二十八話

 鋭い矢が妖魔喰いの腕に突き刺さった。

 一枚の札がつけられた矢は、ゴウリュウを保持していた怪物の腕の、鉄の如き強靭な筋肉を貫き、続いて札が爆散した。

 衝撃で妖魔喰いは獲物を取り落とし、怒りに満ちた目を弓撃った者へ向ける。

「間に合った」

 離れた位置でコウライが弓を構えていた。隣でフェイアが札を数枚掲げている。

 フェイアの術を練りこんだ札を矢に貼り付けて、そして矢の命中と同時に爆炎を熾す。

 単純な戦法は、コウライの弓の腕があって成立する。矢が妖魔の強固な筋肉を貫いたのは、彼女自身の腕によるものだ。

「Cukakaka! 早いな」

 妖魔喰いは不適に笑うと、感心した言葉を伝える。

「人間に化けていれば妖気はわからないが、本来の姿なら簡単に感知できる。ましてや、三体も揃っていればな」

 フェイアが答えると、次にコウライが矢を三本同時に放った。

 一直線に、正確に妖魔喰いの頭部に迫る矢は、しかし妖魔喰いの十字に構えた腕によって、軽い音がしてはじかれる。

 力が抜けた状態では筋肉は柔らかく、力を入れれば堅くなる。

 強靭な筋肉は防御のために力を込めることでさらに強固となり、盾とすることもできる。

 まして妖魔の力があれば、人間よりも強度は高い。

 先程矢が貫けたのは、妖魔喰いの意識の外にあったからに過ぎないということか。

 だが地面へ落ちた矢につけられた札は、それだけで効果が消えるわけではない。

 妖魔の足元で衝撃が発生し石礫を撒き散らした。

「ぬう!」

 さらに雷撃が乱舞し、目をさえぎる眩い光が妖魔喰いを彩る。

 そして唐突に終わり、一連の術が収束するそこには、多少火傷を負ったようだが、妖魔喰いは倒れることなく立ち続けており、その火傷も見る見るうちに治癒されていく。

「KAHAHAHA! やるな、道士」

 フェイアとコウライは内心慄然としていた。

 この攻撃を受けて平然としていられるほどの強さを持つ妖魔に今迄に遭遇したことはない。

「だが、同族を喰らったことで力得た我は、この程度で倒せんぞ」

「やはり妖魔喰いか」

 妖魔でありながら妖魔を喰らう妖魔。

 その力は人喰いを遥かに上回るという。

 話に聞いたことはあったが、直接見ることはこれが初めてだ。

 こいつの目的は、メイリンか。

 だからメイリンを後一押しで倒せるところで現れた。

 獲物を喰う前に殺されるのを阻止するために。

 フェイアとコウライは臨戦態勢を継続し、妖魔喰いとの戦いに備える。

 だが、今迄戦ってきたどの妖魔よりも強い、この妖魔喰いに勝てるのか。



 フェイアとコウライが怪物を引き付けている間に、残った兵士がリョホウの家を中心に戦闘の陣を展開していた。

 だが現実問題としてあの妖魔に兵士の力が及ぶとは考えにくく、ただの牽制だけにとどめるよう、厳命されている。

 そしてその兵士に混じって付いてきた、ホウロがカイウと一緒にリョホウの家に入った。

「リョホウ! 無事か!?」

 中では寝台に横たわるリョホウと、側に寄り添うメイリンがいた。

「メイリン!」

 ホウロは憤怒に、手にする斧を振り上げた。

「この妖魔め!」

「待て! ホウロ、待つんだ!」

 メイリンへ斧を振り下ろそうとするホウロを、カイウが体にしがみついて強引に止めた。

「なにをする!?」

「見ろ」

 カイウはメイリンの様子を示す。

 武器を構えるホウロを、メイリンはまったく気にかけていないように、一心不乱にリョホウの怪我に手をかざしている。

 その二人の体が朧に青く発光していた。

「傷を治しているのか?」

 不意にメイリンのかざした手から光が消えた。

 同時に力尽きたかのように、メイリンの体が崩れ落ちる。

 ホウロは咄嗟にその体を支えた。

 その行動は、以前の友情によるものなのか、少なくとも自覚してはいなかった。

 ホウロは自分のとった行動に気付き、メイリンの体を放そうとして、直前で思いとどまった。

 彼女は泣いていた。

「だめ。私じゃ助けられない」

 リョホウの傷口はほとんど塞がっていなかった。

 メイリンの力によってかろうじて延命されていただけに過ぎない。

 ホウロは疑念に問う。

「……メイリン。おまえはいったい、なにが目的なんだ?」

 妖魔でありながら、人間と一緒になり、人間にまぎれて生活をする。

 人を喰らうためかと思えば、人を助けようとしている。

 ホウロは理解力を超えたものに遭遇し、ただ頭は疑念で支配された。



「メ……メイリン……」

 リョホウが絶え絶えの息で言葉を紡いだ。

 残された力を振り絞り、左手をメイリンへ伸ばす。

「ここにいるわ」

 メイリンはその手を握る。

 リョホウの力のない瞳は彼女の瞳を見つめて離さず、その言葉は一つの問いかけを紡ぐ。

「どうして……僕と……一緒になったんだい?」

 メイリンは溢れる涙を拭おうとせず、彼のもっとも知りたい答えを告げた。

 彼は覚えているだろうか。

 気まぐれで助けた小鳥のことを。

 手厚く看病し、優しく守った、小さな命のことを。

 その手で安らぎを与えてくれたことを。

 もう一度触れたいと願い、それが叶えられると二度目を望み、三度目にはもう離す事などできなかった。

「あなたが好きだから」



 怪物の腕が小屋の木材の壁を突き破った。

 そして正確にメイリンを捕縛し、材木に叩きつけるように、力任せに引き抜いた。

 ホウロは瓦礫を押しのけると外へ出る。妖魔喰いは戦利品を掲げて、満悦の笑みを浮かべていた。

「ぐふぅ。やっと捕まえたぞ」

 フェイアが少し離れた場所で背から血を流して膝を付いていた。

 戦う意思を眼光に宿していたが、しかし体力を消耗しているのか、怪我で思うように体を動かすことができないのか、妖魔喰いを凝視するだけで、さらなる力を獲得しようとする妖魔喰いを阻止する行動は起こしていない。

 コウライはさらに離れた場所で大の字になって横たわっている。

 意識は失っていないが、怪我が酷く、だんだん朦朧としてきていた。

「いてえ。くそ」

 呻いても、体は動かない。

 妖魔喰いの腕に掴まれたメイリンは気絶してしまったのか、ぐったりとして動かない。

 その耳元で妖魔喰いがささやく。

「Kahahaha。妖魔王の娘。その力が衰えていたとしても、喰らえば三十人の妖魔を喰らっただけの力を得られるだろう」

 そして額にあるゴウエンの顔がささやく。

「これでおまえは俺のものだ。俺に逆らうからこうなるんだよ。わかったか、俺の恐ろしさが。素直に俺のものになっていればよかったのによ」

 ゴウエンのメイリンの耳元でささやくような嘲りは、なぜか良く聞こえた。

「どうだ、ええ? ユイハも喰ってやった。たっぷり犯して喰ってやったぜ。へっへ。止めてー助けてー、なんて泣き叫んでやがった。ヒャハハハハハ」

 ホウロは砕けた破片のすべてがかみ合ったように理解した。

 メイリンの行動の意味。

 リョホウの言葉の意味。

 ゴウエンの嘲笑の意味。

「おまえがユイハを!」

 ホウロは斧を振り上げて叫んだ。

 妖魔喰いはそこでホウロの存在に気付いたのか目を向けると、さらに愉悦に表情を歪めた。

 それは誰もが不快に目を背けたくなるような邪悪な愉悦に満ちた笑みで、妖魔であるという問題から発せられているのではなく、人間であったとしても、それは下卑な狂気にまで達している。

「おっ、悔しいか? 女を寝取られて悔しいか? ああ?」

「てめええええ!」

 ホウロは叫んでゴウエンに斧を振り上げた。

 メイリンではなかったのだ。

 こいつが全ての元凶だったのだ。

 村人を借金で苦しめ、人身売買にかけ、村人を妖魔の犠牲にし、そしてユイハを殺した。

 最初から最後まで、ゴウエンだったのだ。

「うあああああ!」

 力任せに妖魔喰いの体に斧を叩きつけた。

 だが妖魔の体には傷一つついていなかった。

「それで終わりか?」

 ゴウエンは腕で軽く払うと、ホウロが十数メートル弾き飛ばされた。

 そして触手を倒れたホウロの体に巻きつける。

「ホ、ホウロ……」

 逃げるようメイリンが伝えようとするが、しかし全身を圧迫する握力で言葉にならず、そしてホウロの耳にメイリンの言葉が届いた時には、妖魔喰いはリョホウの家に向けて塵屑を捨てるようにホウロを放り投げた。

 十数メートルまで上がり、そして落下が始まる。

 妖魔の一撃はホウロの意識を朦朧とさせ、そんな状態で地面に激突すればどうなるか。

 もし意識が明瞭であったとしても、コウライのように武術の達人でもないホウロは、空中で体制を立て直すこともできない。

 回転しながら落下していくホウロの体に、衝撃が伝わった。

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