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第4話 私の思い通りに動く奴隷

入学式から数日後。

 背理の憂鬱は続いていた。続くどころか酷くなる一方だ。

 拝島背理は転換の落ちこぼれ。クラスの皆が知っていた。あの現場を見ていなくとも、議具の色を見ればわかる。くすんだグレーは転換の証明だ。

 専権選別の次はクラス内の生徒で論隊と呼ばれるチームを組む。二名から七名というルールだが六名が一般的らしい。七種類ある専権の内、転換を除いた各専権を一名ずつ。場合によってはどれかを省いて逆接や順接など発言頻度の多い専権を二名置くこともある。

 専権が変更できないように、一度組んだ論隊はメンバーを変更できない。やむを得ない場合は脱入隊できるらしいがその時点で戦績がリセットされてしまう。個人だけではなく論隊の序列もあるが、ビリからやり直しになるそうだ。

 ──このように専権だの序列だの覚えることがたくさんあるというだけでうんざりするのに、この論隊という制度はさらにうんざりだ。誰も彼もメンバー選びには慎重になり、腹の中を探り合っている。誰からも避けられている背理はその輪に全く入れない。だがそこに無理矢理割って入ってどこかに所属しなければならないのだ。

「背理、誰と組むか決まったか」

 一つ前の席に座る春樹が気にかけてくれてはいる。椅子に逆向きに座って心配そうに背理の顔を覗き込む。しかし彼も今後の人生がかかっているので安易に自分と組もうとは言ってくれないのだった。背理としても彼と組んで恨まれるのは面倒だ。

「決まらねえよ……。お前はどうなんだ? 春樹」

「全然だ! まだお互いどんな奴か測りかねてっからな」

 お手上げのポーズ。首を横にブンブン振る。声も大きいが動作も一々大げさだ。

「だよなぁ。ルール的に気が合った方が良さそうだし」

 相談もなく味方の意思を汲み取り、一つの文章を紡いでいく。お互いを理解し合っていないと不可能なことだ。

「だが完全に序列重視で決めてる奴らもいるみてぇだぞ」

 春樹は教室の窓際にいる一団に目をやる。その中心には端正な顔立ちの男が得意げに踏ん反り返っている。確か翼丸とかいう名前だ。

「お前も結構高かったよな、春樹」

「まあな! でも声かかってねぇ。もっと上がいたんだろチクショーが」

 序列も高く人当たりの良い能登は自然に誰かと組めるだろう。問題は背理だ。

「これって誰とも組めなかったらどうなる? 退学?」

 それも悪くないか、と半分思いながら尋ねてみる。

「期日までに組めねぇ奴らはまとめて組まされるってよ。専権がかぶっててもおかまいなし。必然的に最弱の論隊になるってわけだ」

「あー……」

 余り物同士の寄せ集め。精神的に来る案件だ。自分はおそらくそうなると想像し、ため息をつく。

 だがまあその制度のおかげで組めずに終わるということはないのだ。どう頑張っても誰も受け入れてくれないのだし諦めてその時を待った方が得策かもしれない。──こういう逃げの発想が転換になった原因なんだろうが、もう決まってしまったのだから今更改善しようという気も起きない。

「とりあえず俺は昼休みにいろんな奴と飯でも食ってみるつもりだ。背理、お前も乗っかるか?」

 バッと顔の前に人差し指を向けられる。顔は斜に向け不敵な笑みを浮かべる。ありがたい提案ではあるが、しかし。

「……いや、いいよ。そんなことしたら俺と組んでるって誤解されるかもしれないぞ。俺は遠くで一人で死ぬ」

 口では彼を気遣っている風を装ったが、実際はとにかく気が乗らないだけだった。それに春樹からはクラスの中心人物になる匂いがする。近くにいると余計な付き合いが増えそうだ。……この期に及んで背理はまだ逃げているのだ。

「んなこと言うなよ。なんとかなるって。自分から動き出さなきゃ話になんねぇぞ」

「ああ。自分でなんとかするからいいよ。一人で行ってくれ」

「……そうか」

 まだ心配そうな様子だったが春樹は会話を切り上げて背中を向けた。

 背理はため息をつく。自分でなんとかする。なんとかしなければならない。今逃げてしまっては後々もっと酷い目に遭うかもしれない。理解してはいるのだが、いかんせん戦況が不利にも程がある。

 春樹のようにとにかくいろんな人と喋ってみようと考える積極的な生徒が多いのか、授業と授業のこの時間でも賑やかな会話が教室内に充満している。背理に話しかけてきた人間は一人もいないが……。

 背理の右斜め前の席では校内ランキングビリに輝いた玉浜ななかが顔の緩んだ男子生徒に囲まれている。しかし会話を盗み聞きする限り論隊に誘っているわけではないようだ。まだ探っている段階なのか、それとも全校でビリの彼女と共に戦うのは御免と言ったところなのか。それでもお近づきにはなりたいらしい。

 当のななかは色目を返すこともなくあくまで自然体で素直に受け答えしている。いきなりこんなにモテてしまっては他の女子生徒からのやっかみもありそうなものだが。それにこんな人気どころを狙う男同士も険悪になるのではないか。背理は他人の人間関係を想像し、勝手に面倒臭がった。

 もう一か所人だかりができている場所があった。教室の左側前方、その中心にはやたらと姿勢の良い女子が腕を組んで座っている。背理の位置からはその背中しか見えないが妙な迫力を感じた。

「アンタとは組めない」

 御堂筋アキハが凛と澄んだ声でビシッと拒絶を示すと、人だかりを構成していた一人の男子が背中を丸めて立ち退いた。

 あちらは勧誘合戦のようだ。そりゃああの序列なら誰もが味方にしたくなる。しかし、自分を頼りにして人々が集まってくるという状況を彼女は明らかに楽しんでいなかった。

「じゃあ私たちと組もうよ。女子同士の方が楽しいよきっと」

 続いて女子生徒三人組が話しかける。まるで憧れのアイドルに出会えた時のように瞳をキラキラさせている。

「楽しいかもね。でも楽しいだけじゃしょうがないのよ」

 一蹴。

「……そっか、しょうがないね」

 三人組はアキハに背を向けてその場を離れる。あんなに輝いていた瞳は一転してくすみ、不機嫌そうに小声で何か話し合う。その内容までは聞こえなかったが「何よあの子お高くとまっちゃって」とか「調子に乗ってんじゃないわよ」とかいう部類なのだろうと想像される。

 対するアキハは嫌われるような態度を取ることに迷いはないようで、おそらく聞こえるように文句を言われていたとしても平然としているだろう。

「じゃあどういう人と組みたいの?」

 人だかりの中にいた他の女子生徒が少しアプローチを変えて攻める。すると周りの生徒も興味を示して前のめりでアキハの回答を待つ。

「私の思い通りに動く奴隷と組みたいの」

 端的にそう伝えると群衆は硬直した。確かに、『縛接闘議』のルールを考えると自分の思った通りに発言してくれる人材は必要だ。しかしここまで正直に言ってしまうのは如何なものか。

 実力はあるのかもしれないが行動を共にするのは難しいかもしれない。そう予感させるには十分な態度だったらしく、人だかりは徐々に散り散りになっていった。

 あいつも最後まで余るんじゃないか。背理はそんな予測を立てる。最終的には余り物同士で組まされることになる。身震いする。もしかしたら奴隷役は自分になるかもしれないのだ。


 ***


 昼休み。背理は購買部に昼食を買いに行った。もちろん一人で。

 そしてもう一つ、買わなければならない物がある。議具は剥き身で持っていると失くしやすいため、何らかのアクセサリーに埋め込んで身につけることが推奨されているのだ。あの小さな機械に合わせたくぼみのついた各種アクセサリーのパーツが購買部で販売されていた。

 同じくパーツを買い求めにやってきた生徒達で売り場は埋まっている。「アクセサリーパーツ」と書かれたのぼりの麓にはなかなかたどり着けない。主に女子生徒が数人でどれにしようかと楽しそうに語り合っている。

「赤やだなぁ。青が良かった」

「逆接だもんね。私は選択で良かった。緑好きだもん」

「ねえ、ピアスにしない? お揃いでさあ」

「う~ん、親に怒られちゃうかも」

「バレないよ。実家帰る時だけ髪で隠せばいいでしょ」

 同じ物でもどれだけオシャレに見せられるか。年頃の女子の腕の見せ所だ。賑やかな雰囲気にあてられて背理のテンションは落ちていく。彼にとって重要なのはオシャレに見せるかどうかではなく上手く目立たないようにできるかだ。落ちこぼれを示すグレーの議具を堂々と身につける自信がない。

 どうにか人だかりの隙間から棚を見ると、ヘアピン、指輪、ネックレスなど様々なアクセサリーが並んでいる。どちらかというと男子には身につけづらい物も多く、その上あまり目立たない類に限定するとなると実質的に選択肢は指輪と腕輪くらいしかなかった。腕輪なら袖で隠せそうな気もしたが、腕時計をあっという間に外せるほど腕が細いのがコンプレックスだったためもう指輪一択だ。一年中手をポケットに突っ込んで生活することにしよう。

 すみませんとお声かけし棚に手を伸ばす。じっくり選んでいる余裕はなく、とりあえず掴めた物で満足するしかなかった。シルバーで妙にゴテゴテした厚みのあるもの。随分目立ってしまいそうだが棚に戻す隙間はもうない。

 サイズも調べていられなかった。結果的に彼が掴んだのは薬指にちょうど良いサイズ。左手につけると別の意味が生まれてしまいそうなので右手につけるしかない。まったく、ことごとく選択の余地がないではないか。

 トボトボと喧騒を離れてサンドイッチのコーナーの前に立つ。こっちくらいは好きな物を選びたい。ついでに言うなら好きなだけ食べたい。太いカツが挟まった一品やデザート代わりのフルーツサンドなど結構な量を手に取った。喉が乾きそうなのでついでに缶コーヒーを二缶。

 会計を終えて早速ビニール袋から缶コーヒーを一缶取り出して一気飲みする。ずっと落ち着かない気分だったが何か喉を通すと少しだけ気持ちが安らいだ。

 教室に戻りながら校内を観察する。廊下がL字に折れる少し手前、窓から見えた赤いレンガ造りの外壁は欧風の城を思わせる。新しい建物ではなさそうだったがそれがかえって神秘的な雰囲気を醸し出していた。校舎内はどこを見ても清潔でチリ一つない。さぞかし優秀な掃除業者を雇っているのだろう。

 中庭では六人組の生徒たちが太陽の光を浴びながら食事をとっていた。普通の学校ならただの仲良しグループなのだろうが、この学校の場合はおそらく論隊なのだろう。三年間行動を共にする運命共同体。自分の受け入れ先を見つけなければならないという現実を思い出す。

 教室の前に到着すると自分の席の周辺で春樹が男女混合の七、八人の団体の中で弁当を食べているのが見えた。先ほどの宣言通りまずはクラスメイトたちを知ろうとしているのだろう。

 ここでソロ飯を展開したらまた春樹に気を遣わせてしまうかもしれない。というか自分の席には春樹が呼んだであろう知らない奴がすでに陣取っている。これなら無理矢理にでも背理を輪に入れさせることができるという春樹の作戦だったのかもしれない。ありがたいことではあるが乗り気になれなかった。

 入れる論隊がないどころかご飯を食べる場所すらない。背理はそのまま教室をスルーして安息の地を探すことにした。しかし他の教室に入れるわけでもなく、ベンチがある中庭やエレベーターホールはすでに他の生徒たちで埋まっている。他の階のエレベーターホールならどうだろうと階段で一つ、また一つと上っていく。やはりどこも人だらけだ。

 ──しかし背理は気づいた。校舎は四階建て。ここは四階。それなのにまだ上に続く階段がある。これはきっと屋上への道だ。

 学校の屋上。漫画やアニメでよく見かける憧れの場所だ。しかし現実は残酷で、大抵の学校は屋上への侵入を禁じているものだ。おそらくこの学校もそうだろうとは思ったが、どうせ居場所のない彼は試しに上ってみることにした。

 七段上り、折り返してまた七段。そこには六畳ほどのスペースがあり、古ぼけた体操マット、ライン引きの粉が詰まった袋、三角コーン、体育祭で使うような得点板などが雑多に並ぶ。何に使うかもよくわからない物までゴロゴロ転がっている。とにかくあまり使わない物や処分に困った物を置いておく場所のようだ。

 やはり屋上への扉は施錠されていた。普通の生徒ならガッカリするところだが背理は飛び跳ねて喜びたい気分だった。先に進む道がない。誰も通らない。だから人っ子一人いないのだ。

 良く言えば孤高の存在である彼にとっての理想郷。悪く言えばボッチの彼にはお似合いの流刑地。背理はここに骨を埋める覚悟を決めて、この隠れ家の中でもさらに隠れ家になりうる得点板の後ろに腰掛ける。

 ビニール袋からサンドイッチを取り出す音が虚しく響く。会話もせずに一人で済ます食事はあっという間に終わってしまった。残りの缶コーヒーも飲み干してため息をつく。

 ……辛い。

 元来一人が好きな背理でもこれはなかなか堪える。

 落ち着いたら急に悲しみが押し寄せてきた。先ほど買った指輪にグレーの議具をはめ込んだらもう涙が出てきそうになった。これのせいで自分は生きる希望を見失っている。赤や青ならこのシルバーに映えたのだろうがくすんだレーは全く輝くことがない。

「こんな学校来るんじゃなかった」

 誰もいないのをいいことにひとりごちてみる。いっそ叫んでやりたいくらいだ。どうせ誰一人、背理の声を聞いてはくれない。よし、やってやる。できる限りの大声を張り出すために肺いっぱいに空気を取り込んだその時、

「何の用なの?」

 聞き覚えのある声がした。

 隠れたまま、乱雑に置かれた各種用具の隙間から姿を確認する。

 御堂筋アキハがそこにいた。

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