果て無きリンボの境界線

罵論≪バロン≫

序章

「それがお前の結末だ」


 地獄の底のようだった。


 大地を穿つクレーターの底には、地上の戦火、その赤い光は届かない。もうもうと立ち込める蒸気は全てを溶かすような熱気を孕み、焦げた大地の表面は真っ黒に染まって元が土なのか炭なのか判別が付かない。彼方此方あちらこちらに見える炎の光は、大地の溶けた傷口そのものだ。圧倒的な熱量を叩き付けられ、吹き飛ばされた破壊の跡、その名残である。焦げた表面を引き裂いて、血潮のように炎を噴き出したり、或いは垂れ流したりしているその様は、伝説に語られる煉獄を思わせた。光の一つ一つは直視することが出来ないくらいに眩しいのに、不思議と「明るい」とは思えない。煉獄の光に満ちて尚暗く、昏い、陰鬱な闇の底だった。


「――……」


 歯を喰い縛っていた口の隙間から、、と弱音が漏れたような気がした。今なお身体を煉獄の炎に炙られているにも関わらず、その熱は身体の中心には決して届かない。熱だけではなく、全ての感覚が曖昧且つ不明瞭で、昏く、冷たかった。視界は薄闇を被せられたように見通せず、感覚はふわふわと浮いているかのように覚束ない。ただ、自身の胸から“熱”がボタボタと零れ落ちていく感覚だけが鮮明で、確かなものだった。“熱”が身体から漏れていくのに比例して、力は入らず、意識も真っ黒に塗り潰されていく。身体は手に携えていた大太刀を支えにして引き摺らなければ前に進まなければならないほど、重い。そのくせ意識だけは、吹けば飛んで行ってしまいそうなくらいに軽いのだ。全てを投げ捨ててこの場に倒れれば、きっと自分はもう、二度と起き上がる事は出来ないだろう。極限まで回転が鈍くなった頭でもそれだけは理解出来ていた。


「××××……――」


 それでも歩みを止めなかったのは、をまだ見つけていなかったからだ。


「××××……――!」


 既に自分の声が、ちゃんと意味を結んでいるのかも判別が付かなかった。それでも届けとばかりに彼女の名前を叫び、彼女の返事を聞き逃さないよう耳を澄ます。


 この穴の底に居る事は確かなのだ。きっと、まだ何処にも行っていない筈だ。


 異様に重たい自身の身体がもどかしい。思い通りに動かない自分の手足が恨めしい。


 執念と焦燥に燃料にして、大穴の底を一歩、また一歩と彼女を探しながら進んでいく。


 びちゃり、とこれまでとは違う感覚を足の裏に感じたのは、果たしてどれほどのときが経った後だったか。これまで無かった感覚に意識がハッと引き戻されると同時に、最早殆ど闇に覆われた視界の中に、鮮烈なが一輪、その花弁を四方にのが見えた。


「――……!!」


 自身の足元に突然穴が開いた時のような、全身の毛穴が一気に開く嫌な感覚がした。徐々にその活動が緩やかになっていた筈の心臓が痛いほどに跳ねて、その反動でドクドクと激しく身を捩り始める。


「――」


 声が出ない。


 の中心に横たわる、白い影。四方に手足をだらりと投げ出し、薄く開いた眼にはこの場の何も映していない。彼女の身体から漏れ出していく赤い花の花弁が今なおジワジワとその領域を広げていくその様だけが、彼女が見せる唯一の動きだった。


「××──……」


 自分は今、彼女の名前を呼ぼうとしたのだろうか。それとも別の言葉を紡ごうとしたのだろうか。


 分からない。


 何も、考えられない。何も、判断付けられない。


 そんな、そんな事よりも。


 ××××。××××が。


「──ああ」


 地面に突いた両膝が、粘り気のある水音を立てるのが、何処か遠くの方から聞こえた。


 静かに虚空を眺める彼女の頬に触れても、彼女は最早此方を見てくれない。髪に触れてもくすぐったがる事も無いし、掻き抱いても驚きに身を硬直させる事も無い。


「ああ、あああ……!」


 ダラリと全身を弛緩させたまま、されるがままになっている彼女はもう、。世界中の何処を探したって、世界の境界を越えて探しに行ったって、彼女は、もう、何処にも居ない。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……ッッ!!!」



 俺は、なんて事を。


 喉が破れて声に血が混じる。


 涙腺が裂けて血が溢れる。


 涙も慟哭も、悔恨も悲嘆も、何の意味も成さない事を知っている。けれど、馬鹿か痴呆のように虚空を睨んで上げる叫び声は、どうにも止まらなかった。自分では止める事が出来なかった。




 ――……ああ。嗚呼。




 俺は、何て事を。






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