琥珀の慟哭(下) 7 (37)



 思い出はゆっくりと見えてきた。


「はぁはぁ」


 誰かの息遣いが聞こえてくる。徐々に周辺が見えてくる。

 伊藤は大人の女性を小さな身体で支えていた。


 その周りには、先ほどの男性二人が胸から血を流して倒れていた。

 恐らく絶命している。南田は言葉を失った。


木崎きざきさん」


 伊藤は女性に呼びかける。信者の女性だったのだろうか。


「わ、私はさとる様………を信じ…ています。どう……か。その力を未来に役立ててください」


 伊藤の名前は覚というらしい。伊藤に木崎と呼ばれた女性は息が絶え絶えしている。


「もう喋らないで。救急車を呼ばないと」

「いい……んです。もう…私は……さ…ようならです」


 女性は右手に黒いペンを持つと、それを振り上げる。


「木崎さん。ダメだ」


 伊藤の制止も虚しく、木崎はそれを自分の胸につきたてた。


「…っく」

「なんで木崎さんは僕を助けたんですか?」

「だって、あなたがいたから……わ…私は生きてこられた。あな…たを信じたから、私は生きてこられた………あり…がとう」


 伊藤は木崎の頭を抱きしめた。推測だが、襲われそうになった伊藤を木崎が助けたのだろう。けれど、瀕死の重傷を負った。


 木崎は自殺するつもりで、二人に立ち向かって行ったのだろう。

 南田はそう推測した。血だらけの伊藤の服、絶命した木崎。伊藤は叫んだ。その叫びは助けを乞う、痛々しいものだった。

 南田は息を飲んだ。想像以上に辛い伊藤の過去にただ、驚くばかりだった。

 

 伊藤は昨日の手紙で、「未来が見えないと嘘をついて、親に棄てられた」と言っていた。

 南田は伊藤が木崎のような人を出したくないために、自分の能力を隠すようになったのだろうと思った。

 

 もう決してそんな悲劇を見たくなかったのだろう。


 南田はこれ以上辛い思い出を見たくないと思った。


 ペンから手を放し、伊藤が置いていた位置に戻す。

 静かな独房の向こう側から、伊藤がやってくる。


「思い出を見たのか?」

「……見ましたよ。壮絶そうぜつですね」

「ああ。トラウマになりそうなもの見せてごめんな」


 伊藤は南田を格子から覗く。南田は伊藤の顔を見た。伊藤の表情は読めない。というより、読まれないようにしているのだろう。


「信用したか?」

「信じますよ。あなたは教祖として崇められたけど、悪い予言をして「悪魔の子」と罵られた。で、信者に強姦されそうになったとき、信者の女性に助けられた。その信者の女性はそのペンを胸に刺して絶命」


 伊藤は南田の話を静かに聞いた。その様子は昔を邂逅かいこうしているようにも見えた。

 南田は伊藤の瞳が揺れるのを見逃さなかった。


「そうだよ。お見事。本当に過去が見えるんだな」

「ああ。おかげさまで、伊藤さん程ではないけど悲惨な生き方していたもので」

「あはははは。そうか。だよな。何の為の能力か俺も解らない」


 伊藤は頭を掻いた。その様子は南田がこれまで見てきた伊藤と違い、人間味を帯びていた。伊藤は南田を見つめる。


「なぁ。南田。俺はお前を助けたいと思う」

「すいません。伊藤さん。これは俺の決めたことなので」

「お前はやっていないだろう?なぁ。俺はもうこれ以上、冤罪で死ぬ人を見たくない」


 伊藤は縋るように南田に言った。

 南田は伊藤の言葉が上辺じゃないと気付いた。けれど、南田は目を伏せる。


「伊藤さん。これは俺の問題です。あなたを巻き込むわけにはいかない」


 南田は伊藤に背を向けた。伊藤は背を向けて南田に向かって言う。


「お前は絶対やっていない。俺はそう思っているからな」

「伊藤さん、もう黙ってください!」

「お前は……やっていない。そうだろう?」


 伊藤は格子から手を差し出す。南田はそれを振り切る。


「アンタには関係ない!」


 南田は声を荒げた。その声に気付いた他の看守がやってくる。


「どうした?」

「なんでもないです。すいません」


 伊藤は他の看守に謝罪する。南田が言う。


「俺がちょっと調子悪くて。伊藤さんが気を遣ってくれたんです。すいません。申し上げにくいんですけど、担当の看守さんを代えてくれませんか?俺と伊藤さん、相性悪いから」


 南田は愛想笑いをしながら言った。他の看守が怪訝けげんな表情を浮かべる。


「代えるって、お前。何人代わっている?伊藤で五人目だぞ。これ以上はムリだ」

「本当。すいません。俺、伊藤さんと反り合わなくて」

「ちょっと待て南田」


 伊藤は南田に食い入るように言った。

 他の看守が伊藤を制する。


「落ち着け。伊藤。仕方ないぞ。お前は看守から降りてくれ」

「そんな」

「お前は私情を挟みすぎている。これ以上、問題起こすなら処分だぞ」

「わかりました」


 伊藤は食い下がった。南田はその姿に背を向けた。

 伊藤は南田の後ろ姿を見る。南田は胡坐を掻き、目を瞑った。



*******************


 朝、目が覚めるとベッドに森本の姿はなかった。

 昨晩のことで気まずくなるより、少しだけ楽な気がした。

 まだ感覚が残っているような感じがして、恥ずかしくなる。

 私はシャワーを浴びた。

 頭を乾かしながら、居間に向かうと、机の上に置き手紙があった。森本が書いたらしい。


【呼び出しが入った。ごめん。

怪文の件、気味悪いかもしれないけど、何かあったら言ってくれ。

昨晩はありがとう。愛してる】


 私は恥ずかしくなり、その場で身悶えた。

 森本は私を愛している。私も森本に応えたいと心から思った。

 私は朝の支度を始めた。私は川本宝飾店に休みの案内の札を出しに行くために家を出た。


 11月の気候はすっかり冬の様相だった。

 朝の時間には通学、通勤の人々が行き交う。

 川本宝飾店がある商店街にたどり着くと、アクアマリンの指輪を購入した藤崎が居た。


「あ。川本さん。おはようございます」

「おはようございます。先日はご購入をありがとうございます」

「いえ。おかげさまで無事に結婚できました」


 藤崎は指輪をした手を私に見てきた。藤崎は幸せそうな顔を浮かべる。


「よかったですね。奥様とお幸せに」

「はい。本当に。実はここだけの話、妻にはずっと思っていた人がいたみたいなんです。けど、俺は諦め切れなくて」


 藤崎の妻、城内きうち夏菜子かなこはずっと神坂みさか和義かずよしが好きだったのを知っている。

 藤崎はそれでも、城内が好きだったのだろう。


「そうなんですね。実は前にも、そういう方が居ました。実りませんでしたが。藤崎様は幸せ者ですよ」

「そうですかね。俺は妻が本当に好きで。愛しているんです。この人しかいないって。そう思えたんです」

「良かったですね」


 私は藤崎が心から幸せそうに見えて、嬉しくなった。

 藤崎は私に手を差し出す。握手を求めてきた。


「川本さんのおかげでもあります」

「いえ。そんなことありませんよ。藤崎様、ご自身が引き寄せたものですよ」


 私は藤崎と握手をした。藤崎は満足そうな表情を浮かべた。私は改めて、自分の店を訪れた人が幸せに暮らしていることが嬉しくなった。


「ではこれで。川本さん」

「はい。それでは」


 藤崎は元気に私に背を向けて、商店街を抜けて行った。

 私はほっこりとした気分で川本宝飾店に向かう。

 川本宝飾店の前に着くと見覚えのある人がいた。

 それはカフェ&バーの【ショーシャンク】のバーテン、倉知亮だ。


「倉知さん」

「あ、川本さん。おはようございます」


 倉知は髪の毛を一つ縛りにして、スーツを着ていた。店で会った際と、雰囲気が違っていた。


「おはようございます。どうかなさいました?」

「あ、いえ。ちょっと川本さんに会いたいなって思いまして」


 倉知は人懐っこい笑顔だった。その笑顔に何故か、嫌な予感がした。

 倉知は何がしたいのだろうか。


「そうですか。実は今日から一週間ほど、お店を休もうと思いまして」

「え?それはどうして」


 倉知は私に近づき、目線を合わせてきた。


「まあ、疲れているというか。ちょっと色々あって」

「色々って?」


 倉知は距離を縮めてきて、私は行き場を失う。

 倉知はその様子を面白がっているのか、笑ってみせた。


「大丈夫ですか?」


 倉知は私の手を取った。私は倉知のシャツに触れてしまった。

 その瞬間、倉知の思い出が見えてきた。

 

 一家が居間で真剣な話をしている場面だった。

 その内容は重々しい。殺人がどうとか、隠蔽がどうとかだった。

 父親が言う。


「本当にひとしったのか」

「そうなのよ。もうどうしたら………」


 母親と父親、その子供らしい高校生が青ざめた顔をしている。

 その高校生は倉知亮だった。


「兄ちゃんはどうして同級生を殺害したの?」

「そうよ、もう駄目よ。ここでは暮らせない」


 母親は涙を流してわめいた。父親はぐっとこらえていた拳を机の上にぶつけた。


「何で、こうなった。何で。お前の教育が悪いんじゃないか!」

「そういうあなたこそ、仁や亮とちゃんと向き合ってきたんですか?」


 父親と母親が喧嘩を始める。倉知はそれを止められない。


「お前の教育が悪いに決まってる。お前のせいで!」


 父親は母親の顔を殴った。倉知が父親を抑える。


「父さん、もう止めてくれ。母さんの所為でも、父さんの所為でもない!あれは兄さん自身が原因だ」


 母親は大声で泣き始めた。父親はうなだれ、椅子に座りこんだ。


 私はすぐにシャツから手を放した。私は今しがた見た思い出に冷や汗を感じた。

 

 倉知の兄が殺人犯?倉知は加害者家族?


 倉知が私の顔を覗き込む。


「何か見えましたか?」

「あ。いや。えっと」

「ルビーって赤くて綺麗……ですよね」

「……そ…そうですね」


 私は倉知が何をしたいのか、解らなかった。倉知は私の顔をじっくりと見つめる。


「ルビーの血って、人の血液みたいですよね」

「……そ。そうですかね」

「昔、殺害した女のルビーのネックレスを宝石店に持って行った男がいたんですよ。真っ赤な血に染まったネックレス、それはそれで綺麗で」


私は何の話をしているのか、ますます解らなかった。


琥珀の慟哭(下)7 了

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