琥珀の慟哭(下) 1 (31)


 ゆっくりと見えてきたのは、華子が藤山鉄工所のバーベキューに参加している場面だった。

 藤山が社員に向かって何かを喋っている。


「今日はベーベキューに参加してくれてありがとう。毎年、恒例の初夏のバーベキューパーティーです!いつもありがとう!じゃあ、乾杯!」


 藤山の音頭で社員全員と、来客陣が乾杯する。

 缶ビールが接触する音が響く。華子はビールではなく、ノンアルコールビールを飲んでいた。


 楠田は一人で肉を焼いている。華子はその様子を見た。

 華子の視線に気付いた楠田が、仏頂面になる。

 明らかに嫌な顔をされた華子はショックを受けつつも、仕方ないなという表情だった。

 めげる様子はなく、華子は楠田のもとに行く。


「こんにちは」

「……こんにちは……」


 華子は笑う。楠田は華子を一瞥いちべつすると、肉をひたすら焼いていた。焼けた肉を皿に置いてく。それらを他の社員たちが食べていく。


「大変そうね」

「………」

「あれから、色々と考えたんだけど、私と友達にならない?」

「……友達?何を考えているんですか?」


 楠田は本当に、「この人は何を考えているんだ」というような表情を浮かべていた。


「結構、真面目に言っているのだけどね。迷惑?」

「……迷惑ですね。前科者と繋がって何になります?自分の優越感を得たいって感じですよね。本当、迷惑です」


 楠田は肉を焼くのを止めて、その場を離れていく。

 華子は楠田の言葉にショックを受けつつも、どう返したらいいか解らない。

 けれど、華子は楠田を追っていく。楠田は着いてくる華子に負けて、立ち止まる。


「迷惑の意味、解っています?」

「解っている。けどね、私はね南田君のことを放っておけないというか」

「放っておけない?それって先日おっしゃっていた、あなたのお兄さんのことでしょう。俺はあなたのお兄さんの代理じゃない。俺は俺だ」


 楠田の表情には鋭さが宿っていた。十三年前にスーパーで、水山と対峙たいじしていたときの目と一緒だった。突き刺すような目が華子に向けられる。


「最初はそうだった。けどね、あなたを見ていると、昔の私を思い出す。誰も信用できない。信用できるのは自分だけだと思っていた。そんな自分を変えてくれた人がいた」


 楠田は鼻で笑う。その声は乾いていて、冷たい。

 楠田は心から華子を信用していないのがわかった。


「私の話を作り話だと思っているでしょう。確かに私の経歴なんかを見ると、上手く行っているように見えるからね。だから、私はそんな先生みたいになりたいって思った」


 楠田は華子の顔をじっと見つめた。華子はその視線に怯まずに、楠田の顔を見た。華子が楠田に近づいてく。

 楠田は警戒しつつも、逃げなかった。


「本当に傲慢ごうまんかもしれない。けれど、今の私なら、それが出来るのじゃないかって」


 華子は楠田の手を取る。楠田は一瞬、振り払わず、それを受け入れた。

 楠田は手を離そうとし、振り払った。

 その瞬間に、楠田は華子の腕につけた琥珀のブレスレットに触れた。

 楠田は何かを見たのか、目を見開き、華子を見た。


 楠田は琥珀のブレスレットに触れ、華子の過去を確実に見たのだろう。

 楠田は華子が嘘をついていないのがわかったらしい。

 少し戸惑いの表情を浮かべる。そんな楠田を見た華子が言う。


「急にそんなこと言われても本当に、迷惑よね。いいの。私がそうしたいだけだから。無理を言ってごめんね」


 華子は諦めたのか、楠田に背を向けて行く。楠田はその後姿を見た。


「待ってよ、おばあさん」


 華子は振り向く。楠田は華子を見る。


「俺。おばあさんを信じるよ。何か、よく解らないけど……。おばあさんのことを教えてよ」


 華子は楠田が自分を信用してくれたことが嬉しく、涙目になる。


「ありがとう。信用してくれて」


 華子は楠田の右手を両手で掴む。楠田は照れ臭そうに顔を背けた。

 こうして楠田と華子の関係が始まったのだろう。

 華子にも誰も信用できない時期があったことに少しだけ驚いた。

 

 私が思う以上に、親に棄てられた子の人生は辛いものかもしれない。

 両親のいない子に対する社会の差別は、昔のほうがもっと酷かっただろう。


 思い出の途中で、インターフォンが鳴る。

 私はブレスレットから手を離す。春木が来たようだ。


【お待たせしました。川本さん】

「はい。ただいま。ドア開けます」


 私は春木を家に入れた。春木はこの前に会ったときよりも、少し疲れているようだった。


「本当、いきなりすいません」

「謝ることはないですよ。私も色々と迷惑をかけていますし。こちらに座ってください。お茶出しますね」

「すいません」


 春木は私に促されて、居間の椅子に座る。私は緑茶を入れて、春木に出す。


「あの。これです」


 春木が電話で言っていた怪文を取り出す。

 怪文は真っ白な紙にパソコンのワードで入力されていた。

 文章の内容は次の通りだった。


【川本宝飾店の川本リカコは預かった宝石を、客の意向を無視して着服している。そんな人が取締役の宝石店は潰れろ】


 やはり、この文章を書いて春木の元に渡してきたのは、柿澤祐なのだろうか。

 

 私は息を飲み、その手紙に触る。何も見えなかった。

 私は頭が真っ白になった。私は手紙から手を離し、再び、触れる。それを繰り返した。何も見えない。春木は私を心配する。


「み…見えましたか?」

「見えない」

「え?」

「どうしても、見えないみたい」


 春木は驚いていた。私も動揺を隠せなかった。ここで、思い出を見て、怪文の原因を探ろうとしていた。


「大丈夫ですか?顔色悪いですよ?」

「そうね。多分、疲れているのかもしれない」


 春木は私の様子をかなり心配した。春木から見て、私の顔は青ざめて見えているのだろう。


「最近、眠れてます?」

「そうね。ちょっと疲れているかも。ごめんなさい」

「あの、俺が言うことじゃないですけど、お店、休んだほうが良くないですか?あと、この前の依頼ですけど、あれを引き受けなかったほうが……」

「いいから。大丈夫。そうね。川本宝飾店に関しては少しの間だけ、休むことにするよ」


 私は春木に強く言ってしまった。春木が華子のブレスレットの依頼を持ち込んだことに責任を感じているのが解った。


「なんか、力になれなくてすいません」

「いいんですよ。すいません。ちょっと疲れているのでこの辺で」

「解りました。帰ります。絶対に休んでくださいね」

「解りました」


 春木は帰って行った。一人になった私は、ため息を着き、居間の椅子に座り込んだ。


 なぜ、怪文の思い出は見えなかったのか。私は妙な喪失感に襲われた。


琥珀の慟哭(下)1 了

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