第3話~トモダチと天体観測の3ページ~
「あ、もうこんな時間」
ゲームの途中、セーバルがふと画面から目を離して呟いた。その声にかばんも顔を上げる。
「うわっほんとだ! もう夕日があんなに小さく……」
いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。
海はすっかりその身を茜色に染め上げ、水平線の向こうに見える太陽が、最後の輝きを放とうと
眩しくて、思わず目を背けると太陽と一緒にゲームのチカチカした光が瞼の裏側に張り付いて見えた。
ゲームは時間泥棒だ、とキタキツネが言っていたのを思い出す。まったくもってその通りだと思うし、それに気付くのがいつもゲームをやり終えた後だというのだから質が悪い。
「セーバルさん、本当にこのゲーム強いんですね。僕結局一回も勝てなかったなぁ」
はぁ、と溜め息をつき背伸びをする。その横ではセーバルがえっへん、と嬉しそうにふんぞり返っていた。
あれから幾度となくセーバルに挑戦したかばんだったが、彼女の流れるようなコンボに圧倒され文字通りの完敗を喫した。彼女の操るキャラクターにダメージを与えたのは、はていつが最後だっただろうか。思い出そうとしたが、それはかえって自分の心の傷を増やすだけだと思い、やめる。
「セーバル、久しぶりに誰かとプレイできてとっても楽しかった」
セーバルが屈託のない笑顔を浮かべる。
さすがにこれだけ強いと他に相手をできる者がいないのだろうか。もしそうだとしたら少し不憫な気もしたが、逆に彼女の強さを知らない自分だからこそ彼女の相手をできたのだと思うとこれでよかったのかもしれないと思えた。
「それに、かばん、とっても強かった。セーバル、久しぶりに燃えたよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
強かった、というセーバルの言葉に心の奥がじんわりとあたたかくなる。たとえ彼女に手も足も出なかったとしても、彼女が自分を強いと言ってくれたことが何より嬉しかった。
セーバルが立ち上がる。
「わたし、そろそろ、おうち帰る」
「そうですね。僕もそろそろ戻らないと」
「かばんは、どこに帰るの?」
「どこって勿論バスに……」
そこまで言いかけてはっとした。
「電池……充電するの忘れてた」
◇
赤く照らされた砂浜に二つの足跡が並んで続いている。砂に紛れてキラキラと光っているのはガラスの破片か、それとも珊瑚礁の欠片か。浜辺に打ちつける波の音が心地良く耳の奥を揺らす。
結局この日は充電を諦め、かばんはセーバルの家に厄介になることになった。
彼女の家は海岸からほどなくした岬の一番先、灯台の中にあった。中というよりは灯台を丸々貸し切って使っているといった感じで、無骨な扉を開けるとそこには綺麗に整えられた煉瓦造りの部屋が広がっていた。
ろっじの部屋に似ている、と思った。使われた痕跡のないパキッとしたベッドシーツに、漆色に塗られたアンティーク調の机からは塵一つ見当たらない。まるでこれから誰かをもてなすかのように、徹底的に手入れされた家具が暖色系の照明によって煌々と照らされている。そしてそれらを取り囲むように壁に沿ってぐるりと配置された本棚の数に思わず圧倒された。
上と下にもそれぞれ木組みでできた階段が続いており、もしかしたらここ以外にも部屋があるのかもしれない。
感嘆のあまり入り口で立ち竦んでいると、セーバルから「あがって」と中に入るよう促された。
「すみません。でもほんとにいいんですか? お邪魔しちゃって」
「うん。今日一日、セーバルの相手してくれた、お礼」
「それに」とセーバルが続ける。
「かばんに、見せたいもの、あった。――これ」
そう言ってセーバルが奥から持ってきたのは、とても小さなカードのようなものだった。それをぱらぱらと机の上に一枚一枚並べていく。「何ですか? これ」と尋ねるかばんにセーバルがニヤリと笑った。
「ゲームのカセット。けもシス以外にも、まだいっぱいある。あーるぴーじー、しゅーてぃんぐ、れーす、ほらー、他にも……」
聞き慣れない言葉の羅列にかばんの思考は一瞬停止しかけたが、すぐにそれがゲームのジャンルのことを指しているのだとカセットに描かれた絵を見て理解した。
セーバルによると、このちっぽけな物の中にあのゲームのような世界が無限に広がっているのだという。それも一つ一つ、全く異なった世界が。
温泉では筐体毎に違うゲームができたが、カセットというものを変えるだけで違うゲームができてしまうというのは、なるほど何とも理に適っていると感心してしまった。
セーバルがそわそわしながら「何から、やる? それともゲームはやめて他のこと、する?本もたくさんあるし、映画も観れるし、あとは……」と次から次へと物を持ってきては机の上に積み重ねていく。きっとセーバル自身もやりたいことが多すぎて決められないのだろう。自分の家ということもあってか、さっきよりも明らかにテンションが高い。
そうこうしているうちに、あっという間に机の上がセーバルのやりたいことで埋め尽くされてしまった。
一体何から手を付ければいいのか、そもそも手を触れただけで今にも崩れ落ちてしまいそうなその山を困ったように眺めていると、案の定天辺に置いてあった本がずるりと落ちてかばんの足元で広がった。
「天体観測?」
本のタイトルを読み上げる。
「かばんは、天体観測が、好きなの?」
「えっと……。よくわからないけど、天体観測って星を見ることですか?」
本の表紙には二人の人が満天の星空を見上げながら寄り添い合うシルエットが描かれている。その隣にある筒状の道具は星を見るためのものだろうか。
「うん。でもね、ただ星を見るだけじゃないんだよ。もっと間近で、お星様を見るの」
間近で見る、というセーバルの言葉に惹かれる。
「じゃあ、これから、天体観測、しよう」
◇
「うわぁ! 綺麗!」
セーバルに誘われて灯台の上へ出ると、そこには視界一面を覆い尽くさんばかりの星の海が広がっていた。
なんて美しいんだろう――と、まずその景色に圧倒される。自分たち
の頭上で瞬く無数の星も、自分たちを見下ろす満月も、全てが一つの自然という大きな塊となって優しく語りかけてくるようだった。風の音に紛れて遠くの方からざざざざざ、ざざざざざ、と穏やかな波の音も聞こえてくる。
「こっち、こっち」と手招きするセーバルの声にはっと我に返った。
「ここ、セーバルの、お気に入りの場所。お気に召した?」
「はい! 凄いですね! 星がこんなにたくさん見えるなんて……」
正確にはこんなにたくさんの星が、こんなに美しく見えたことなど一度もなかった。
同じ空で同じ星を見ているはずなのに、キョウシュウの時とはまったく異なったものに見える。たった一日で全然違う場所に来てしまったのだということを今更ながらに思い知る。
初めてさばんなちほーで見た夜空もそうだった。
自分がフレンズとして生まれ、まだそれすらも知らなかったあの日、一人歩き疲れ大の字で寝そべって見上げた夜空は、とても綺麗で、見ているだけで心が洗われていくようだった。ただそこにいるだけで、何も言わなくても最初から全部わかっているといったように不安も恐れも全て受け止めてくれるあの感覚は、今でも忘れることができない。
博士は最初の生命は海から誕生したと言っていた。だから母なる海と言うのだ――と。
では自分たちフレンズは一体どこから来たのだろう。こうして星を見ていると、ひょっとしたら自分たちは宇宙から来たのではないかと考えてしまう。
それくらい、生命力に満ち溢れていた。
セーバルが一歩前に出て柵に凭れ掛かる。
「セーバル、お星様、見るの、好き。こうやって、何も考えずに、星を見て、時間も何もかも忘れちゃうの。そうして、気付いたら朝になってて……」
「わかります。落ち着きますよねぇ」
「かばんは、好きな星とかあるの?」
「うーんどうだろう……。僕、星の名前とか知らないしなぁ」
少し思案してから「あ、でもあの星は好きですよ。あそこで光ってる、三つの……」と言って頭上にある星を指差す。
「あれは、デネブ、アルタイル、ベガ。夏の大三角、って呼ばれてる。三つの星を線で繋げると、三角形になるでしょ」
「ほんとだ凄い! やっぱりセーバルさんって物知りですね」
「名前、覚えると、世界が変わる。今まで興味なかったものも、身近に感じられて、もっとその世界のことを、知りたいと思えるようになる。わたし、そうやって、一つずつ、色んなこと、覚えていった」
そうやって語るセーバルの言葉には重みがあった。
そう言えばさっき一階で見た本棚には、かばんにもわからない、難解そうな本が幾つも並べられていた。先程セーバルが持ってきた天体観測の本はきっとあの中でも比較的簡単なものだったのだろう。
やはりセーバルはあれを全て読んだのだろうか。あれだけの量を読み、そしてそれを理解するのに一体どれほどの時間がかかったのか、かばんには想像もつかない。
セーバルは他にも星にまつわる色んな話を聞かせてくれた。中でも星座についての話はとても興味深く、夜空にも動物や物が存在しているというのは何ともロマンチックな話だと思った。星と星を繋げ、名前をつけ、そこに物語をのせて思いを馳せる――昔の人はそんな風にして遊んでいたらしい。
――それならば、とかばんはあることを閃いた。
「じゃあ、あそことあそこの星を繋げて、セーバル座、なんていうのはどうでしょう」
「えっ? どこ?」
セーバルが目を凝らす。かばんが一つずつ星を指さしていくと、やがて夜空にある形が浮かび上がった。セーバルが「わかった!」と声を上げる。
「セーバルの、耳!」
「正解です!」
「じゃあ、じゃあ! あそこと、あそこと、あそこの星をくっつけて、かばん座!」
「いいですね!」
セーバルも負けじとすぐに夜空に新しい星座をつくる。かばんがさっき名付けたセーバル座の隣に、寄り添い合うようにしてリュック型の星座が浮かび上がるのが見えた。セーバルがきゃっきゃっと声を弾ませて言う。
「かばん、凄い。セーバル、こんな楽しい遊び、初めて。全然、思いつかなかった」
「えへへ……。僕はただ思いついたことを言ってみただけですよ」
そう言って遠慮がちに目を伏せるが、そんなことお構いなしにセーバルは「凄い!かばん、新しい遊び、発明した」と喜んでいた。
そうして話をしているうちに時間も経ち、セーバルが「じゃあ、そろそろ……」と柵から身体を離す。
楽しい天体観測だった――、とかばんも満足して階段に足をかけた時、突然セーバルに腕を掴まれた。驚いて振り返ると「どこ、行くの?」と怪訝な顔でこちらを睨んでいる。「え、戻るんじゃないんですか?」と訊くと「お楽しみは、これからだよ」と言ってセーバルが笑った。
「かばん、さっきわたしが言った、天体観測の説明、覚えてる?」
「えっと……。ただ見るだけじゃなくて、もっと間近で見る、ですか?」
セーバルが「ご名答」と言いながら奥の方から長い筒状の物を担いで現れる。それが何なのか、かばんはすぐに理解した。
「あっ! それってもしかして――」
「天体望遠鏡って、言うんだよ。これでお星様やお月様を見ると、まるで目の前で見ているみたいに、おっきく見えるの」
説明しながら慣れた手つきでその天体望遠鏡を準備していく。カシャ、カシャ、カシャ、と三脚を伸ばす小気味良い音だけが暗闇に響き、昂揚感を煽る。
白いパイプが、まるで自分と星とを繋ぐように一直線に伸びていた。
セーバルが「覗いてみて」と横にずれる。
そこで見た光景に、かばんは思わず言葉を失った。
――月が、そこにいた。
「凄い……」
ぽかん、とだらしなく開いた口からようやく言葉が漏れる。
今日だけで何度言ったかわからない、凄いという言葉。その中でも今の驚きは、その全てを凌駕していた。
いや凄いなんてものではない。これは一体何なのだ。彼女は魔法か何かを使ったのか。あんなに遠くに見えていた月が、今は手を伸ばせばそのまま掴めてしまうのではないかと錯覚してしまうくらい近くにある。
彼女が言った間近で見る、という意味をようやく理解した瞬間だった。
「凄い! 凄いよセーバルちゃん! 月がこんな近くに――」
そこまで言いかけてあっ、と口を噤む。
それは、まるでいつもサーバルを呼ぶように自然に出てきた言葉だった。
「ご、ごめんなさい!」
言ったあとで後悔する。いきなりちゃん付けで、しかも興奮のあまり丁寧に話す癖まで忘れて馴れ馴れしいのではないか、そう思った。せっかく仲良くなれたのに、最後の最後で彼女に図々しい奴だ、なんて思われたりしたらと思うと、ここから消え去りたい気持ちになる。
もう一度、今度は蚊の鳴くような声で「ごめんなさい……」と謝る。
セーバルの返事を聞くのが怖かった。
しかしセーバルはさっきとまったく変わらない声色でかばんに語りかけた。
「どうして謝るの? セーバルとかばんはとっても仲良くなった。もうトモダチ」
かばんがはっとして顔を上げる。
セーバルがそこまで言いかけたかと思うと、急にもじもじしだして「……だよね?」と付け加えた。
その言葉を聞いた瞬間、それまで胸につかえていた何かが一気に崩れ落ちた。
――どうしてもっと早くに気づかなかったのだろう。
『――そうだ! 今度会った時は、サーバルちゃんって呼んでね。話し方ももっと普通に――もうお友達だから!』
あの日の記憶が蘇る。
そうだ。一番大切なことは、
トモダチ――。あたたかくて、心地良くて、心がくすぐったくなる魔法の言葉。
かばんはセーバルの手を取ると、今にも泣き出しそうな声で「うん!」と答えた。
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