第14話 ロジカルシンキング4

 その日、榎本歩えのもとあゆむ九歳は母親の言いつけに背き市街地を歩いていた。学校までの距離は子供の徒歩でも三十分ほどのもので、校区内には徒歩で通う児童も多い。しかし、あゆむを溺愛している母親の彩加あやかは母子家庭であるため、送り迎え出来ない事に引け目を感じていた。その為、あゆむにはバスに乗るようにと何時もお金を渡し、バス代とお小遣いにさせていた。

 

 そんな母をあゆむは心の底から愛していた。

 

 この日も、あゆむは友達と途中まで下校すると、用事があるという友達と別れて、途中にある繁華街のアーケードを潜り、ゲームセンターを横目に本屋で新しいマンガ本が発売されていないかと物色すると、幹線道路の一等地にある貴金属宝飾店へと入った。




 

 何時もは帰る途中で友達とゲームセンターで人気アニメのキャラクターゲームを楽しみ、本屋でマンガ本を立ち読みしては、コンビニの駄菓子を食べながら帰路についていた。

 

 しかし、母親の誕生日が近付いたここ数週間ほどは友達との付き合いを控えていた。


「いらっしゃいませ。遂にお金貯まったのかな?」 


 あゆむが店を訪れた時、最初に対応してくれた女性店員が、あゆむの入店を確認すると真っ先に声を掛けてくれた。その手には小奇麗な化粧箱に入った質素な指輪が収められていた。

 

 これはあゆむが唯一の肉親である母親に贈るプレゼントだった。あゆむに女性の指輪の意味はわかろう筈もない。しかし、子供連れの女性の指には必ずと言っていい程、左手の薬指に指輪が光っていた。なのに、あゆむの母親の指に指輪は無かった。

 




 あゆむの母親は彼が生まれると直ぐに離婚していた。理由はわからないが、父親が居ないのは、母親があゆむの事を思っての事なのだろうと彼なりに理解していた。

 

 あゆむを愛し、女手一つで大切に育ててくれている母に一つだけ欠けているもの、それが薬指の指輪だとあゆむは思っていた。そこで、バスで帰る約束で母親が渡していた週に千五百円のお金を、帰りは歩き、友達と遊んで無駄使いしない様に我慢して貯めたお金が、ようやく指輪の金額にまで貯まったのだった。

 

 母親の指輪のサイズは事前に聞いていた。それを、下校途中のアーケード街を抜けた幹線道路にある貴金属宝飾店の女性店員に伝え、手頃な値段でプレゼントできる品を選んでもらっていた。




 

 お金を数え終え微笑んだ女性にあゆむは、小さな手紙を渡した。その封筒には頑張って書いたのだろう、幾度も書き直した事が伺える子供の字で、『おかあさんへ』との文字が書かれていた。

 

 店員は、指輪を包装し、手紙を一緒に入れられる様に白い花柄が素敵な小袋に入れてあゆむへと手渡してくれた。この時、店の外は夕暮れが街を照らし、高い空をオレンジ色へと染めていた。

 

 あゆむは店の女性店員に丁寧にお礼を言い、意気揚々と、歩き慣れた自宅マンションへの道を歩き始めた。

 

 時間は何時もより少し遅くなっていた。延びる影があゆむを追い越し長く長く進んでいた。影は呼ぶ、早くおいでよと。

 




 やがて何時もの風景が、あゆむを暗闇に包み始めた。高い高い建物の、長い長い黒い薄暗闇があゆむの全身を包んでいった。

 

 何時ものバス停が見えてくる。本来、あゆむが降りる筈のバス停に人影はなかった。見通しのよい直線道路の真ん中にある横断歩道で、歩は左右をよく確認し、学校で何時も先生に言われている様に手を上げて横断歩道へと歩みだした。次の瞬間。あゆむの側面から、其処に居ない筈の巨大な物体が唸り声を上げながらあゆむを暗闇へと連れ去っていた。あゆむには大きな衝撃と暗闇だけが残された。

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