トパーズの憂鬱 (中) 4


 午前10時を知らせるベルが鳴る。私は「そうだ。仕事中だった」と呟き、慌てて、森本から離れた。

 森本は私を見て笑う。


「……そんな照れなくても」



森本は優しい顔だった。私は恥ずかしくなって、目を反らす。


「いや、恥ずかしくないよ!ほら!もう用はないよね!また後で」

「はいはい。じゃあな」


 森本は店を出て行った。

 私は森本が出て行った後のドアを見つめた。私は幸せな気分でいっぱいになる。


 両思いというのは、何故、こんなにも素敵な気分になるのだろう。

 私にもかつて、彼氏がいたことがある。

 けれど、いずれも上手く行かずに終わった。


 大体が相手の浮気で終わっていた。逆に言えば、私自身が本気じゃなかったのかもしれない。

 別れる時もそれほど、落ち込むことはなかった。


 けれど、森本と両思いだったことはこれまでになく幸せな気分になった。


 この想いが本物かどうかは、解らない。ただ今は森本が好き。私はそれでいいと思った。


 しばらくすると、宅配便のヤマモトが荷物を持ってやってきた。


「川本宝飾店様ですね?お届けものです」

「はい。只今」


 私はヤマモト宅配便の宅配員の応対をした。

 宅配員の出す伝票にサインをする。荷物は景品でお客さんに渡す【アメジストのピアス】だった。


「ありがとうございました」

「いいえ。毎度あり」


 宅配員は元気よく言うと、店を出て行った。

 私は荷物の箱を開封する。ぷちぷちで梱包され、入っていたのは【アメジストのピアス】だった。


 注文内容を確認する。注文した300セットが納品されていた。私は景品を仕舞う。


 店にお客さんは今いない。


 しかし、とぼとぼとお客さんがやってきた。


 11月のこの時期になるとカップルの率が高くなる。今日は何組かの、カップルがやってきた。


 クリスマスに相手へのプレゼントを求めて、やってくる。


 真剣に悩んでプレゼントしたものを、きっと相手も喜んでくれるだろう。


 私は美砂子が和義とどうなったか。その先が凄く気になった。

 人の過去を見る行為は、勝手に盗み見ているようにも思える。

 けれど、見えるのだから、仕方ない部分もあるのだ。


 私はガラスケースを見ながら、話し合っているカップルをふと見た。


 とても幸せそうだ。どんな、人にも過去がある。

 それが良い過去か悪い過去か。その本人が決めることだ。

 ただ私は、自分の店に来たお客さんが幸せであることを願った。


 店に生気なく、入ってくる男性のお客さんがいた。私は声を掛ける。


「いらっしゃいませ。あ、藤崎様」

「あはは。どうも」


 藤崎というお客さんは、昨日、指輪を仮予約した人だ。


「とてもお元気ありませんが、何かありましたか?」

「あのー。実は仮予約を解除してもらえませんか?」


 やはり彼女と何かが遭ったのだろう。私は心配になった。


「何かご事情があったのでしょう。解りました」

「いや、本当にすいません」

「いいえ、いいですよ。そういうことも御座いますから」


 藤崎は頭を下げる。その様子は痛々しいものだった。


 人の感情は難しい。簡単にはいかない。

 簡単に変わるものならば、争いも誰かを傷つけることもない。


「クリスマス前に別れることになるかもしれません」


 藤崎はぼそりと言った。


「そうですか。何が遭ったか存じ上げませんが。一度、彼女さんとお話したほうがいいかと」

「そうですね、何かすいません」

「いええ。また何かご希望のものがありましたら、ご遠慮なく言って下さい」


 私は笑顔で言った。藤崎は涙目になる。藤崎は一礼し、店を出て行った。

 藤崎と彼女の間に何が遭ったのか。

 知ることもないが、昨日までの幸せそうな藤崎を思うと可哀想に思えた。

 どうか、藤崎と彼女が修復出来ることを心の中で願った。


 今日もそれほど、忙しくはなかった。


 今日、売れたのは、ラピスラズリのネックレス、ティファニーのエメラルドの指輪、アクアマリンのブレスレットなど。


 どのお客さんも二万円以上のお買い上げだったので、【アメジストのピアス】を進呈した。

 クリスマスキャンペーンは上手くいくかもしれない。渡されたお客さんの反応も良い。

 何も大きい問題もなく、今日の営業が終わるかと思った。

 そんな時だった。


 営業終了間近に、一人の女性のお客さんが入ってきた。私はすぐにそれが誰か解る。

 戸松とまつ由利亜ゆりあの育ての母親、文芽あやめだ。


トパーズの憂鬱 (中) 4 了

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