琥珀の慟哭(下) 42 (72)



華子は目を伏せる。再び口を開く。


「あなたに言ってないことがあるの」

「それってお父様と結婚する前のことですか?」

「そうね。それに近い」


華子は決心が着いたのか、ゆっくりと目を伏せて話す。


猪瀬いのせ龍児りゅうじって名前で思い出した。日名子さんと関わってた猪瀬って。思い出したのよ、昔、お金持ちの猪瀬さん家の長男、龍児さんから交際を申し込まれて、断ったのよ。で」

「ちょっと待って下さい。どういうこと?」


祐は訳が解らず混乱する。私にも解らない。猪瀬家との因縁があるということか?


「ゆっくり話すわ。私は裕次郎さんと結婚する前のそれこそ、学生時代の話からするわ」

「えっと。長くないです?」

「そうね。少しだけ長いわね。ごめんなさいね」


華子は昔の話を始めた。


「前にも話したと思うけど、私と兄の優輝ゆうきは養護施設で育ったの。学校は普通に公立の学校ね。猪瀬さんに交際を申し込まれたのは中学生のときよ。何度か交際を申し込まれて、その都度、兄が助けてくれたわ。高校に入る前に、猪瀬さんは私を諦めたわ。すっかり名前なんて忘れていたけど。裕次郎さんとの相続争いも私自身のことがあってのことかもしれないわね。それに今回のやたらと「猪瀬」という名前の人物も含めて。猪瀬龍児が何かをやっている可能性があるわ」

「というか、いきなり過ぎて僕は頭が追いつきません。どういうことです?」

「だから、猪瀬龍児の逆恨みかもしれないということね。日名子さんのことも」


華子は執念深い猪瀬に嫌悪感をにじませる。祐はそんな華子の顔を覗き込んだ。


「逆恨み?ん?猪瀬さんですか。僕、猪瀬さんについて多少調べたんですけど、数年前から海外に居るって」

「それは本当なの?」

「ええ。そうですよ。僕はお母様がいつも、利用している白井さんじゃなく、違う興信所に依頼しました。だから間違いないですよ」


祐は華子の情報が間違っていることを指摘した。華子は驚いている様子だった。


「お母様が猪瀬さんの情報を調べたのは何時です?」

「そうね。3年くらい前よ」

「3年前ですか、結構、最近ですね。ああ。僕が調べたのは今年です。あの、日名子の件のついでに」


祐の言い分に嘘はないだろう。華子はため息をつく。祐は華子を心配そうに見る。

華子は祐の主張する猪瀬が海外にいる証言に安心したようにも見えた。

けれど、華子の顔色は思わしくない。先ほどの電話の相手の所為だろう。


「なんか顔色が悪そうですけど、大丈夫ですか?」

「顔色?そうね。あまり良くないかも」

「良くない?そうね。今から話すこと、ゆっくり聞いてくれる?」


華子は息を吸う。華子は椅子に座り、祐にその向かいに座るよう促した。

華子と祐は向かい合わせになる。祐は華子の様子を伺い見た。


「あれは施設にいた頃のことなんだけど。十四歳くらいの時かな。私と私の兄と仲が良かった桐谷きりたに美織みおりという人がいたの。彼女はまあ、手癖が悪くてね。養母さんも手を焼いてね」

「手癖の悪い友達ですか。窃盗ですか。それがどうしたんです?」

「その美織がお金持ちと友達になったらしいの。で、ある時、その家に招待されたことがあったの。美織と私は、その家にある代々受け継いでいたネックレスを盗んだの」

「盗みですか。それはまた凄い。で、捕まったんですか?」


祐はその話を少し驚きつつも、聞く。華子は続ける。


「でね。まあ、捕まらないわけがない。美織は私を庇って、「私だけがやった」って主張して少年院行きになった。それから美織の人生の歯車は狂い出した。少年院から出所した後、施設に戻らなかった。ヤクザの女になったのよ」

「それは、また大幅に反れましたね。人間社会というのは一度、道を外すともう二度と戻り難い」


華子は目を伏せる。祐はその顔を覗き込む。


「そこからはもう酷かった。私たちの生活を壊そうとした。学校にヤクザを送り込んだりしてね。美織は「アンタの所為で、私の人生めちゃくちゃだよ。責任とれ」と言ってきたりね」

「完全に八つ当たり。じゃないですか?」

「まあ、そうよね。でね、兄は前にも言ったけど不良だった。けれど、誰よりも私のことを思ってくれていた。兄は美織に言ったのよ。「俺が華子の代わりに責任を執るから、華子とは一切関わらないでくれ」って。で、兄は死んだ。勿論、自殺という扱いでね。だけどね、兄の身体には臓器が一部、なかったのよ。殺されたの。美織は私の前に一切現れなくなった。私は警察に再捜査を依頼したのよ。けれど、叶わなかった。私は美織を見つけて、絶対に復讐してやると思っていた。美織の消息を知ることはなかった。どんなに手を尽くしても見つからない」


華子の表情は険しくなっていた。

祐は驚きつつも、冷静さを失わなかった。

私の家に来た時も思ったが、肝が据わっている。

反社会的な友人を持っているだけあるのだろう。


華子の話は衝撃的過ぎる。

恐らく、華子の兄がろくに捜査されなかったのは、不良で何度も警察にお世話になっていたかもしれない。

警察側も厄介な事件に巻き込まれた可能性を考える前に投げ出したということなだろうか。どうにも酷すぎる。


「これまた衝撃ですね。で、その美織さんの件で、お母様は脅されているってことでOKですか?」

「さすが理解が早いわね」

「反社の友達からよく聞いた話です。昔の落ち度をとことん利用して叩く。奴らの手段です。で、要求は何でした?」

「一人でビルに迎えって。電話の相手は最初、磯貝さんとのビジネスの関係で下請けやっていた人って言っていたんだけど。その後、美織の件を出してきたのよ。「このことが公にされたくなかったら、一人で来い。ただし、警察には言うな」って」

「まさか、本当に行くんですか?」

「うーん。行こうかなと」

「はぁ」


祐は華子に呆れて、額に手を当てた。


「胡散臭いですよ。やめたほうがいい」

「まあ。そうだけど」

「だって、お兄さんが亡くなってかなり経過してますよね?わざわざ今、美織さんのことで揺すりますかね?」


祐は訝しい表情を浮かべた。


「……それもそうね。まあ、よく解らないけど、行ってくるわ。もしも、私が夕方になっても戻ってこなかったら……警察を呼んで」

「は?ヤバイんですか?何があるんですか?」


祐は慌てた様子で華子に聞く。華子は祐を落ち着かせようと両肩に手を置く。


「大丈夫だから。私は行くわ。じゃあ、後は頼んだよ」


華子は祐に背を向けると、社長室を出て行った。


祐はその後姿を見つめた。


**********************


南田は独房の窓からの光を見た。

今朝の調子は良い。別に変な夢も見ない、死への恐怖も次第にやわらいだように思う。


南田は人の命を奪った自分が死を恐れるなんて、滑稽だなと思った。


琥珀の慟哭(下) 42 了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る