悪夢の狭間に夢持屋

水硝子

一章


 夢を見た。

私は小学生だった。両親に買って貰ったランドセルが嬉しくて、学校がない日でもランドセルをしょって、部屋の中で遊んでいた。流石に友だちと遊びに外に出る時は持っていってはなかったけど、時折家の方へと向ける視線は、どう見てもランドセルを欲していた。

 それを見ていた両親は、凄く嬉しそうな顔をしていた。それを見ているのも嬉しくて、私はさらにランドセルを手放せなくなっていた。

 そうやって月日が過ぎ、私は中学生になろうとしていた。そんな頃、両親からスクールバックをプレゼントされた。それもまた、ランドセルと同じように、一時も離さずに持ち歩いていた。休日に制服でいても変な目で見られることはなくなったから、休日も制服で外を飛びまわっていた。

 ある時、中学校へと行くと、私は笑いものにされていた。意味が分からなかった。話しかけても、誰も反応してくれないのだ。

「どうしてわたし、無視されるの?」

 そう教室内で声を上げてみれば、クラスの中心人物であろう人が、私の机に腰かけながら、こちらを見ていた。

「そりゃオマエさぁ、キモチワルイからだよ」

 スクールバックを片時も離さない理解できない存在。私はそんな人だと、クラスメイトに思われていたのだ。呆然とバックを片手に立ちすくむことしか出来なかった私を見て、クラスメイトはくすくすと、陰口を言うように笑っていた。

 そのとき、電話が鳴る音が響いて、中学生の私の肩が震えた。

 ……電話?



 重い瞼を開ければ、眩しい光が差し込んできた。思わず布団に潜り込み、暗闇の空間へと戻る。

 しかし、ずっとそうしているわけには行かない。手探りで、頭上に置いたであろう携帯の姿を探す。

 かつり、という固いものに当たる感覚に手を止めれば、それを覆うように掴んだ。

 瞳だけを布団から出し、携帯の電源を入れる。映し出されるのは口元に何かを咥え、自慢気に見つめている茶色のトイ・プードルの写真。 それを数秒眺めれば、流れるように視線を上にあげた。

 視界に入るは丸型をしたデジタル時計。

 時計の短針は、ようやく重い腰を上げたというように、十二を指したところだった。

 なんだ、まだ十二時か、と布団を頭まで被り再度布団に潜る。しかし何かが引っかかり、また携帯の電源を入れれば、時計の下に表示される日付に目を向けた。

六月三十日、金曜日。

「……金曜日ぃ!?」

 勢い良く布団から飛び出し、クローゼットに入っている一番上の服を手に取る。その下の棚を開ければ、また一番上のものを手に取った。迷っている暇は無い。もう遅刻確定だ。

 慌てて部屋着を脱ぎ捨て、先程手に取った服たちを着ていく。一番上にあったのがスキニーパンツと、空色のTシャツでよかった。ここでビタミン色のモノがきていたら、流石に着るのに抵抗があったところだ。鏡を前に、身だしなみを確認する。そして勢い良く身体を翻せば、玄関先に置きっぱにしていた紺色のビジネスバックを手に取ると同時、家を飛び出した。


「え、夢を貰ってくれる人……ですか」

 自分のデスクに着いてすぐ。上司から振られた仕事に唖然としていた私に掛けられた言葉は、現実味の無い、ファンタジックな世界の話だった。

「そう。三萩ちゃん、確か夢見に悩まされてたよね。ちょっと行ってみたらどうかな?」

「え、っと……考えて、おきます。仕事終わらないうちは、行けそうにないので」

 優しく微笑みかけてくる先輩の眩しい瞳を見ることは出来ず、パソコンに視線を向けたまま、私は小さく頷いた。

 いつだって一宮先輩は優しい。多少のミスなら笑って、大丈夫だよと励ましてくれたり、いつの間にか修正をして提出してくれてたりしたこともあったという。世の中ではお節介、とまとめられる部類の人なのだろう。ちょっとしつこいと思うこともあるけれど、私は少なくとも嫌いではなかった。

「うんうん。そうしな。三萩ちゃんと、前みたいに一緒に全力で競い合いながらお仕事したいな、私」

 柔らかく笑いながらそう言い残した先輩は、机の中央にカップに入った小さなゼリーを置いて、自分の作業デスクへと戻っていった。

 ハートの形をした可愛らしいそのゼリーは、どこか一宮先輩を連想させた。置いていったということは食べていい、ということだろうか。きっとそういうことなのだろう。

 マウスを持たぬ左手でゼリーを手にとれば、その下からひらりと舞う可愛らしいハート型をした桃色の付箋に目がいく。

 机の上に落ちたその付箋を手にとってみれば、そこには夢を貰ってくれる人のお店であろう店名と店主名が、先輩らしい丸文字で丁寧に書かれていた。

 自分の字と比べると、一宮先輩の字の方が大人っぽく見えて、可愛らしい。

 同じ人間なのに、どうしてここまで差がでるのだろう。同じようなスーツを身に纏っているはずなのに、先輩のほうが何十倍も可愛く見える。ルックスの問題といわれればそうなのかもしれない。けれど、それだけの問題で片付けられるのも少々癪なものだ。

 パソコンにホーム画面が表示されたのをきっかけとして、雑念たちを追い出すように、軽く両頬を叩く。痛みがまた覚醒しきっていなかった脳を回転させていく。

 しかし、先ほどの夢を貰ってくれる人の存在が頭から離れることは無かった。


「…………」

 息を呑み、人気の少ない裏路地へと入る。そして路地裏を抜ければそこには異世界が……! なんてこともない、ただの深夜の裏通り。

 割り振られた仕事の量は絶望的ではあったものの、何とか終わらせることができた。しかし時間はもう日付を越していて、終電もない。ただ私は数十キロと離れた自分の家に向かって、歩みを進めていた。

(……そういえばここ、一宮先輩の言っていたお店の近くか)

 ふと顔を上げ辺りを確認してみるも、それらしいお店らしきものは見当たらない。地図を見ることに集中してしまい、周りが見えなくなるのは自分の悪い癖ではあるが、それでもお店の場所を見つけられない、ということは今までなかった。

 先輩の話はデマだったのか。私を陥れようとした偽りの話なのだろうか。そんな考えを巡らせながらも路地裏を進んでいく。

 先ほどまで点在していたお店すらももう無くなり、辺りは静まり返っていた。

 携帯の地図を頼りに自宅方面へと向かっているはずなのだが、道選びに失敗しただろうか。本当に何も無い裏通りという感じで、何かが出そうな勢いだ。そう考えると急に周りの温度が下がったような気がして、カーディガンを羽織り直した。

「そこのお姉さん。俺に夢を売らない?」

 突如上から降りかかったアルトボイス。

 何事かと思い視線を上げる。すると、塀の上に藍色の髪をした青年がこちらを見ながら、静かに笑っていた。

「……誰、ですか」

 右肩に掛けていたバッグの紐を両手で握りこみながら後ずさる。どう考えても変質者にしか見えない。何故塀の上にいるのだろうか。真正面からでも良くないか? そんな考えばかりが脳内を渦巻く。

「俺は近くで夢売りをしてる。壱夜って呼んで」

「いちや……」

「そう、漢字の壱と夜景の夜で壱夜。お姉さんは大分面白い夢を持ってるね。そのご両親はお亡くなりにでもなった?」

 ひらり、と塀の上から飛び降り、私の目の前に着地した青年――壱夜は、ぐさりと心を抉る刃物を突き刺しながら、にごりも何も無い綺麗な瞳をこちらに向け、小さく首を傾げた。

 私の両親は夢の中にあった出来事の後、二人とも亡くなった。心中だと周りでは噂されていたが、それならば何故私は置いていかれたのだろう。

 壱夜が発した言葉に反論することもせず、ただただ私は俯き、バッグの紐を強く握ることしか出来なかった。

 途端、ひやりとした感覚が頬を襲う。はっとし顔を上げれば、そこには両頬に手を当てこちらを見つめている壱夜の姿があった。数秒視線が交わる。空色の瞳が快晴の空のようで、綺麗だと思った。しかしはっと我に帰れば、その手を振りほどくように彼から一歩離れる。

「……なっ、何するの」

「お姉さん悲しそうな顔してたからつい、ね」

 まだ感覚の残る手の冷たさに頬が染まっていくのを感じ、私は軽く顔を左右に振る。

 他意はないよ、とでも言うように、壱夜はひらひらと両手を振りながら、安っぽい笑みを浮かべていた。

 ふと、壱夜、という名前をどこかで見たような気がして、思考を巡らしてみる。視線を彷徨わせていれば、左ポケットに入れていた一宮先輩のメモが視界に入り込み、慌ててそのメモ書きを取り出した。

“夢持屋(ゆめもちや):瀬戸内 壱夜”

 そこに書かれた名前は、完全に目の前の人と、名前の漢字も読み方も一致していた。

「……貴方、夢持屋っていう、夢を貰ってくれるっていう……」

「あれっ? 知ってたの? なんだ、それなら話が早い」

 驚いたように両目を見開き、私を指差す姿は演技がかっているお芝居のように見えたが、それにツッコミを入れるのは面倒に思えて、やめた。

「俺に三萩 千里さんが見た夢を売ってほしいんだ。もちろん、お礼は弾むよ」

「……え?」

「だから、俺に君が見た夢を売ってほしいの」

 ずり落ちそうになったバッグを持ち直し、改めて壱夜を見つめる。

「……貴方、夢を貰ってくれる人、よね」

「そうだよ?」

「……自分から動くものじゃないでしょ?」

「最近は夢を売りに来てくれる人が少なくてねぇ」

 やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめ、頭(かぶり)を振る姿には多少イラっと来るところがあったが、きっとそれも彼の性格なのだろう。ツッコミを入れたら負けのような気がする

 夢を売る。先輩からその話を聞いていたとはいえ、眉唾物の話である。要らない夢を売りに行けば何かと交換してくれるのだろうし、悪夢ばかり見る人にはもってこいの話なんだろう。

 悪夢ばかり見る性で、寝つきが悪い。確かにそれは私であり、どうにかしたいところではあるのだが

「……でも私、この夢は売れない」

「えっ、なんで!?」

 その言葉を予期していなかったのか、目を見開き――今度は素であろう――驚いたような視線を向けてきた。

「君の夢の中、全てが悪夢って感じなのに?」

「思い出があるからよ」

「……思い出」

 復唱した壱夜の声が、夜空に溶け込んでいく。

「ただの悪夢だったら、そりゃ私だってどうにかしたいって思うわよ。でもこれ普通の悪夢じゃないの。私が忘れちゃいけない夢……思い出、記憶の夢だから。だからこの夢は売れない。いくら夢を買ってるっていう壱夜さんだって、夢の部分だけを取り除くなんて、出来ないでしょう?」

「出来るよ」

「……え?」

 濁りの無い瞳と視線が混ざり合う。彼の思考は読み取れない。しかし、彼は先ほどのように笑みを浮かべることは無かった。

「悪夢を取り除いて、記憶は残す。それが俺の専売特許だから」

 私の栗色をした髪を掻き上げながら彼の指が耳に触れる。途端、キンッ……という超音波のような、金属音が耳の中に響いてくる感覚。一瞬の出来事であったから耳が痛いと感じることは無かったが、耳の中でその金属音が反響して、変な感じだ。

「……え、なに?」

「それは貸しにしてあげる」

「は?」

「俺の力が理解できたら、今度はちゃんと、お店に来てね」

 ふわり、と彼の周りには重力がないのかと言わんばかりの軽い動作で塀の上に舞い戻る。

顔だけをこちらに向けた彼は、ウィンクを一つ飛ばし、夜道の中にふわりと飛び立って行った。

まだ冷たい感覚の残った耳に触れてみる。自分が触れたところで金属音は鳴らなかった。

なんだったのだろう。頬に触れられた時は何にも無かったのだから、そう考えると不思議だ。

 しかし一人残された私に考える術は持ち合わせていないのである。この正体を知っているのは先程の青年、壱夜だけ。

 先程の現象を追及するには、彼のお店へと足を運ぶしかない。しかし今からお店の扉を叩くのも違う気がするし、第一お店の場所を良く知らないから行くことすらも今はできない。

「……あ、いけない。ミルキィにご飯あげなきゃ」

 夢持屋を頭から振り払うように左右に振れば、途端戻ってくるは、愛くるしい飼い鳥の存在。朝バタついたせいで、ちゃんと餌をあげられていなかったことを思い出し、顔を上げる。

 まずは身の回りのことから。夢は二の次でいい。そう自分に言い聞かせるように真っ直ぐ前を向けば、力強く足を一歩踏み出した。


 夢を見た。

 私はやはり小学生だった。ランドセルを背負い、やはりまた楽しく遊んでいた。今となっては何故あんなにも両親のくれたものを手放したくなかったのかは謎であるが、きっと何か当時の私にはあったんだろうな、と考えるようにしてから、特に気になることはなくなった。

 また私は今日も、一人で人形を使って遊んでいるようだった。

「……のよ、……なを……じゃないの」

「……?」

 ふと、いつもの夢ならば聞こえない両親の声が聞こえ、小学生の私はふと顔を上げた。小さく扉が開いていて、そこから二人の声が漏れ出しているようだった。好奇心旺盛な私は、足音を立てぬようその部屋に近づき、耳を立てた。

「それだと千里が可哀想じゃない。置いていくことになるのよ?」

「でもそうするしか方法が無いんだろう?」

「そうだけど……」

「なら、そうするしかないんだよ。小百合。わかってくれ」

「……っ、う……」

 私はまた足音を立てずにその場を離れれば、駆け足で遊んでいた場所へと戻った。

 どういうことだろうか。両親は私を見捨てたわけではなかったのだろうか? いや、置いていったことには変わりないのだが、もしこの話の内容が実際に行われていたとしたら。そう考えると前まで両親に抱いていた感情とは違うものになる。

 しかし、小学生の私にはもう聞き耳を立てる勇気はなかったようで、人形を片手に、遊び始めていた。

 もう片方の手はランドセルを握って、離さないでいた。

 きっと、小学生の私は気がついて居たのだろう。だからあんなにも、両親から貰ったものを離すまいとしていたのだろう。

 そう考えれば、自分の貰い物に対する執着心の謎が、解けたような気がした。


「へっ……くしゅっ!」

 自分のくしゃみの声で意識が覚醒し、ゆっくりと目をあけた。

 そこはどうやら自分の部屋ではなく、リビングのソファーの上のようだ。洗濯物を畳みながら寝てしまったのだろう。あたり一面には、畳み掛けの服が散乱していた。

 春色のTシャツを手に取れば、まだ朦朧としている意識の中、まじまじと見つめる。

 先程見た夢は、悪夢に近いようで、悪夢ではなかった。寧ろ、自分の記憶を引っ張り出されたような感覚。

「……」

 慣れた手つきでそのTシャツを畳めば、完成されたシャツのタワーへと乗せる。

 壱夜、のせいだろうか。夢だけでなく、悪夢となっている一部だけを取り除くことが出来るとも言っていた。それならば、私の夢の一部だけを変えることも出来るはずだ。正確には、夢を事実に直した、が正しいのかもしれないが。

 彼は“貸し”とも言っていた。

(確かめるには結局、行くしかない、か……)

 真意を知るには、やはりまた彼に会いに行くしかない。全てを知っているのは壱夜だけであるのだから。

 ソファーから立ち上がり、携帯の電源をつける。まだ日付は変わっていなかった。今からでも寝れば、明日ちゃんと起きられるだろうか。

 仕事疲れのせいで重い身体を引きずるようにしながら、私は部屋へと倒れこんだ。


「あ、おはよう三萩ちゃん。夢持屋、行った?」

 次の日、軽い足どりで仕事場へと躍り出れば、いつも通り一宮先輩が話しかけてくれた。私はその言葉に小さく頭を振り、苦笑いを言うかべる。

「いえ。でも近くを通ったので探そうと思ってふらついてたら、店主の方から現れてくれました」

「あはは、あの店主いつも飛び回ってるからね。……だから顔色が良いんだ」

「え?」

 一宮先輩は私のデスクの上に、珈琲の入ったカップを置きながら、柔らかく目を細めた。

「だって三萩ちゃんの目、いつもより凄い活き活きしてるもん。私も負けないよ、営業!」

「そうですか、ね? ……仕事なら私も負けませんよ、今日の朝一で営業一つ終わらせてきました」

「えっ、なにそれ早い! うぅ~私だって負けないんだから!」

 慌てたように自分のデスクに戻っていく一宮先輩を横目に見つめながら、私はパソコンに向き合う、

 珈琲の湯気が顔に当たってこそばゆい。しかし、そんな湯気にも応援されているような気がして、いつもよりほんの少し、心強かった。


「売りたい夢があれば、いつでも夢持屋、瀬戸内まで、どうぞ」

 そんな声が、耳の中で響いたような気がした。

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