転界の転生

テルヒコ

第1話

 この世界を支配するもの。

 それは静謐な日常の人生と、血湧き肉躍る戦いの人生だ。

 とりわけ、私という存在は戦いの人生が好きだ。静謐の人生も幾千回と送っては来たが、戦いの人生を送ること幾億回。

 それほどまでに魅力的だ。

 このきっかり十五億の人間しか存在せぬ世界にあってはデジャヴを感じる事も多々ある。

 同じ戦場、同じ人間と共に同じ人間と戦った事すらある。

 中でも笑えたのは、裏切って私を後ろから刺した男を転生して直ぐに後ろから刺したら、そのまた直ぐに後ろから刺された事だ。

 つい躍起になって、そこから更に刺して刺されて五回程。「これでは戦いにならん」と二人笑い合った。

 フェアな戦いは推奨こそされているが、時に意外性をもたらす戦術や裏切りが禁止されている訳でもない。まあ、何事も程々にという奴だ。

 程々にと言えば、武器もそうだな。

 過去には技術の粋を尽くした武器も開発されたものだが、あれはつまらないものだった。

 ただ淡々と殺し殺され、血湧き肉躍る隙などあったものではない。戦いの意義を見失う【兵器】は忌むべきものだ。

 戦いとはそう、楽しいものなのだ。

 戦いの始めには仲間達と共に雄叫びを上げ、血を沸かす。

 肉踊る節にはライバルと剣を競う。戦果を上げ、時に自分が戦果となりながら。

 そして仲間達と共に、時に独りで、ヒロイズムに酔いしれるのだ。

 やがて戦いに疲れたら、静謐の人生の中、ゆっくりと魂を休める。

 私とて戦いが好きなだけで、静かな人生が嫌いな訳でもない。

 死を経て少年少女となった人は一定の街の中、転生の門より生まれる。そしてそのまま、静謐の日常へと溶け込むのだ。

 そこでの生活もなかなかどうして悪くない。戦いとは違った情熱がそこには溢れている。

 人々の声は耳に優しい。何気ない事に幸福を覚える日常がそこにある。

 極上の芸術はこの世のものとは思えない魅力で人の心を震わせる。戦いの次に傾倒している者が多いのは、恐らくこれだろう。

 そして多くの者は生涯の伴侶を得る。そうでない場合も無いではないが、男と女が引き合う事が多いな。

 何せ、それぞれ挿れるものと挿れられる場所が御誂え向きに付いているのだ。性別は違った方がお得だろう。

 と言っても、そういう行為は年若い内にしか出来ないし、片方が転生してしまえばそのまま別れてしまう場合が多いのだがな。

 そのためだけに生涯を早めに切り上げる好き者も居るが。

 しかしそんな事をしていても、いつかは飽きてしまうものだ。日常には。

 やがて、人々は刺激を求めて戦いの生を得る。


 ある日、私は窮地に陥った。

 序盤は有利な戦いに思えた。主力たる私達は獅子奮迅、敵を一気に蹴散らし後退させた。

 追撃の一手で更なる戦果を挙げんと意気込むも、まんまと敵の逆襲に遭い、今や主力は僅か数人の惨敗だった。

「いかんな、追ってきてるぞ」

 横を走る仲間の男が言う。

 潔く負けを認めるは賞賛されるが、だからと言って勝負を投げ出すは忌避される。まだ足掻く時だ。

「俺が足止めしよう。お前ら先に拠点へ戻れ」

 男が続けて言う。戦場の美学に則れば、この状況は実に美味しい。

「良いねえ、殿の英雄か?」

 不利な状況、仲間の為に立ち向かう。仲間を生かす事も一つの戦果であり、特に殿というのはヒロイズムを大きく刺激される役割なのだ。

「悪く思うなよ。お前ら精々、俺の勇姿を言いふらしてくれ」

「チッ、後で戻ってこいよ。大勢死んで人が足りねえんだからよ」

「わーってるよ」

 その言葉を最後に、男は雄叫びを上げて引き返した。

 その働きあってか、残った私達全員が拠点へとたどり着く事ができた。

 だが、殿を買って出た男が戻ることは二度となかった。

『魂は永遠のものではありません』

 拠点に入り、今生限りの肉体を休めていた時だった。

 何処からともなく聞こえるそれは、まさしく天の声だった。

『神は貴方方に望まれました』

『迷える子羊達がいずれ、総て涅槃の道へと至らんことを』

『しかし、涅槃に至るに人の生はあまりに短い。故に輪廻を経ぬ転生の世を貴方方に授けたのです』

『ですが貴方方は戦いを止めようとはせず、更に好んで戦いを続けた。無為なる感情の汚濁を肯定し、穢れを好んで撒き散らした』

『悠久にも等しき時を経て尚、涅槃への道は閉ざされています』

『故に神は貴方方の磨り減った魂を排し、新たな魂に未来を託す決意をなされました』

『終わりと始まりを知りなさい。そして、迷える子羊達に涅槃への道が開かれんことを』

 そこに居た私達誰も、その言葉に耳を貸す事は無かった。

 一夜明け、私と仲間達は再び戦場を駆けていた。

 そこで剣を交える誰も、変わった様子は無い。

 そんな事を考えて居たからか、私はあっさりと斬られて死んでしまう。

 光が射した。今度も人生は男らしい。いつもなら戦い易い体で幸運とばかりに戦場へ向かう所だが、生憎と気が乗らない。

 転生の門の前、私は日常へと溶け込んだ。


 あれから私は日常に身を任せ、今生を過ごしていた。

 ただただ静かに、日々の糧を得る労働を繰り返しながら。

 芸術の世界に身を置くのも悪くはない。かつて私にも芸術に没頭した人生があった。だがああいう人生は良くも悪くも気が休まらない。

 独創、伝統、オマージュ、流行。どれを尊重しても、何処に自分の付け入る隙があるか、受け手に受け入れられるか、いかなる手段を用いるかに、芸術家の人生は腐心させられる。

 控え目に言って過酷だ。故に、悪くはないが好きではない。芸術家の生涯とは私にとってそんなものだ。

 だが芸術家程に苛烈なものは求めずとも、日常の中にあっては情熱というスパイスは欠かせない。

 今生の、男の肉体は実に正直だ。

 出会いは実に平凡で、幾百回と似たような馴れ初めを体験したか知れない。

 気立ての良さと、それから本能的に惹かれた私はプロポーズをした。相手の女性にもプロポーズを受けてもらい、私たちは晴れて伴侶の関係と相成った。

 まあ、当然だな。うまく行かなければ伴侶の関係など途中でやめてしまえばいいのだし、なんなら来世に期待というものだ。

 それでも私の本能に間違いは無かったらしい。互いの生活と性を交えた人生に、私は充足感を得ていた。

 だがある日、異変は起きた。伴侶の女が肉体の不調を訴えたのだ。私は病気だろうかと肩を落とした。

 転生に際し、肉体は選べない。年齢を除いては性別は勿論、容姿やその他性質の一切は勝手に割り当てられてしまう。中には、こんな状態でどうして生きて見せろというのか不思議なものさえある。

 そういった場合、その生涯にさっさと見切りをつけて次に移ることが多い。病気だってその一つだ。

 その上で、今の伴侶との生活はそれなりに楽しいし、体の相性だって良い。それが後からきた病気一つで終わってしまうなら興覚めというものだ。

 しかし、そうはならなかった。彼女もまた私との生活が手放しがたかったらしく、せめてこの肉体が終わるまでは共に過ごそうと言ってくれた。

 胸が温かい。筆舌に尽くしがたい、素晴らしい感覚だった。甘い口づけと共に、互いに支え合うことも伴侶の在るべき姿だったなと思い出す。

 私はその行く末を見守ることにした。


 変化は劇的だった。女の腹は日を追うごとに大きくなった。最初は違和感程度のものだったそれが隠し切れなくなるようになった頃、ある事実に至る。

 驚くべきことに、あらゆる生命に存在する雄性と雌性が人たる私と伴侶に発現したのだ。伴侶の腹にいるそれは、子供だ。

 【人の子】

 己が事ながら奇妙な響きだった。【子】などという、獣の幼体や数学的概念でしか使われない言葉が人に使われるのは。

 そんな私の困惑も晴れぬ内に、その時は来た。死ぬほどだったという肉体の苦痛を経て彼女が生み出したのは、一応は人の形をした小さな何かだった。

 幾兆回と繰り返した人生にあって、人の子が生まれてくるまでの一年に満たないその時間が長いものか短いものか。それは分からないが、気も手間もかかるものであったのは確かだ。

 しかしそれすらも霞んでしまう程に気を張ったのは、むしろ生まれてからだった。

 生まれた子は、なんと自我を持っていなかった。いや、持っているのかもしれないが、まず言葉を解さない。おまけに泣いて喚いて、それで何かを伝えようというのはなんとなく分かったが、その何かが分かったものではない。食事だったり排泄の用だったり、一人では何も出来ない様だった。

 こんなに手のかかる存在が本当に人の子なのかと疑った程だ。

 だがそれも杞憂だったらしい。人の子はみるみる育ち、言葉を覚え、気が付けば二十余年。一人の男になっていた。

 事ここに至り自覚した。私と伴侶の女は【親】という存在になっていたらしい。【人の親】とは、これまた奇妙な響きで、気持ちだ。私は獣でも数学上の概念でも、はたまた創造主でもないのに親になってしまったのだから。

 ともあれ、人が親で居られる時間は永くない。先に伴侶の女が病に倒れ、転生した。

 子は、酷く狼狽えていた。理由を聞いたが、今一つ要領を得ない。

 やがて私の肉体も終わりを迎え、転生した。

 その後のある日、私はふと思い出して前世の子を訪ねた。

 子は私が親であると知ると、またしても狼狽えて私に問うた。

「どうしてそんな風にして居られる。僕はもうすぐ死んでしまうんだぞ!」

 そんな事は見れば分かる。私に掴みかかる子の腕は枝の様に細く、血色のない顔にも死相が浮かんでいる。

 不治の病だ。肉体のあらゆる機能が急速に衰え、延命したところで悪戯に苦しむだけの。

「さっさと死ねばいい。楽になる」

 子はどうしてそんな事にも気付かなかったのかという様子だ。その場にへたり込み、呆然と固まっていた。


 それから幾十と人生を経た頃、気付くと人の子がそこかしこで見られるようになった。だが、世の中は十五億人から増えた気がしない。

 つまり、そういう事だ。

 世の中が変わりを見せたのはそれだけではない。何やら人の子たちが、口々に不満を訴え始めたのだ。

 曰く、労働の報酬が少ないだとか。曰く、戦争は止めろだとか。

 まるで意味が分からない。労働の報酬なぞ静かに生きる分には十分だし、派手に刹那を生きたいなら戦争でもすれば良いのだ。

 しかしそんな私を差し置いて、更に世は動く。根本的なところから誠に下らない事まで意見を対立させた子達が徒党を組んで争い始めたのだ。

 そこから私は辟易とさせられた。彼らは論争をしていた筈がどうしてこうなるのか全く理解できないのだが、戦争が対立の解決手段として使われ始めたのだ。

 戦争は目的から手段へと移った。

 それは酷いものだった。戦っていると、妙に口汚く罵られる。戦いに来た筈の敵が何もせずに逃げてしまう事もあれば、勝負はついた筈なのに何故か無闇に痛めつけられたり。つまらないのでさっさと舌を噛んで転生してやったが。

 そうこうしている内に、遂に戦場に技術が持ち込まれる様になった。一人殺す武器は一世代も経ぬ内に十人殺す武器へ、百人、千人、万人殺す【兵器】へと昇華されていった。

 そこには最早目的すら無かったのではないだろうか。数世代経た頃には空飛ぶ艦が光線を発射し、一撃に百万を殺すようなものになっていた。

 その流れ弾が市街地を直撃したり、いくつかの動植物を絶滅に追い込んでいるのだから世話ない。

 戦いの人生と日常の人生は領域を分かつものだというのに、これではマナー違反もいいところだ。本当に馬鹿じゃないのか彼らは。

 これでは静かな日常も騒がしい戦いも、望むべくも無かった。私とてその間、本当につまらない人生を強いられた。

 しかし、それも永くは続かなかった。余りに超越した兵器の火力は、それ自体の生産能力さえも破壊し尽くしたからだ。彼らも思い知ったのだろう。戦いは節度ある火力でせねばならないと。

 そして戦いは剣の世界へと戻った。

 ただ、資源をほじくり返されて枯れた大地と、その消費によって濁った水と空、絶えた生命は、元に戻らなかったが。


 私は再び剣を振るっていた。せっかく帰ってきた伝統的戦いを、心から楽しんでいたのだ。

 戦いが目的であるという事は相変わらずな様で、まあ不愉快な事も多い。それでも血湧き肉躍るというのは、やはり良いものだ。

 だが、そんな刺激的な刺激的な日々を満喫していたある日の事だった。

 私はいつも通りの、普通の戦いに勤しんでいた。意外を求めて戦術を練り、滾りを求めて切り結ぶ。

 私は一人、霧中の敵陣に突貫して奇襲を仕掛けていた。

 斬る。斬る。斬る。

 奇襲は大成功。瞬く間に三人を転生の門に送り返し、私は尚も次の獲物に斬りかかる。

「お前っ、があっ!」

 更に一人。鮮血が噴き出し、戦果の快楽に口角が攣り上がる。

「敵襲だああ!」

 やっと仲間を呼んだか。もう四人転生したぞ。

 私は即座に剣を振るう。五人目だ。

 それにしても、弱い。恐らく今転生した彼ら、全員が人の子だろう。

 どうにも彼らは物事の道理というものが分かっていないのだ。今のような奇襲など使い古された戦法は緊張していれば対応できるものでしかない。味方が急に倒れれば敵襲をまず第一に疑うものだ。目の前に敵が居て棒立ちでは当然斬られる。どうにも若い者は全くなっていない。

「あ……いやだ……」

 手応えの無さに肩を竦めていると、足元から呻く様な声が聞こえる。どうやら五人目は浅かった様だ。

「はあ、死んだふりでもしておけばスコアにならなかったものを……」

 これだ。本当に分かってない。

 しかし、尚も五人目はその素振りも見せず、あまつさえ私のに縋り付いてきた。

「やだ……やだ……」

 何をしているんだ。こいつは。

 そう思った時だった。言い知れぬ不快感が、私を襲ったのは。

「死にたく……ない」

「……クソが」

 私は剣を振り上げた。

「戦場に出て!」

「がっ」

 敢えて急所を外し、更に振り上げる。

「殺しに来て!殺されるのは!」

「やめ、やめべえぇ」

 言葉を乗せるように、繰り返し振るう。

「当たり前だろうがよ!」

「あがっ」

 最後に、念入りに心臓を抉った。

「死にたく……」

 余りにしつこい。足蹴にして振り払う。

 漸く、五人目だ。

 それにしても、せっかくの戦いでなんという気分だ。

 戦いとは時に潔く負けを認めるものだ。だというのに、あんなもの、戦場に対する愚弄でしかない。馬鹿を通り越して暗愚も良いところだ。

 私はどうやら、相当に腹に据えかねているらしい。

 苛々とした胸騒ぎは収まらなかった。

「彼処だ!」

 そうこうしている内に、敵の増援が到着する。私は包囲されるも構わず、呼吸を鎮めた。

「貴様、始原の気狂いか」

 ざっと見て百人やそこら。全て獲物にしか見えなかった。

 この胸騒ぎを鎮める為の。

「かかれ!」

 包囲していた子らが一斉に私に斬りかかる。

 それを私は斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。

 迫る雑念を振り払う様に。斬る。

 この胸騒ぎの元を拭いつける様に。斬る。斬る。斬る。

 だが、私が心に平静を取り戻すより先に、肉体に限界が訪れようとしていた。重い。腕は鉛の如く、足は地面に縫い付けられたように。

「ああああああ!」

 だが、止まりたくない。止まれば呑み込まれそうだった。

 五人目の様に。

 この戦場は既に穢れていた。

 私が戦う事、それ自体に理由は無い。だが、止まれないのだ。戦いの意義だとか、それどころではない。

 ただ怖い。

 この恐怖を振り払う為に剣を振るう。振るう。だが、振り払えない。

 振り払えないまま、肉体は力尽きた。

 暗くなる視界。幾京回と迎えてきた終わりの感覚の中、私は逡巡した。


 私はいつ終わる?


 焦燥。恐怖。その次にやってきたのは、底冷えするような感傷だった。

 転生の門の前、私は立ち尽くす。

 一応、今度も男の様だ。しかし、今となっては戦場に赴く気にもなれなかった。

 だからと言って静謐な日常を過ごす事もまた、余りに無為に思えた。

 いや、無為なのは戦いも同じだ。意味も無く刺激を求める事、意味無く静謐を求める事。どれも終わる自分には意味のない事だ。

「ならば何故……私はこんなにも悲しい」

 感傷が胸を突き刺す痛みに、涙が頬を伝った。

「貴方も?」

 背後からかけられた声に、私は咄嗟に振り返った。

 背後に居たのは一人の少女だった。

 転生の門から直ぐ、そのまま立ち尽くしていた私の背後。

 少女は哀愁を漂わせながら、私を見て笑う。私もまた、理解した。

「貴女もか」

 理解し合い、二人手を取り合って歩き始めた。


 視界が暗くなる。幾該回と迎えた闇の中、私はいつまで経っても転生の門に立つ事は無かった。

 やがて、私は自身が概念から解放されゆくのを感じた。

 焦りからも、恐怖からも。

 一つ一つ。私は概念から剥がれた。

 最後に、私は二つの点を感じた。

 引いて見れば一点にも見えて、曖昧で。

 突き詰めて見れば開いて見えて、鮮明で。

 決して交わらない二つの点の一つの距離が、愛おしく感じられた。

 そして、その概念からも解放された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転界の転生 テルヒコ @tellhiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る