流星編2話 俺は後悔していない



「……母さんがいなくなってから、もう半年も立つんだね。やっと母さんがいない生活にも慣れてきたよ。」


青年になったジスランは、母の墓標に花を供え、話しかける。


「母さん、僕は家を出ようと思うんだ。僕は貴族の生活が性に合わないし、兄さん達にも疎まれているからさ。」


器用になんでもこなすジスランは父には重宝がられたが、兄達からは疎まれた。


母が平民でありながら、見栄えも器量も自分達の上をゆくジスランの存在は、兄達にとっては目の上の瘤にしか映らないのである。


ジスランは兄達を蹴落としてまでルーセル子爵家の当主になりたいとは思わなかった。貴族の当主という生き方にジスランは魅力も価値も感じない。


ジスランの母は貴族専用のサナトリウムで療養しながら、病身とはいえど豊かな余生を送れた。体調の良い時期にはジスランは母を連れて世界各地の名所を訪ね、富貴な旅を母子で楽しみ、いい思い出をたくさん作った。


体調が悪化し旅が難しくなっても、暇を見つけては訪ねてくるジスランに"こんな優雅な生活を送れるのも、全ておまえのお陰だよ"と嬉しそうに話し、幸せそうだった。


最高のスタッフが最高の治療を施してもなお、母は病魔には勝てなかった。安らかな母親の死に顔を思い出し、ジスランは自分を納得させる。短い人生だったにせよ、最後は豊かな生活を送れた。僕の手を握りながら"ありがとう"と笑顔を浮かべてみまかった母の人生はそう悪いものではなかったはずだ、と。


「……誰かの墓参り? 驚いた、あなたにも情が存在してたのね?」


左腕を包帯で吊った少女に話しかけられ、ジスランは立ち上がった。


この少女の顔はどこかで見た、果たしてどこで見た顔だったか……ジスランは考えたが思い出せなかった。


「もうお忘れ? 5年前の射撃大会で顔を合わせたはずだけど?」


5年前の射撃大会。会場を後にするデメル大佐を支えていた娘の一人に睨まれた事をジスランは思い出した。


あの時に見た顔だ。……じゃあこの子はデメル大佐の娘なのか。


「……キミはデメル大佐の娘なのか?」


「ええ、そうよ。やっと思い出したみたいね?」


「大佐はお元気なのか?」


「父は死んだわ。……貴方に……貴方に殺されたのよ!」


「僕が殺した!? 僕はあれからデメル大佐には会ってない!」


「父は貴方の幻影に苛まれ続けたわ!貴方に分かる? 貴族にとって名誉がどれだけ重要なものか!あの大会で不様な負けを喫した父が、周囲からどんなに蔑まされたのか、貴方に見せてあげたいものね!積み上げた名声を一夜にして失ったのよ!」


「……僕は勝負に勝っただけだ。」


「そうね。貴方は勝負に勝っただけ。でもあんな仕打ちで父を晒し者にする必要があった? あの日以来、父はトリガーイップスに罹って引き金を引く事が出来なくなったのよ!銃を撃てなくなった父は軍を除隊し、軍学校の校長も辞任したわ!そんな事になるとは思わなかったなんて言わないでよ!!」


ジスランは言葉を返せなかった。彼は父の歪んだ復讐劇の共犯だったから。


「軍を除隊してから父は精神に失調をきたし、少しずつおかしくなっていったわ。……父は……父は私達が思っていたような強い人間じゃなかったの!でも原因を作ったのは貴方よ!貴方だわ!!」


「ま、まさかデメル大佐は自殺したのか?」


「ええそうよ!!私たち家族を道連れにしてね!……父は最後の最後にトリガーイップスを克服した。妻子に愛犬、使用人達に向かって引き金を引いたのよ!私も殺されるところだったけれど、幻覚から覚めた父は自分のやった事に気付いて銃口を口に咥え……引き金を引いたわ。……私の……私の目の前でね!!」


「……そんなつもりじゃなかったんだ。……僕はそんなつもりじゃ……」


かつてのデメル大佐のように膝を着き、ジスランは頭を抱えた。


「返して!私の家族を返してよ!!」


ジスランは少女に背中を向け、叫びながら駆け出した。どうすればいいのか、なにもわからなかった。


────────────────────────────────────


数年後、ジスラン・ルーセルはトッド・ランサムと名を変え、暗黒街の何でも屋になっていた。


名を変えただけではなく、顔も声も変え、自分の過去を全て捨て去った。否、捨て去ったつもりでいた。


だが捨てたはずの過去を知る女、御堂イスカの来訪と共に、トッドに過去と対面する時が訪れた。


「ベビーシッターから殺しまでやる暗黒街の何でも屋トッド、……二人きりで話した方がいいか?」


「迷い猫探しから殺しまで、さ。気遣いは無用だ。相棒にだけは全てを話しているんでな。んで、マリーはどうしてる?」


「マリーは実家が崩壊した後、軍に入隊した。戦果を挙げたマリーは、私の親衛隊への入隊を希望している。」


「俺に復讐する為にか?」


「おまえを恨んでいるのは確かだが、殺すつもりはないようだ。おまえがやり過ぎたのは確かだが、デメル大佐の弱さに原因がある事は理解しているらしい。」


「それで? アンタはマリーを親衛隊へ入れるつもりなのか?」


「そのつもりだ。優秀なのでな。」


「……わかった。俺もアンタの部隊へ入ってもいい。ただし条件がある。」


「言ってみろ。」


「アンタは強い。そんなアンタの親衛隊は精鋭中の精鋭なんだろうが、それでも部下の、いやマリーの戦死を覚悟する局面には必ず俺を同行させろ。」


「いいだろう。他には?」


「俺の経歴を完璧に偽装し、マリーにそれとなく見せろ。暗黒街の何でも屋になるまでの経歴だぞ?」


「そのつもりだ。サービスでジスラン・ルーセルは列車事故で死んだと偽装もしてやろう。ここのところマトモな仕事がなく素寒貧のようだから、支度金も要りそうだな。」


美人の上に頭も切れて、気前までいい、か。ボスとしちゃあ悪かねえ。


「条件はそれだけだ。……ヴァンサン、長い付き合いだったが…」


「俺も行く。トッドのやり方を一番理解してる俺の力が必要だろ?」


「俺の事情におまえまで付き合う必要は……」


「連れてかねえならマリーに全部バラすぞ。俺が情報屋上がりなのはよく知ってるよな? 例え俺を殺したところで、俺の工作は止められん。」


「……わかった、ありがとよ。ボス、条件を一つ追加だ。ヴァンサンも連れて行く、いいな?」


「よかろう。アロイス・ヴァンサンの犯歴は抹消しておく。」


「よかったぜ。下着泥棒の前科なんざありがたくねえからな。」


「下着泥棒? 妹をレイプし殺した汚職警官を叩き殺しただけではなく、下着も盗んだのか?」


「ヘイ、ボス。アンタが情報屋をやった方がいいんじゃないかい?」


この女、ヴァンサンの過去まで調べてやがったか。油断ならねえ女だぜ。


───────────────────────────────────


「ここが貴方の部屋よ、ランサム曹長。ヴァンサン軍曹、貴方の部屋はその隣。」


「見るからに安普請なお部屋だねえ。ま、案内あんがとよ。金髪美人ちゃんのお名前は?」


「マリー・ロール・デメル曹長よ。貴方の経歴に目を通したけど、暗黒街のなんでも屋だったんですってね?」


「まーな。だがここじゃあ女任侠やその用心棒が隊長副長やってんだ。なんでも屋ぐらい可愛いもんだろ?」


「そうね。ここでは実力があれば過去は問われない。でも最低限のモラルは守るべきよ?」


筋目を通す女親分、クチナワの姉御ならまだしも、暗黒街を震え上がらせた「人斬り」にモラルねえ……


ま、クチナワの姉御には感謝だな。しかし姉御は俺を「始末に悪い奴」だと思ってたのかよ。傷付くぜ。


「着任祝いだ。部屋は安普請でも高級な酒は飲める。一杯飲ろうか、ヴァンサン。」


「購買区画に酒屋があったな。今から行くか?」


「それには及ばねえ。司令は気の利く気前のいいボス、さ。俺の部屋のドアを開けてみな。」


な? 部屋のテーブルの上には年代物のワインに高級ブランデー、俺とヴァンサン好みの銘柄が置いてあっただろ?


「……着任早々昼酒ね。また問題軍人が増えたみたい。はぁ……本当に司令にも困ったものだわ。」


ため息をつきながら背中を向けたマリーの背中を見送りながら、俺は誓う。


おまえだけは、おまえだけは俺が守る。例え世界全てを敵に回そうとも、な。


……なぜなら、俺は後悔してないからだ。母さんの幸せの為に俺は手段を選ばなかった。母さんの幸せな余生、それが俺の望んだ人生の全て、いわば報酬だ。


その報酬の為におまえの家族が犠牲になった。つまり報酬の対価を、俺は未払いのままだったのさ。司令に会うまでそれに気付かないとは俺もバカだが……


さほど惜しくはないこの命、だったら俺の命は未払いの対価を支払うのに使うべきだ。自責の念から贖罪の為に、ってんならまだ人間らしかったのだろうが、俺はデメル大佐を陥れたあの日に人間らしさを捨てている。


後悔してない人でなしの俺は、ここでの生活も楽しむつもりだ。未払いの対価を支払いながら、な。


──────────────────────────────────


「トッド、おまえの似合わねえ金髪の理由が分かった。なんでもキンキラキンにしちまう理由がな。」


長い付き合いの俺でもトッド・ランサム、いや、ジスラン・ルーセルの事をわかっちゃいなかった。


暗黒街の事情通、アロイス・ヴァンサンともあろう者が、相棒の情報不足とは笑えるぜ。おい神様、これはなんのジョークなんだ?


「なんの話だ?」


しかも軍人になったってのに、安普請の部屋で野郎と飲む酒ときたよ。これじゃあ、なんでも屋をやってる時と変わり映えしやしねえ。


「マリーは金髪だった。たぶん父親のデメル大佐もそうだったんだろ?」


「それがどうした?」


「おまえは忘れたくなかったんじゃないか? だから…」


「よせよ。俺は豪奢で派手好み。それだけだ。」


自分についた嘘、か。……おまえはずっと覚えてた。忘れられなかった。俺にはそれが分かる。相棒だから分かるんだよ。おまえは後悔してるのさ。……それを認めたくないだけなんだ。


「……そうか。……そうだな、おまえとは長い付き合いだが、そんな繊細な面なんざなかった。」


「それよりな、俺達のサクセスストーリーのプランを練ろうじゃないか。トッド・ランサム様に曹長なんて階級は似合わねえだろ?」


「全くだ。せめて将校ぐらいにゃならねえとな。それでいいプランがあるんだが……」


トッド、おまえはここでマリーの為に命を賭けるだろう。そして俺はおまえの為に命を賭けてやる。


あの日、場末の裏路地で汚職警官どもになぶり殺される運命だった俺は、おまえに命を救われた。それだけじゃない、事情通だけが取り柄の弱い俺を相棒にして戦う術を教えてくれた。




おまえの行く先がたとえ地獄だったとしても、俺だけは付き合ってやるぜ?……俺はトッド・ランサムの相棒、アロイス・ヴァンサンだからな。



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