第2話 夏(4)
「おい! 航はどこ行ったんだよ!」
「あっちで女の子に捕まってます! 大地! この焼きそば青のり抜きだよ」
「やべ、間違えた! 茂田さんすみません。もう一個焼きそばいいですか?」
バタつく店内。茂田さんは汗まみれになりながら焼きそばやたこ焼きを作り、俺は出来上がった料理に盛り付けを行い、それとは別にポテトやかき氷などの注文も俺が担当していた。
元喜は一人で店内と外を走り回り出来上がった料理やジュースを注いで運んでいた。
本来なら航と二人で行う筈だが、なにやら女の子に捕まって逃げられないらしい。
さっきまでの暇が嘘のようにお客が流れ込んできて、時刻は正午を回ったがお客の足取りが減る様子も無かった。
「元喜! これ三番テーブルのお客さん!」
茂田さんが大きな声で料理が上がった事を元喜に知らせる。
「了解です!」
店内の床は海の水や砂で滑りやすくなっていたようで、俺の目の前で元喜がたこ焼き片手にひっくり返る。それと同時にトレーの上に乗ったたこ焼き達が宙を舞った。
その姿は見るも無残な姿だった。
ようやく今日一番ラッシュが終わり、俺と元喜はカウンターに這いつくばるように寝ていた。
「ほい、これ食って元気出せ」
出てきたのはカレーライスだ。上には唐揚げやポテト、たこ焼きなど色んなおかず乗っていた。
「今日はすみませんでした」
俺は茂田さんに謝罪したが、茂田さんは「初日からちゃんと出来る奴なんていないよ」とビールを片手に、もう片方の手で煙草を吹かしながら言った。
Tシャツや頭に巻いたタオルは汗でビチョビチョになっていて体は最高に気持ち悪かったが、不思議と悪くない気分だ。
茂田さんは「明日からまた頼むぞ!」と言ってくれた。
今日の失敗は勿論反省するが、今は目の前のカレーを食べる事の集中する事にした。
「おう、お疲れ。やっと解放されたか?」
「はい。やっと放してくれました」
航がやつれた表情で向こう側から歩いて来た。
「疲れた」と呟きながら元喜の横に腰を下ろした。
こいつは今日一日色んな水着のお姉ちゃんに捕まり、ほとんど店の手伝いが出来ていなかった。
茂田さんが最初に航は店の看板になると言った通り、店の客層は若い女性が多かった気がする。
日頃から人とそんなに関わらない航はかなり疲弊しているように見えたが、俺からすれば羨ましい限りだ。茂田さんが航の分のカレーを作ってくれ、俺達三人はひたすらカレーを食べ進めた。
ご飯を食べ終えたら後は片付けをして今日のバイトは終わりだ。
「ヤッホー」
陽気な声が遠くの方から聞こえてくる。声の方へ向くと女四人組がこちらに歩いて来るのが見えた。
よく見るとその内二人は歩実と夢だった。
昨日、元喜言った通りクラスの女子を連れてやってきたのだ。四人は水着の上に少し大きめのTシャツを着ていて、歩実は恥ずかしそうに身をよじながら夢の後ろに隠れている。
「お疲れ様。忙しそうだったね。もう落ち着いた?」
「やっと落ち着いたよ。死にそうだった」
俺は最後の一口を飲み込み夢に言った。
「バイト終わったら少し海で遊ぼうよ」
「片付けが終わったら行くから待っといて」
じゃあ後でね、と夢は手を振り四人は海へ向かった。
「ご馳走様でした」
ボロボロの足で立ち上がり、茂田さんにお礼を言った。
「あれはお前の女か?」
「え? 違いますよ! クラスの友達です」
俺は首を大きく左右に振った。
茂田さんは疑うように俺を睨んで「本当は?」としつこく聞いてきたが、何度も違うと説明してようやく理解してくれた。
それから茂田さんは夢の事を「あの子は良い女だな」と絶賛していた。
確かに夢はすごく魅力的な女性だが、今俺の脳裏に焼き付いているのは歩実の水着姿だけだ。
夢程スタイルが良い訳では無いが、歩実もかなりのモデル体型で、制服の上からではわからない体のラインが、歩実の色気を更に引き立てていた。
そんな歩実の事を俺は直視出来なかった。
モテる男や気の利いた男はここで「似合ってるよ」「綺麗だね」なんて言葉を掛けられるのだろうけど、口下手な俺には当然無理難題であった。
俺は急いで店の跡片付けをし終えると、エプロンをカウンターの椅子に掛けて茂田さんに挨拶をし、早々に海へ向かった。
元喜が俺の後を追うように後ろから走ってやってくるが、航の姿が見えない。
元喜に尋ねると、「後から合流するから先に行っといて」と言われ元喜だけが俺の後を追ってきていた。
仕方がないので航を置いて二人で先に歩実達と合流する事にした。
歩実達四人は夕日が照らす海の波打ち際ではしゃいでいた。元喜はTシャツを脱ぎ捨て、一目散に海へ走って行き飛び込んだ。
「バシャン」水がしぶきを上げ大きく跳ね上がり、四人は「キャー」と言いながら逃げ回る。
元喜は何故あんなに元気なのだろうか? あれだけ働いてはしゃぐ体力も残ってない筈なのに、海を見た瞬間に子供に戻った様なあのはしゃぎぶりは俺も見習いたいものだ。
俺は浜辺に腰を下ろし、しばらくその光景を眺めていた。
「お疲れ様。初バイトはどうだった?」
手の砂を叩きながら歩実が俺の傍まで歩いて来た。
「疲れた」俺はそう呟くと歩実は俺の隣に腰を下ろした。
「外から見てたけど、今日忙しそうだったね?」
「俺も最初はチョロいなって思ってたけど……まさかあんなに忙しくなるとは思ってなかったよ。でも終わってみれば以外に楽しかったかな。いっぱい失敗したけど」
俺は指で砂に落書きしながら、航が女に捕まってた事や、元喜がたこ焼きと一緒に転げた事、俺の失敗談など今日一日の出来事を話した。
歩実は俺の話を最後まで笑顔で頷きながら聞いてくれた。
一通り話し終えると歩実は言った。
「大ちゃん、昔よりずいぶん明るくなったね」
濡れたショートカットの髪を耳に掛けながら歩実は言った。
「それはお前が……」
出し掛けた言葉を咄嗟に引っ込めた。
俺が明るくなったのも、皆と仲良くなれたのも、全部歩実のおかげだ。
あの当時、来るものを拒んでいた俺に、何の躊躇もなく飛び込んで来た歩実がいたから、俺はここまで明るくなれたんだ。
今は学校に行くのも、放課後に皆で駄菓子屋に寄って買い食いするのも、全てが楽しかった。
今この気持ちを言ってしまえば、勢いで告白までしかねない。
そう思った俺は、溢れ出てくる感情を無理矢理に抑え込み、平然を装った。
歩実は今もまだ水田先輩の事が好きかもしれないし、俺が告白して振られたらせっかく築き上げた今までの関係が無くなってしまう。俺にはそれが耐えられなかった。
「それはお前が?なに?」
歩実はニヤニヤしながら尋ねる。
「お前がいつも馬鹿みたいにしてるから、嫌でも明るくなるよ」
好きな人の前では天邪鬼。思春期の男はこれが基本だ。
またもや思ってもない事を言ってしまう。言わば条件反射的に思っている事と反対の言葉が勝手に出てくるシステムになっている。
歩実は「ちょっと、どういう意味!」と笑いながら俺の足を砂で埋め始めた。
そんな歩実をしばらく放って置くと、海で遊んでいた皆まで俺の足に砂を掛け埋め始めた。
砂の山が俺の腰辺りまでくると、俺の両足は動かせないくらい砂に埋まった。
「出てみて?」歩実が言うと、俺は足に渾身の力を込め砂の山を壊そうとしたが、ビクともしなかった。
「何やってんだ?」
航がポケットに手を入れて、俺を上から見下ろしてくる。
「あっ! 航、お疲れ様。今日は大変だったみたいだね」
歩実が額の汗を拭いながら航に言った。
「大変ってこいつ俺と元喜が一生懸命働いてる時に、女とばっかり話してただけだからな」
俺は歩実の後に続けてすぐに言った。
「ビキニ姉ちゃんの胸見て、楽しそうに話しながら鼻の下伸ばしてたお前に言われる筋合いねぇよ」
航の一言で冷たい視線が一気に俺に集まる。
「ふざけんな! 誰も鼻の下伸ばしてねぇし、胸なんか見てねぇよ! おい! 待てよ! 聞いてんのかよ」
誰も俺の言葉に耳を傾けてはくれなかった。
皆が俺に背を向け帰って行く中、歩実だけが振り返り「変態」と言って去って行く。
一人浜辺に取り残された俺。動かせない足。
「せめてこの砂どけてから行けよー!」
俺の叫び声は虚しく響き渡る。
辺りはすっかりと黄金色に染まり、気付けば太陽が目線の高さまで落ちていた。
引き寄せる波音と海風だけが俺の事を理解してくれているような気がした。
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