十一話

 ホウロはゴウエンを暗闇で見失った。

 正体ははっきりとわかっているので、今は捕まえる必要はないのかもしれない。

 だがホウロは必要だから追いかけたのではなく、友人の妻に乱暴を働いた男を、気が済むまで殴ってやりたかっただけだ。

 しかしそれも見失ったからには達成できない。

 走り続けた疲労のためか、夜の冷たい風が頭を冷やしたせいか、烈火の如き怒りは小さくなっていく。

 それでも怒りの火種は頭の片隅で燻り続けていたが。

 一旦リョホウの家に戻り、そこで二人の無事を確認すると、これからのことを伝える。

「リョホウ。メイリンをユイハのところへ、宿へ連れて行こう」

 リョホウは首肯する。

 危険は妖魔だけではない。

 なにかが起きても誰も気付かないこの家は危険だ。

 安全な場所へ送らなければ。

 まだ震えの止まらないメイリンだったが、ホウロの提案に自分で荷物をまとめるぐらいには落ち着いたようだ。

 数日分の着替えを用意して、三人はユイハの宿へ向かった。

 途中で会った他の村人は、三人が妖魔に遭遇して逃げてきたのではないかと思ったが、三人は説明はせず、ホウロが構わずに警戒を続けるよう指示しただけだ。

 そして程なく、宿へ到着した。

 襲われた村人はすでに帰宅し、兵士も自室に戻って休んでいる。

 他の兵士は村人との警戒に混じってほとんど出払っていた。

 残っているのはフェイアとコウライだけだが、妖魔のことについて二階の部屋で話し合っているらしい。

「みんな、どうしたの?」

 宿に到着すると、ユイハが怪訝な表情で出迎えた。

 家に戻ったはずのリョホウと警戒中のホウロ、そしてメイリン。

 どうしてこんな時間に三人が揃って宿に来たのかわからないのだろう。

「もう、大丈夫よ」

 道中すがるようにリョホウから離れなかったメイリンが、ようやく夫から体を離した。

 しかしメイリンの心に残る、容赦なく加えられた暴力の恐怖が、完全に治まったのではないことはわかっていた。

「ユイハ、メイリンを頼む」

「う、うん」

 リョホウの頼みに、戸惑いながら承諾するユイハ。

 事情はわからないだろうが、メイリンが酷くやつれているのはわかっただろう。

 睡眠も足りていないようだ。

 とにかくメイリンは休ませる必要がある。

 自分の部屋に招くユイハに先導されるメイリンは、振り返ってリョホウに微笑んでみせる。

 夫を安心させるためのものでぎこちなかったが、少なくとも夫に気遣えるだけの余裕ができたようだ。

 二人の娘が部屋に入るのを見届けると、いつの間にいたのか、階段から同じように様子を見ていたフェイア道士に気付いた。

 フェイアは怪訝にホウロとリョホウに訊ねた。

「なにかあったのかい?」



 ゴウリュウは村人の一人と庭先で話をしていた。

「よくやってくれた。これで借金は帳消しにしてやる」

 卑屈に頭を何度も下げるその男は、兵士と共に見張りをし、そして妖魔に襲われ、からくも兵士によって命を救われた村人、カイウだった。

 ゴウリュウはカイウに、もう用はないというふうに手を振ると、カイウはすぐに立ち去る。

 それはゴウリュウが恐ろしくてたまらないというふうだった。

 ちょうど帰ってきたゴウエンとすれ違う。

 カイウはその姿を見て怯えたように目を逸らし、ゴウエンはその様子に薄ら笑いを浮かべた。

 カイウの姿が消えるとゴウエンは父親に話しかける。

「親父、うまく言ったみたいだな」

 ゴウリュウは息子の姿に表情を崩すが、それは息子への愛情ではなく、悪巧みが成功した時の悪役の顔以外何者でもなかった。

「間抜けな道士だ。こんなことで簡単に騙されおった」

 妖魔の姿が現れた村では、村中総出で警戒に当たり、当然道士と兵士も出動している。

 そしてその道士の近くに先程までいた、妖魔に襲われたはずのカイウは、ゴウリュウに詳細を説明した。

 思惑通り若造の道士は妖魔の仕業であることを完全に信じて疑っていないという。

「まったくだ。あんな話を簡単に信じるとはな。しょせん若造よ」

「道士様々だ」

 二人は下品な笑い声を上げた。

 その様子を見た者は、やはり二人が親子であることを実感したことだろう。

「あとはあの小僧を犯人に仕立て上げれば」

「万事めでたし。親父、前祝の祝杯を挙げようぜ」

「おお、それはいい」

 二人は屋敷内へ入ると、上物の酒瓶を開けた。

 新たな商売は完全に上手くいっている。

 人身売買。

 村人を拉致し、遠く離れた都の人買いに売る。

 村では行方不明者が出たとして騒然とするだろうが、それは妖魔の仕業に見せかけてしまう。

 村人は消えた者たちを人買いに連れて行かれたとは思わず、人喰いの餌食になったと信じて疑わない。

 妖魔退治の専門を鼻にかける、若造の道士も同じだ。

 警護に雇った者たちに、少し妖魔の格好をさせ、村人の一人が襲われたように見せかけただけで、すっかり妖魔が現れたと思い込み、村中蜂の巣を突いた騒ぎだ。

 無欲な善人を気取る若造など、世の中のことなどなにもわかってはいないのだ。

 今迄は、あの愚かで口うるさい兄が、なにかと目を光らせていたため、思うように行動できなかったが、厄介なリョゲンも死に、官吏も買収し、今や村の実権はすべて自分が握っているも同然。

 邪魔する者はいない。

 ゴウリュウの名はこんな小さな村で収まりはしないのだ。

 すぐに都に広まり、やがては国じゅうに知れ渡ることになるだろう。

「家のさらなる発展に」

 息子の音頭に合わせて杯を合わせ、一気に飲み干す。成功を目前とした酒は格別だ。

「リョゲンが余計なことをしてくれたおかげで収入が減ったが、これでようやく元通りだ」

 人身売買の選抜は、以前金を貸していた村人だ。

 兄が死んだのだから、その遺産は自分のものであり、当然借金を立て替えたことも、すべて自分が相続したと考えている。

 子供のリョホウに相続権などない。

 それは実質名目共に一族の家長となった自分が決めることなのだ。

「最後に、あの娘だな」

 人身売買は長く続けられる商売ではない。

 短時間で収入を上げ、迷わずに手を引くのが一番だ。

 そして最後はメイリンを人買いに売り、すべての罪をリョホウにかぶせる。

 気のふれたリョホウが村人を惨殺し、妻にまで手をかけたという筋書き。

「都に連れて行く前に、少し俺に貸してくれよ」

 ゴウエンが下卑な厭らしい笑みを浮かべた。

「お前も好き者だな。まあいい、たっぷり可愛がってやれ」

 親子は酒を酌み交わしあい、悪意に満ちたる酒宴は続いた。



 ゴウエンはメイリンとリョホウの結婚に不満があった。

 不満というより不愉快というべきかもしれない。

 メイリンに色目を使ってはいるが、しかし横恋慕とさえ言えるものではなく、整った顔立ちの女ならば誰でも言い寄るような男だ。

 そしてリョホウのような男でも一緒になってしまうような女なのだから、金と権力を持つ自分にすぐに寄ってくると考えていた。

 しかし信じて疑わなかった予想は、完全に裏切られた。

 今迄の女は金を見せればなんでも言うことを聞いた。

 だがそういった商売をしている女は、仕事のために客を煽て要望に応える必要があるだけで、それは偽りの賛美にすぎず、現実は疎まれる嫌われ者以外何者でもなかった。

 父親の力を笠に暴力を振るい、人々が努力し丹精込めて作り上げた作物や工芸品を荒らし、人が怯え泣く姿を笑い、愉悦に浸り楽しむ。

 そんな人間を誰が好きになるだろうか。

 現実には演劇のように乱暴者に恋し愛するものなどいない。

 だがゴウエンにはそんなことが理解できなかった。

 誰も教えなかったからではない。

 ゴウエンの母は、我が子に人の道を説いた。

 ゴウリュウが都で見つけた女性で、妙齢の美しい人だった。

 都の出身の彼女が、なぜゴウリュウのような男と結婚したのか、その経緯は定かではない。

 ただ、夫に接する態度のそれは、伴侶というより召使いのようで、他の村人が借金で働かされているように、似たような理由で脅されるように一緒になったのではないかと、彼女を知る村人は考えていた。

 それでも彼女は自分の息子には愛情を注ぎ、父のようにならないよう道徳を教え、人情を知る人間になるように願った。

 だが、母の願いは届かなかった。

 ゴウエンは力ある者はなにをしてもいいのだと考え、その通りに行動した。

 力を使わない母を愚かだと思い、金を見せればすぐに褒め称え擦り寄ってくる女を見て、女という生き物はすべて頭の悪い馬鹿なのだと断じた。

 男を喜ばせるためだけに存在し、金と力を見せ付ければいくらでも言うことを聞く。

 母は嘆き悲しみ、心労は病につながり、彼女は失意のうちに、若くして儚くもこの世を去った。

 夫と息子は、心を入れ替えることをせず、依然と変わりなく人の道を外れて突き進んだ。

 しかし、その道を妨害する者が現れた。

 リョゲン、リョホウ、そしてメイリン。

 特に許せないのがメイリンだ。

 軟弱な男に嫁ぎ、勘違いしているようだから本当の男というものを教えてやろうとすると、嫌だ止めてと喚き散らす。

 まるで汚物にまみれた獣に襲われたような反応だ。

 親切をわからない、仇で返すような女はじっくり教育してやらなければならない。

 そしてその時はもうすぐそこまで近づいている。

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