十三話
香気を辿った。気配を追った。姿容を探った。
追跡の結果、ようやく発見したが、接近することができなかった。
敵がいる。
己の力ならば容易く排除できるが、長い追跡で体力を消耗している。
思わぬ苦戦を強いられることを懸念した。
まずは力を蓄えなければ。
フェイアの官吏へ話をつけることは、不備に終わった。
朝廷道士は基本的に他の部署への影響を持たない。
朝廷内部、あるいは都のことならばまだしも、辺境の村の官吏となると完全に断絶しているといってもいい。
なにより、この地域を任された官吏、それも上層部までが、ゴウリュウと癒着している。
表向きは善処することを約束したが、おそらくうやむやになるだろう。
被害者はただの貧しい娘。
加害者は富豪の息子。
有益なほうに有利になるようことを進める。
「そんな。それじゃあ泣き寝入りしろっていうんですか?!」
リョホウとメイリンより先に事情を伝えたホウロは、憤慨してフェイアに詰め寄る。
しかしフェイアにできることはここまでだ。
妖魔を退治しに来たのであって、犯罪を摘発しに来たのではない。
なによりその権限が基本的にない。
実行現場を押さえたのならばともかく、調査などはこの地域担当の官吏にある。
決定的な証拠があれば話は別だが、証言は三人だけ。それも身内となると信憑性がないとされるだろう。
「すまないが、私にできることはここまでだ。メイリンとリョホウには警護をつけておく。そして都へ帰り次第事情を伝えるが、それまでは……」
なにもできない。
そしてなにもするな。
なにか行動を起こせば、彼らは逆に怒り、逆恨みし、リョホウたちに再び危害を加えるだろう。
辺境の村にほとんど関心を払わない朝廷に、個人的な事件を報告したところで、本当に取調べを行うのか。調査しても取り締まるのか。
「あんな酷いことをされそうになったっていうのに、ゴウリュウが嘲笑い続けるのを、黙って見ていろというのか。そんなことを、リョホウとメイリンには伝えられない」
やり場のない怒りに拳を握りしめ、歯を食いしばるホウロ。
どうして貧しく弱い者がいつも酷い目にあうのだろうか。
強く豊かな者が横暴に振る舞い、なんの咎めもないのか。
やつらは妖魔と同じだ。
弱い人間を喰らう怪物だ。
ホウロの怒りに、フェイアは言葉を返せなかった。
幾度となく妖魔を打ち滅ぼしたが、もっとも残酷で手強いのは、いつも人間だ。
ホウロが打ちのめされたように去って言ったあと、フェイアは宿に戻った。
メイリンとリョホウがいるが、正直伝えるのは気が重い。
ホウロに先に話したのは、彼の口から伝えられることを期待してのことかもしれない。
「どうしたんだい? 浮かない顔をして」
宿で待機していたコウライは、なぜか手に小さな人形を持っていた。
小さな人型の布の中に綿を詰め衣服を着せただけの、どこにでもあるような人形で、しかし誰かのいたずらなのか不慮の事故か、首が折れて取れている。コウライはその首を掲げて、ゆらゆらと揺らして見せていた。
フェイアは苦笑する。
「浮いた顔」
コウライは次に、人形の首根に頭部を押し込んだ。
「沈んだ顔。それで、浮かない顔はどうやるんだい?」
「それを考えてるんだけど、思いつかないんだ」
コウライは人形をテーブルに置いた。
「まあ、その顔じゃ上手く行かなかったみたいだね」
「うん」
言葉一つだけで肯定したが、コウライはそれ以上深く追求してこなかった。
兵士にはメイリンとリョホウの身の安全に注意するように指示してある。
ゴウエンが再び事を起こせばすぐにわかる。
そしてコウライは半ばそれを期待しているようだ。
どさくさにまぎれて半殺しにするつもりなのかもしれない。
「ところで、こっちのほうだけど、動きがあったよ」
何気ない伝達事項は、力不足に消沈しかけていたフェイアの意気を、一瞬で蘇らせた。
邪悪なる妖魔を打ち滅ぼす者の、強靭な意志の光を瞳に輝かせて。
リョホウは妖魔の騒ぎが始まってからも、いつもと変わらずに村人の診察や薬の調合、販売の仕事を行っていた。
ただ普段なら一人で行うのだが、今日は助手としてメイリンをつれていた。
そのことを奇異に思う者はおらず、その仲の良さを知る村人は、寧ろ自然なものとして受け止めていた。
仕事を一緒にすることが初めてなのだと、誰も気付かないほど。
「大丈夫ですね。化膿もしていないようですし、もう空気に触れさせておいたほうが良いでしょう」
カイウの傷の状態を診断したリョホウは、手際よく治療具を片付ける。
「ありがとうよ」
元々たいした怪我ではないのだが、気になって来てくれたらしいリョホウに、カイウは感謝の言葉を述べるが、内心では複雑な気持ちだった。
「帰る途中でしたから」
メイリンが荷物の一つを手にして外へ出て、その後をリョホウが付いて行く。去り際にカイウに向けて二人そろって会釈した。
去り行く二人の背中を見送っていたカイウは、衝動的にゴウリュウがなにを企んでいるのか伝えようという気持ちが湧き上がったが、しかしそんなことをすれば自分の借金は残されたままになると、喉元までこみ上げた言葉を飲み込んだ。
そして他者を避けるように、どこか怯えるような卑屈な動作で、作業場へ戻った。
カイウの家から出てきたリョホウとメイリンの姿を、ホウロが見つけた。
道士から聞いた話を伝えるかどうか、少しためらったが、話しかけた。
「よう。大丈夫か?」
メイリンは平気なのだと見せるためか、気丈に微笑んで頷いた。
「ええ、大丈夫よ」
リョホウはなにも言わなかったが、妻の内心を理解しているだろう。
「あのな、その……」
ホウロは先程フェイアから聞いた話を伝えようとして、しかしどういえばいいのかまるで思いつかなかった。
二人は怪訝に言葉を待つ。
「あの、フェイア道士が、その……例の件は思ったより時間がかかるそうだ。だけど必ずなんとかするって言ってた」
真実なのか虚実なのか、ホウロは事実を伝えたくない思いと、事実を告げなければならない義務感との狭間で、自分でも曖昧なことを言っていることを自覚したが、しかしこれ以上伝えることができそうになかった。
「そう。わかったよ」
言葉の裏の本質を理解しているのか、リョホウは表情を動かさずに応えた。
だが内心ではどう思っているのだろう。
考えてみればリョホウのことをなにも知らない。
半日前までは、リョホウを過小評価していたことを自覚するほどわかっていなかった。
そしてメイリンもだ。
もう大丈夫だというふうに微笑んでいても、どれほど恐ろしかったのか、今どれだけ怯えているのか、自分に推し量ることさえできない。
「ありがとう、教えてくれて」
リョホウの言葉は裏のない単純な、だからこそ心からの感謝だったのだろう。
だが、ホウロは背筋に凍りつくほどの冷水を浴びせられたような感覚がした。
リョホウは今からゴウエンを殺しに行くのではないか。
「リョホウ!」
思わず叫んだが、しかしそこにはいつもと変わらないリョホウが、怪訝にしているだけだった。
「?」
「……あ、いや。なんでもない」
なにを考えているんだ俺は。
ホウロは挨拶もそこそこに、その場を立ち去った。
コウライが入れ替わりに現れた。
隣脇を走るように足早に去っていくホウロを見送って、改めてリョホウとメイリンの前まで。
「よっ。仕事はどうだい?」
コウライの気軽な挨拶に、リョホウとメイリンは会釈する。
「もう終わりました」
「そうか。ところで例の件だが……」
「今、ホウロから聞きました」
「なら話は早い。それで、あいつらを縄にかけるまで、しばらくあんたたちについていることにしたから。護衛だ」
「妖魔は?」
「どこにいるかわからないからな。出てくるまで暇なんだよ。警備っていっても、櫓で見張っているだけだし」
そんないい加減なことでいいのだろうか。
リョホウは怪訝に思ったが、しかしそれが彼女の心遣いなのだとすぐに気付く。
「ありがとうございます」
二人が頭を下げると、コウライは少し赤面した。
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