第19話 異世界横丁

序章


 異世界との往来も日常的になりつつある昨今、某都市にある古井町の裏路地には今も尚、昭和の懐かしい風情が残っていると言う。





 今日もまた、辛い社会に疲れた人々が、昔懐かしいぬくもり残る古井町へと足を踏み入れる。

 

 古井町には何も無い。古い寺と由緒はあるが放置された神社がボンティアによって維持管理されているだけである。古い町並みだけが、時代から取り残されひっそりと佇んでいる。スーパーが無いマンションも無いコンビニさえも無い。あるのはバス停と交番とひなびた雑貨兼タバコ屋が有るだけの小さな町。それが古井町である。

 




 交番には電話が置いてあるだけ、駐在の姿は滅多に見ない。人通りもまばらなこの町で、角のタバコ屋松田商店の七十を超えた老婆、松田りんが町の顔になっている。

 

 昭和の時代からタバコ屋の看板娘として店先に立ち続け五十有余年。時代は平成に変り新たな元号を迎えるに至っても、タバコ屋の看板娘だけは変わらない。小柄な体が更に小さく萎びただけ、だがそれがまた古井町らしいともいえる。

 

 彼女にも浮いた話も有った。しかし上手く行かず、見合いで婿を向かえ子を産んだが、子供達は都市部に居を構え、夫に先立たれるとタバコ屋の看板娘は一人暮しになった。




第一章


 日がな一日を居眠りで過す店に客が来る時間帯は決まっている。朝の出勤時、煙草や飲み物を買いにくる客と、夕方学校から帰った子供達が訪れるくらいだ。そんな店だから、さぞかし閑散としているかと言えば案外そうでもないらしい。

 

 禁煙ファシズムとも呼ばれる昨今にあってもタバコ屋は繁盛し、町は観光客で賑わっている。と言うのも、訪れるのは異世界からの客なのだ。

 

 何故か、古井町は異世界と隣りあっている。隣りあっているから此方からあちらへ、あちらから此方へと往来する事が出来る。異世界と言っても入管がある訳でも税関がある訳でも無いから、往来は自由である。しかし異世界、双方にとって同じ意味であるが、異世界へ行くには必ずこの古井町の松田商店前を通らなければならない。然るに松田商店店主松田りんは古井町の門番、もとい入管職員と異世界の住人双方に勝手に思われている節がある。

 

 ほら今日もまた、異世界から客が遣って来た。

 




 訪れたのは常連のオークだ。配下のゴブリンを引き連れて、何時になく得意げに話をしている。


 異世界でオーク隊長といえば凶暴な事で名が知られている。彼の名を聞けば、仲間でさえ裸足で逃げ出すと噂される程恐れられている。並み居るライバル達を蹴落とし、魔王に一部隊任されるまでに上り詰めた彼に、躊躇などという言葉は存在しないという。


「お前達、異世界人とはトラブルを起こすなよ。異世界は人間の支配している土地だ。戦争にでもなった日にゃあ、この俺様が魔王様に折檻されちまう。紅蓮地獄で磔にされて死ぬ事も許されず、毎日はらわたを地獄のフ・ナ・ム・シに齧られるんだからな、わかったか!」





 オーク隊長は、フナムシが相当嫌いらしく、その名前を口にするだけでも抑揚に憎悪と畏怖を込め、小心者達のビビる姿を楽しながら、大袈裟なジェスチャーで注意事項を直立不動のゴブリン達に申し渡した。朝礼では何時もの事らしい。

 

「よし、俺がどれくらい異世界に精通しているか。とくと見ておけ! よう! ばーさん何時もの!」


「あいよ」


松田鈴よわい七十四歳は、常連客オーク隊長所望の缶ピースを棚から出し、ガラス戸の店先へと差し出した。

 

「流石は隊長! 異世界人とツーカーの間柄だ。このインテリジェンス! 憧れる~」


 途端に先程まで畏まっていたゴブリン達が拍手で称え、オークを見る目には畏敬の念が迸っている。





 オーク隊長は缶から煙草を一本取り出し口にキザったらしく銜えると、右手の人差し指と中指で挟んだ煙草を、ゴブリン達に向け左手人差し指で指さした。

 

 しかし、田舎者のゴブリン達にその意味が通じる筈も無く、全員顔を見合わせ焦るばかりだ。

 

「はい。これはサービス」


 隊長の仕草に気付いた店主が、すかさず百円ライターを店先に差し出した。


「すまねぇな、ばーさん。うちの役立たず共め、煙草の火ひとつ満足に点けられねぇ。おかげで隊長の俺が何時も苦労させられちまう」





 隊長の手振りに、気の利くゴブリンが店頭の百円ライターを店主に頭を下げながら受け取り、早速、点火を待ちわびる隊長の銜える缶ピース五十本入り販売価格千二百五十円の紙巻煙草の先端にライターの炎を近づけた。

 

 満足げに胸を張り煙草を燻らす隊長と、それを羨望の眼差しで眺めるゴブリンたち。

 

 自尊心と自己顕示欲が最高に高まり満足したオーク隊長は、懐から金貨を一枚取り出し、「俺の可愛い部下共へも土産話の一つもさせてやりたい。これで足りるかね?」と、のたまった。

 

「あぁ。これだけ貰えば十分だ。好きなだけ持ってきな」


 店主のお許しを頂いた途端、ゴブリンたちはアイスにジュース駄菓子と思い思いにがっついた。流石のオーク隊長も自重しろと叱るほど、彼らは異世界の珍しい食べ物に群がり歓喜している。その姿は厳つい兵隊ので立ちとは思えない程に微笑ましい。

 




 勿論、異世界の貨幣が日本国内で使える筈は無い。しかし貴金属宝飾店に持って行けば、グラム五千円近くで買い取ってくれるから、店にとって彼は上得意であった。

 

 気分上々の隊長に率いられ、ゴブリンの軍団が異世界へ意気揚々と帰って行く。手に手に仲間達への土産を持ち。満面の笑みを湛えている。

   

 



第二章


「行っちまったよ。出ておいで」


 そう声を掛けられ、松田商店の店先からのそりと顔を覗かせたのは、異世界ではかつて英雄と謳われた男だった。


 過去形なのは、彼は戦いに破れたのだ。多くの戦友の死に様を目の当たりにした。それでも尚、皆の期待と希望を一身に背負い魔王との最終決戦に臨んだ彼だが。しかし、僅かに力及ばず敗北した。それも只、敗北しただけではない。邪悪なる魔王は彼に情けを掛けた。多くの仲間の死を乗り越え辿り着いた先に彼を待っていたのは、誇り高き戦士に対する最大限の侮辱であった。






 仲間達は戦いの中、散っていった。だが彼は生き残った。これが意味するところは何か? 彼を英雄と称えてきた民衆の出した答えは裏切者の烙印であった。


 何故、おめおめと生きて帰ってきた? 仲間と共に死を選ばなかった!? そんな謗りの言葉に彼は耐えられなかった。民衆の憎悪の象徴魔王は未だ健在である。魔王を倒す為に多くの英雄達が犠牲になったと言うのに、最後の希望である彼は戦いから逃げ帰った。期待が大きかった分だけ、人々の怒りの矛先は負け犬の卑怯者に対する憎悪へと変っていった。




 

 人々は言葉にこそしないが、心の中で思っていたのだ。せめて彼が魔王に殺されてさえいれば、後に続く者達への手本に成れたものを。それが叶わぬなら、何故自ら恥をそそがなかったのか。やはり彼は死ぬのが怖い臆病者ではないか。

 

「だから、こっちの世界に逃げて来たっていうのかい?」


「そうです。今更自ら命を絶ったとて、臆病者が辛さに耐えかね死を選んだに過ぎません。ならばいっその事、臆病者として生き延びてやろうと思ったのです」


「そうかい。大変な目にあったんだね。あんたが自分で選んだ道だ。あんたの好きにすれば良いよ」


「そうですよ! そんな酷い話ありません! そんな所からは逃げてしまえば良いんだ!」






第三章


 突然、鈴と元英雄の会話に割り込んだ声に、驚いた二人は怪訝な顔で声の主へと顔を向けた。そこには何時の間に訪れたのか、スーツ姿の青年が立っていた。身なりからして営業職の会社員に見える。

 

「あんたは?」


「あぁ、突然申し訳ありません。こちらが古井町の松田商店さんですよね?」


 青年は営業マンにしてはぎこちない挨拶で二人に違和感を感じさせた。


「そうだけど、うちは買うもの無いよ」





「営業じゃありません! 違うんです。此方が異世界の案内所と聞いてきたんです」


「誰がそんな根も葉もない噂を流しているんだろうねぇ。うちはただのタバコ屋なのに」


 鈴は困惑するが、最近訪れる客に変わり者が多いのは気に掛かっていた。

 

「SNSで此処から異世界に行けるって、タバコ屋のお婆さんが案内してくれるって! だってこの人は異世界の人なんでしょ? 僕も異世界に連れて行ってください!」


 成る程、近頃はインター何とかで宣伝できると聞いてはいたけれど、勝手に出鱈目な噂を流す輩も居るんだねぇ。   

 




「詳しい事はわからないけど。この道を真っ~直ぐ行けば、あんたの言う異世界とやらに行けるんじゃないのかねぇ」


「入国審査とか無いんですか? パスポートは持ってきてます!」


「だ・か・ら、うちは只のタバコ屋だから、ハンコだって認印しか無いよ」


「それで構いません! いやぁ感激だなぁ。異世界の判子貰えるなんて一生の思い出になります!」





 青年は、店に備え付けの印鑑を押されたパスポートを眺めながら嬉しそうにはしゃいでいる。


「ところであんた、まだ若いのに自分の世界を捨てて、何でまた異世界になんぞ行こうと思ったんだい?」


 齢七十を超える年寄りの疑問としては当然だろう。鈴は酸いも甘いも噛み分け、辛い現実を耐え忍んで家と家族を守り生きてきた。戦後の成長期とは言え、社会は未だ戦前の影を引きずり、その反動にも翻弄された、そんな厳しい時代を必死で生きてきた。今や科学万能の時代ではないか、どんなに遠い場所の人とも会話ができ、どんな難病であっても研究され何時かは治療法が確立される。今は無理でも、少なくとも希望が持てる時代ではないか。人は必ず死ぬのだ、それは今も昔も変らない。昔なら病気にかかればほぼ確実に死が待っていた。そんな時代に青春を過し、タバコ屋に人生を捧げてきた。現代的に言えば、犠牲になった。昔の人達にとって、未来の理想社会に生きる彼ら若者にどんな不満があると言うのか。鈴には不思議でならなかった。

 


 

 

「早速、入国理由の聞き取りですね。勿論、異世界を救う為です! と、言いたい所ですが現実世界からの逃避ですかね」


「辛い現実から逃げ出そうっていうんだろ?」


 元英雄の辛辣な批判的意見にも、青年は微笑を崩さない。予想していたのか、余裕の表情さえ伺える。





「でも、あなただって同じでしょう? 話、聞いてましたよ。異世界で上手く行かなくて逃げ出してきたってね。この僕とどこが違うっていうんです? 僕の世界では子供の頃から競争社会を生き抜いて、やれ嫌な奴とも仲良くしなさい。でも恋愛は駄目! 漫画やアニメは悪い物。大人しくしなさい! でも悪い大人の真似はしてはいけません! そんな青春時代を過してですよ。受験勉強になったら必ず勝て! 負けたのは自分の努力が足りない所為だ! 運と努力で就職戦線を掻い潜り、社会に出たらブラック企業に搾取され、少ない給料じゃあ休日も寝てるしかない。なのに、なんで彼女居ないんだ? どうして結婚しないんだ? 子供を作れ! って、社会から責め立てられる。ドロップアウトしたらクズ扱いなんだ。毎日何人が自殺していると思います? 自殺さえ出来なかったあなたに言われる筋合いなんて無いんですよ」





 元英雄から目を逸らさず訴える青年の顔は柔和ではあるが、語気は次第に強くなっていた。


「俺も努力した! それでも――」


 元英雄が青年に反論しようとした時、背後からオーク隊長が声を制した。


「お――っとお話合いはそこまでだ! 戻ってきて正解だったぜ。俺様が出張った要件をばーさんに伝えるのを忘れてた。おかげで、お尋ね者を見付けられるとはラッキーだ! こーゆーの泣きっ面に蜂って言うんだよな」


「オークのアニキ、そこは怪我の功名かと」


「わあってるよ! 今そう言おうと思ってたんだ。それより、わかってるな!? ゴブリン共、奴を逃がすんじゃねーぞ!」


 オーク隊長はゴブリンたちに元英雄を包囲させている。





「国境線は大丈夫か?」


「へい! アニキ! 野郎はギリギリこっちの世界に居やす! 例えぶっ殺したって問題になりゃあしません!」


「まぁそういうこった。大人しくばくに付けば魔王様にだって慈悲ってものがあるんだぜ。釈迦の目にも涙と言ってだな」


「アニキ、其処は鬼がイイと思いやす」


「わかんねーのか!? 今日は釈迦の気分なんだよ!」





「断る!」 


「早速、断られちまった。これだから自称正義の味方ってぇのは処置無しなんだ。奴ら熟考じゅっこうという言葉を知らねぇ。断るのは構わんが、いくら英雄なんぞと言っても斬られりゃ痛ぇぜ!?」


「貴様らこそ、やられ役の怪物Mobのクセに英雄に逆らうとは猪口才ちょこざいな! 返り討ちにしてくれるわ!」


「言いやがったな! こっちとら伊達に長年怪物Mobやってんじゃねーんだ! 捕まりゃあいずれは三条川原で晒し首よ!」


「なんだろうねぇ。この台詞せりふ回し、あたしゃ時代劇を観ている気分だよ」


「すいやせん。あっしらの世界じゃ今、異世界の時代劇が流行ってましてハイ」    


 観覧者の心配を他所に、二人のヤル気は益々高まっていった。今が一番脂の乗っているオーク隊長と対するは哀れな負け犬、騏リンも老いては駑馬どばに劣る。賭けにもならないが、腐っても鯛と元英雄に賭けるゴブリンも居る。




 

「そんな訳であっしは元英雄に十ジンバブエドル!」


「あんた、自分所の隊長に賭けなくていいのかい? 第一そんな通貨何処から出てきたんだい?」


「嫌だなぁ。逆張りっすよ。ハイパーインフレでデノミしたジンバブエ政府が金を回収したはいいが、処分にも金がかかるってんで、うち等の世界にくれたんすよ。こっちじゃ普通に使えるんすが、現在も絶賛下落中でやんす。きっと呪われてるんでやんしょう」 





 鈴は異世界人が支払っている金貨も心配したが、きんは金相場で取引され、国家が破綻しても金としての価値が大きく変動する事は少ない。だから、昔から国情の変化が著しい地域では金銀食器や細工物が重宝されてきた。それを思い出し胸を撫で下ろした。

 

「ふ~ん。じゃあ魔王様とやらが戦争に負けちまったらお金の価値はどうなるんだい?」


「そりゃあ、あっし達は失業して経済破綻しちまうでしょうねぇ~。魔王様の信用で発行している紙幣は紙屑になり、人間どもの金本位制に逆戻りでさぁ。するってーとあっしたちの世界の金が異世界に大量流出して異世界の金相場は下落する。それに伴いあっしたちの世界はインフレスパイラル一直線で。へい」





「意味がわからないよ、年寄にもわかる様に説明しておくれよ」


「えーっと、でやんすね。例えば、こっちがそっちの世界の林檎を一個百円で買いやす。きんで。すると、そっちの世界にあっしらの世界から大量の金が流入します。金の価値は地金の相場でやんすからこっちからそっちに大量に金が流入すると、そっちの世界は金の価値が下がる。価値が下がるってーと、レートも変化して百円分のきんでは足りなくなる。今まで以上に金を出さないと林檎が買えなくなる。金が更に流入する事に成る。これがインフレスパイラルでやんす」


「よくわかんないけど、魔王さんが負けたら経済が大変な事になるって事かい?」


「そうでやんす! 今は金貨一枚で腹一杯飲み食いできやすが、きんの価値が下がれば、姉さんの店での買い物も出来なくなりやす。金の価値が下がりやすから。だからあっしらは戦いたくもねぇのに戦争してるんすよ。魔王様が正しいからでやんす。人間がいまだに金本位制を守っているのは仲間でさえ信用していないからでやんす。金で取引すれば安心ですからね。強欲で自己中だから、人間社会は経済破綻まっしぐらなんでやんす!」






「じゃあさ、あたしゃ魔王さん側を応援すりゃいいって訳だね?」


「そうでやんす! フレーフレーアニキでやんす!」


 ゴブリンの説明に一応納得した鈴は、ゴブリン達と揃って応援の旗を振っている。熱烈な声援を受け、オーク隊長にも気合が入った。


「腐っても英雄。お手並み拝見するぜ!」


「悪いが、今お前と遊んでいる暇は無い。俺にはやる事が出来ちまったからな。怪我しないうちに其処をどきな!」


「ほざけ! オーク隊長オリジナル奥義、剣の舞! うけてみろ!」


 オーク隊長が両手足から器用に繰り出す四本の剣の切っ先が、元英雄の面前へと放たれた。

 



最終章


「そっちがその気なら見せてやるぜ! いきなり究極奥義! ここで合ったがお前の運の月Death!」 


「なっ!」


 何か不穏な空気を感じたオーク隊長は防御よりも回避を優先し、ムーンサルトで華麗に避けてみせた。しかし、何も起こらないじゃないか。驚かせやがってと、冷や汗を前腕で拭う彼の遥か後方、約三十八万四千四百キロメートル彼方で月が割れた。砕けた。落下した。月は流星となり降りそそぎ、異世界の片隅に月山を作った。

 

「なっ、なんて事しやがんだ! この環境破壊者め!」


 怒りに任せ斬りかかったオーク隊長だが、なんなく剣で受け止めた元英雄との睨み合いが火花を散らす。





「これでわかったろう。俺のチートスキルはDeath。どんな野郎でも確実にぶっ殺す。(今のはミスったが)」


「凄い凄い!」

 

 何時の間にやらオーク隊長応援団に加わっていた青年に向け元英雄は、先程中断させられた話を続けた。


「察しのとおり、俺もこっちの世界の人間だった。俺も夢と希望とチートスキルを持って異世界に転生した。ところがどうだ!? 異世界も元の世界となにも変りやしねぇ! 嘘と欺瞞と虚栄の世界だ。それでも俺は異世界で英雄になる為に、努力した。魔王を倒せば皆に感謝され、俺は幸せになれる! そう思っていた。ところがだ、魔王を倒し幸せになれるのは俺と、俺を唆した一部の勝ち組どもだけだ! 魔王を倒すって事は、俺たちを虐げ見下していた連中の仲間に成るって事だ!」





「でも幸せになれるのならいいじゃないですか? あなたの能力なら魔王を倒せるんでしょ? なら逃げずに倒しましょうよ……」


「そうかよ。お前はそうしな。だがな、俺は真っ平ごめんだ! 俺は魔王に戦いでは負けなかった。しかし、奴に真実を知らされ、死んでいった仲間たちや、これから不幸になる人々に申し訳なくなって逃げた! 魔王を倒し、そ知らぬ顔をして自分だけが幸せに成るなんて出来るかよ! ところがだ! 魔王を倒さなかった俺を人間どもは裏で腰抜けと罵っている。俺がいったい何をしたって言うんだ!? 経済破綻を防いだんだぞ!? 魔王は言った。俺が人間を説得し魔族と協力し助け合えば、世界は平和になる。人々には笑顔が甦りモンスターとも力を合わせ共に生きられる世界が訪れる。そう説得した俺に人間共は何と言ったと思う!? 裏切り者だ!」





「じゃあ、元の世界に戻りましょう」


「それも断る! 俺は来た道を戻る」


「どうして? 今更戻っても、また馬鹿にされるだけでしょう」


「構わん! 俺の言葉に誰も耳を貸さなくとも、馬鹿にされ続けても、死んでいった仲間や人々の為に説得し続ける! それは俺にしか出来ない事だからだ! もしも、かつての俺やお前みたいな不幸な若者が異世界へ訪れても、平和な世界が待っている様にしてやる!」


「英雄なのに、そんな事までしなくちゃならないなんてあんまりだ。お婆さんも説得してください」





 鈴は、話を聞き戦うのをやめたオーク隊長と共にゴブリンたちを引き連れ異世界へと帰って行く英雄の後姿に向け語りかけた。


「あんたが自分で選んだ道だ。あんたの好きにすれば良いよ」


「そんな無責任な!? 英雄さんきっと死ぬ気ですよ!? このままじゃ野垂れ死にするかも知れない。助けなきゃ!」


「他人の事を心配しても始まらないさ。さぁあんたも、自分の人生だ、進むか戻るか自分の事は自分で決めな! 出来ないのなら、それが今あんたに必要な目標さ」


 松田商店の看板娘、松田鈴七十四歳は、去って行く彼らの後姿を、小さな丸眼鏡の奥に光るぬくもりで見送った。

 



〈了〉

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