣にまみれた少女。
理事長が実は上客で、体を売って入学した、と根も葉も証拠もない噂が真しやかに囁かれている。
「可哀想、なんて言ったら貴女は怒る?あぁでも、貴女が激怒する姿も見てみたい」
するすると這い上がってきた右手は顎をくいっと掴み上げる。恐ろしさすら感じさせる吸い込まれそうな空が、眼球の裏まで染め上げていく。
「だってその様はとっても」
「美しいから?」
烏だろうか、バタバタと一羽の鳥が騒々しく飛び去った。
「君は未来が読めるの?」
「ありきたり過ぎるのよ。つまらない」
ようやく正体を現した素の姿はあまりにも幼く無垢で、暴いてもらえたことに歓喜していた。
なんて嬉しそうなんだろう。背中に押し付けられた球形は小刻みに震え、押し殺した不器用な笑い声が聞こえてくる。
いっそ、この子を道連れに三途の川を渡るのはどうだろう。似たような者同士、案外あの世でなら気が会うかもしれない。
そうして一歩踏み出そうとしたとき、耳に腰が砕けそうになるような甘ったるい吐息が吹き込まれた。
「私ね」
腕を引かれ、肩を抱き寄せられ、目に惹かれ、唇を奪われた。
「貴女に興味はないけど貴女の物語には魅力を感じているの」
高校生三年生、夏。
私は学校の屋上で、背筋が凍りつきそうな微笑みで、脳が蕩けそうな熱烈なプロポーズをされた。
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