PUNK GIRL'S ODORIBA REVOLUTION

蒼舵

1

 北校舎四階屋上前踊り場は金井浩幸の特等席だった。とはいえ、そこにある「席」とはすなわちお役御免になった廃棄待ちの椅子ばかりであり、いつか崩壊するであろう不安定な積み上げられ方で、錆びた脚が天井に向かって生えているという有様だった。

 通学路のコンビニで購入したカルビ弁当と緑茶を手に、浩幸は南校舎二階から中通路を渡り、二階分の階段を登る。ぼそぼそと独り言を呟きながら、肩身の狭い教室から解放された束の間の休息に心を落ち着ける。

 浩幸にとって昼休みは放課後の次に待ち遠しい時間だった。一人きりになれるからだ。愛想もなく、対話も得意ではない彼はしかし、そういう己に特段のコンプレックスを抱くこともなくこれまでを生きてきた。別に一人でもいい。むしろそれは素晴らしい。「孤独」などという言葉で自らを取り繕おうとはしない。


 特等席は目と鼻の先、しかし浩幸は、中段踊り場で立ち止まった。

 最上段踊り場に、先客がいた。

 ここには普段誰も来ないはずなのに。表情にはそんな想いが浮かぶ。生徒たちの教室がある南校舎から離れ、人気のないこの場所までわざわざ来たというのに。

「なに?」

 上靴の色を一瞥し、同じ学年だと認識したらしいその少女は、低く言い放った。

「えっと」

 何、じゃないだろう。言葉は脳内で留まる。切り揃えられた一文字の前髪に、現代風の鬢削ぎ。肩より長いストレートヘアは密度の高い黒。

「なんなの? はっきり言ったら?」

 着崩した制服。髪をかけた左耳にはピアスの穴がひとつ、ふたつ。手には校内使用禁止のはずの携帯端末。耳の生えた、持ちにくそうなピンクのシリコンカバー。爪先は色鮮やかで、細い左の手首にはブレスレットや髪留めが巻きつく。

 かまぼこ型の大きな目は、悪態をつくには少し垢抜けなさすぎる。

「……昼休み、僕はいつもここで過ごしてるんだよ」

「……で?」

「今日は、平崎さんがいた」

 自らの苗字が呼ばれたことに驚いた彼女は、少しだけ首を伸ばした。

「……え、なに、あんたと喋ったことあったっけ?」

 平崎真夕架。

「ない。けど、同じクラスだから」

「……あぁ」

 浩幸が少女の名を知っている理由は他でもなく、同じクラスだからだった。納得したのかしていないのか、真夕架は興味なさげに首肯した。

「……で?」

「いや、……その」

「僕が先に見つけたから僕の居場所なんです~って言いたいの?」

 率直に言ってしまえばすなわち、そういうことだった。浩幸はしかし、穏便に済むよう別の言い回しを探す。

「いや、その。別に、いてもいいんだけど」

 他人とはあまり話さない。だから、クラスメイト達のような、気の利いた、適切な、当たり障りのない言葉を、上手く選ぶことができない。

「他に行く場所、ないから。僕も、ここにいるけど、それでいいなら」

「……別に。勝手にすれば」

 そのどうしようもない率直さを受けてか、真夕架は不愛想に返事をした。

「うわ、ちょっと、ニオイ強いんだけど。やめてよ」

 階段に足を投げ出すようにして、踊り場に座り込んだ浩幸は、さっそく昼食のプラ蓋を開く。コンビニ弁当特有のべったりとした匂いが、二人のいる沈黙に広がる。

「やめて、って言われても……」

「一人分そっち離れて。あたしも離れれば二人分」

 彼女は言うと同時に、自身の右手側に大きく移動した。弁当を抱えながら、浩幸も人ひとり分、左手側の壁に寄る。

「……あんた、名前は」

 蛍光色のシリコンケースに視線を落としながら、片手間のように真夕架は尋ねる。

「金井浩幸」

 咀嚼を止め、短く答え、再び食事に戻る。薄暗い最上階。足元にうっすらと溜まる埃。

「聞いたことない。ほんとに同じクラス?」

「そうだよ。……まぁ、いてもいなくても変わらないけど」

「ああ、なに、教室に居場所ない系?」

「うん」

「素直だね」

「他に適切な言葉が見当たらないし。否定しても仕方ないよ」

 そう言って、再び沈黙。うっすらと漏れ聴こえる音の出処は、真夕架の携帯端末から伸びるイヤホンだった。しかし彼女は、そのコードを首に回しかけたまま、再び耳に装着することはない。きっと気紛れだろう。横目で窺う浩幸はすぐさまその視線を割り箸に落とす。

「……平崎さん、また学校来るようになったんだね」

「え、何それ、きも」

「あ……いや、ごめん、別に、変な意図はないよ」

「変な意図って何」

「……平崎さんは、その、目立つから。いろいろと」

 ふらりと教室に現れたと思えば、いつの間にか姿を消している。それでもクラスメイトは、彼女が来る度に噂をする。退屈な毎日に現れる異物。見世物。自分とは違う生き方。普通からはみ出せることに対する嫉妬、憎しみ、裏返した少しの憧れ。

「まぁ、あたしも、居場所ないし」

 その原因は幾分か平崎さん自身にあると思うよ。その言葉を、浩幸は白米で塞ぐ。教室に居場所がない原因は自分自身にある、それはまさに自分自身に言えてしまうことだからだった。自明なことをわざわざ言われて気分のいいものではない、それは自明なことだった。

「その性格でしょ? 居場所がない理由。あと見た目」

「……じゃあ言わせてもらうけど、平崎さんが教室に居場所がない理由も、その性格と見た目だと思うよ」

「うん、知ってる」

「自明だ。僕も君も」

「一緒にしないでくれる?」

「してないよ。同じなわけないよ」

「まぁ、そろそろ変えてやろうと思ってる」

「……変える?」

 その言葉に返事はなかった。沈黙が訪れ、真夕架は再び携帯端末を触り始める。

 浩幸は残りのカルビ弁当を食べ終え、緑茶を飲んで一息ついた。

「ねぇ」

 携帯端末の液晶が消える。黒い画面に反射する真夕架の唇が、動く。

「……あんたも、ないんでしょ。居場所」

「うん、まぁ」

 ふたりの視線は虚空を捉えたまま、一息の静寂。

 窓から射す光が、舞い上がる埃を浮かび上がらせる。

「あたしの革命、手伝う気ある?」

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