二十七話
メイリンは瀕死状態の薬師を抱えたまま、村から離れた薬師の家に辿り着いた。
一緒に来たタカモクは、メイリンに何度もこの地域から離れるように説得を試みたが、効果はなかった。
メイリンは薬師を寝台に寝かせ、傷を妖力で治そうと何度も試みてみたが、メイリンの術は本来、妖魔に使うもので、人間に対しては効果が薄く、元々力が弱まっていたこともあって、ほとんど治らない。
当に死ぬはずだったものを、一刻程度延命できる程度。
「リョホウ……」
メイリンはリョホウの手をすがるように握り締める。
タカモクが家の周囲を警戒している。
「姫、ここも危険です。すぐに道士が来るでしょう。それだけではありません。あの罪人も姫を狙っています」
タカモクは速やかな逃走を勧告するが、メイリンはそれを聞いているのか、リョホウから離れない。
「姫、どうか。あの者は以前私が追っていた者なのです。我らの律令を破ったために、妖魔王より処刑を言い渡されたものの、刑が執行される直前、逃亡されました。破った律令は、妖魔喰いです」
妖魔の律令においてもっとも重い罪とされている、妖魔喰い。
妖魔はその力を得るために、知性ある命を喰らう。
そのために人間を喰らう。
だが力をより効果的に得るのならば、人間にこだわる必要はない。
神々もまた高い知性を持ち、力を得るには効果的だ。
そして同じ力を持つ妖魔も。
だが共喰いは最大級の禁忌だ。
邪悪なる者の代名詞とされる妖魔の中でさえ罪とされる。
「やつはおそらく姫を狙っているのです。妖魔王の娘であるあなたを喰らえば、その力は格段に上がる。私一人では、あの者に対抗できません。姫も、今の状態では太刀打ちできないでしょう。早くここから離れ、妖魔王の下へお帰りなさいませ」
どのような状態にあるのか説明されても、タカモクの懸命な説得を受けても、メイリンはリョホウの側を離れなかった。
彼の手を離せば、すべてが終わってしまうかのように。
「私は、この人の側を離れません」
タカモクの懸命な進言も、メイリンには届かない。
「姫!」
強い妖気が付近に出現した。
外に現れた者の存在を感知して、タカモクは即座に臨戦態勢に入った。
「姫! 逃げてください!」
声をかけて応戦のため外に出るが、彼女に逃げる意思があるのか判断はできない。
仕方がない。
タカモクは戦いに集中する。
たとえこの身が滅びようとも、妖魔王の姫を守る義務がある。
それが自らに与えられた命令であり、課せられた任務だ。
夜空から巨体が落下した。
地響きを上げて着陸し、土煙が舞い上がる。
現れたのはやはり、四つの目に四本腕の怪物。
下半身には、海洋に生息する軟体生物を思わせる、無数の触手が蠢いている。
「貴様」
タカモクは怒りに呻く。
力を得るために同族までも喰い、一度は捕らえたが逃げられ、その追跡に加わったが、何人も犠牲となった末に、取り逃がしてしまった罪人が、目の前にいる。
「KAKAKA! お前か。久しいな」
かつて自らを捕らえ、妖魔王の御前にまで引き立てたことのあるタカモクの姿に、妖魔喰いは嬉々と笑う。
その強大な妖気に、タカモクは力の差を実感した。
以前はともかく、今の自分とこいつとでは大きな開きがある。
妖魔喰いは人喰いより強大な力を得ているのだ。
「お前も俺の腹に入れて力と変えてやろう」
言うが否や、触手が数本迫った。
タカモクは跳躍してそれを避ける。まさに鷹のように直線的で速い。そしてタカモクを襲った触手が数本、いくつにも切断された。
「この程度で私を捕まえられると思ったか」
タカモクの最大の武器は、その移動速度だ。その高速での移動は瞬きの間に姿を消し異なる場所へ移動することができる。
だが妖魔喰いは不適な笑みを浮かべて返した。
「思っているとも」
着地した鷹目の足を、地中から飛び出した触手が捕らえた。
「なに?!」
土砂を撒き散らして伸びてきた触手が、膝の部分にまで絡みつき、鋭い鉤爪が太腿を突き刺す。
タカモクの意識から逸らすために、地中に触手を潜めさせていたのだ。
「ぐ!」
タカモクはその触手を切断しようとしたが、それより早く触手は獲物を宙に持ち上げ、弧を描くように振り回し、遠心力を加えて地面に叩き付けた。
「ぐう」
短い呻き声を上げたときには再び持ち上げられ、さらに地面に叩きつけられた。
そしてもう一度。
もう一度。
十回ほど繰り返された時には、タカモクは動かなくなっていた。
生きてはいるが、触手を振りほどいて反撃するほどの余力はない。
「姫君の前に、前菜をいただくとしよう」
腹部の顎を大きく開け、タカモクを引き寄せる。
口の端から唾液が流れる。
タカモクの猛禽類の眼が大きく見開いた。
「KuA!」
一声と共に爆炎が口内で発生する。
「GU!」
苦悶の悲鳴を上げて体を仰け反らせる。
口内から煙が燻し出し、重度の火傷を負ったように皮膚が爛れている。
「Kuu、やるな」
不適に笑う妖魔喰い。
爆炎と激痛で、捕らえていたタカモクを放してしまった。
だが火傷は急速に治癒されていく。
投げ出され自由になったタカモクは、しかし地面に横たわったまま動かなかった。
動けなかった。
今のが最後の力を振り絞った攻撃だった。
怪物が腕を振り上げ止めを刺そうとした。
「ひ、ひぃいいい!!」
突然横から悲鳴が上がった。妖魔喰いは思わずその声の主に目をやった。
人間が一人、腰を抜かしている。
「オヤジ」
妖魔喰いは不適に笑うと、軟体生物の足を蠢かし、巨体に似合わない奇妙な滑らかさで、ゴウリュウの元へ移動した。
「ひい」
ゴウリュウは逃げようとするが、腰が抜けて思うように進むことができない。
安全な場所を求めて、村から離れ、亡き兄の家に隠れようと来てみたら、ここに妖魔がいた。
まるで自分が逃げる場所はどこにもないというかのように。
触手の一つがゴウリュウの足を絡め取り、眼前にまで持ち上げた。
ゴウリュウの目が怪物の四つの目と合うと、額が内部から蠢き、肉が盛り上がり、変形し、そこから人の顔、ゴウエンの顔が逆さまに現れる。
逆さまの状態で現れたその顔は四つの目のうち二つを共有していた。
「逃げることはないだろう、オヤジ」
怪物の額から現れた息子の顔に、ゴウリュウは恐怖で身を震わせ失禁までしたが、しかしかろうじて自分が助かる可能性に気付いた。
この怪物はオヤジと呼んだ。
「ゴ、ゴウエン? ゴウエンか? ゴウエンなんだな。やめてくれ。た、助けてくれ」
ゴウリュウは怪物の二つの目ではなく、額に現れたゴウエンの顔の二つの目を見て懇願した。
「なぜ?」
「な、なぜって、それは、私は、お前の父だ」
怪物の口が、心底面白い冗談を聞いたかのように笑った。
「父親か。おまえは妖魔の父親だというわけだ」
「そ、そうだ。父を殺めるなど、おまえならしないだろう」
答えるのはゴウエンの顔。
「オヤジ。実の兄を家から追い出すような真似をして、肉親の愛を説くのか? そのせいでジジイは死んだも同然だろう」
「あ、あれはしかたがなかった。不可抗力だ。偶然だ。だいたい、元の原因を言えばおまえがリョホウを……」
「そうそう、従兄弟を半殺しにしたせいだったな」
ゴウリュウはほとんど泣いていたが、それは罪悪感や息子の性根に嘆いているのではなく、ただただ恐怖によるものだった。
「ひ、ひは。た、頼む。助けてくれ」
「さあ、どうしようかな?」
ゴウエンは面白そうにゴウリュウの顔を覗き込む。
人間的でもあり、妖魔のようでもある、悪意に満ちた笑み。
「ゴ、ゴウエン?」
目の前にいるのは本当にゴウエンなのだろうか?
ゴウリュウは疑問に思い、一度疑問がわき上がると、どうしてこんな化け物を息子だと思ったのか、それさえわからなくなった。
限界に達した。
ゴウリュウは恐怖のあまりなにも考えられなくなる。
「いやだぁ! 助けてくれぇ! 誰かぁ! 助けて! 喰われる! 喰い殺されるぅ!!」
怪物は呵呵とあざ笑う。
恐怖でわめき散らす男が面白くて仕方がないというように。
かろうじて意識を保っていたタカモクが、上体を起こした。
こいつは、精神が融合している。
タカモクは妖魔喰いの状態を理解した。
妖魔は知性あるものを喰らうことで力を得る。
時に記憶そのものも喰らい、自らの記憶とすることも可能だ。
それは一度しかない人生分の知識などを、短期間で得ることができるが、これには多大な危険を伴う。
記憶が自らの精神に影響を与える可能性があるのだ。
記憶とは人格に直結している。
その他者の記憶を自分の物とすると、稀に自分と喰った者の区別が、自分自身でつかなくなくなることがある。
だから通常、妖魔は知性の源である肉体と魂だけを喰らい、そこから発生した記憶は直接喰うことはしない。
だが、こいつはより効率的に力を得るために記憶ごと喰っているのだ。
勿論、記憶ごと喰ったからといって、必ずしも精神に影響を及ぼすとは限らない。
たいていはただの知識となり、やがて忘れられ消滅する。
だが、こいつが喰ったゴウエンという人間は、妖魔喰いと精神の状態が近かったのだ。
妖魔でありながら妖魔を喰らうモノ。
ありとあらゆるものより強くなるために、力を求める欲望のままに、手段を選ばず突き進む、妖魔喰い。
他人より優れていたいという優越感を満たすためには手段を選ばず、他者より劣っていることを認めない劣等感を中に溜め込み、そしてすべてを自分の意のままにしたいという支配欲のままに突き進む、ゴウエン。
共に悪意の塊と化した邪悪な魂。
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