第5話 契約3
兄がいるという酒場の扉を開けると、外のまぶしさで、室内がよく見えなかった。ルーチェは扉の外から目をこらして店の奥を見つめた。そして次の瞬間にはもう視界を塞がれて、店の中に放り込まれてしまった。
「へへ、魔法使いでもガキはガキだなぁ……」
「な、に……?」
道端で声をかけてきた男のほかにも人の気配がした。
ルーチェは自分がとんでもない間違いをおかしてしまったのだとわかり、戦慄する。心臓の音がうるさく、そんな中でもなんとか視界を覆っている布のようなものを取ろうと必死にもがく。
「知らない人について行ったらいけないって、習わなかったのか? 習っても守れないアホなのか、どっちなんだろうなぁ?」
冷たい床に転がされ、腕を縛られた。視界を塞がれた魔法使いは、ただの人――――ルーチェはなんの力も持たない、十三歳の小娘だった。
「私を誘拐したって、スカリオーネ家は動かないと思います! お屋敷に帰してください」
「おう、そのほうが好都合だぜ。……身代金目的じゃねぇからよ」
「どういうこと……?」
「わかってねぇなぁ。十六家の直系の女だろ? 家がなくても血筋には価値があるんだと。……さて、いくらで売れるかな?」
魔法使いの能力はほぼ血筋で決まる。だから高く売れる。男たちは人をさらって売る犯罪者だった。
「嫌、嫌だ! やめて、そんなひどいこと……っ、ん!」
「うるさい!」
今度は口も塞がれ、魔法を使うための腕輪まで奪われた。これでは目が見えたとしても、大きな魔法は使えない。
(シルヴィオ様! 怖いよっ、助けて……)
耳のピアスには気づかれていない。ルーチェの瞳の色とは違う色の石を、彼らはただの装飾品だと思ったのだろう。
時間が経てば必ずシルヴィオが助けに来てくれる。ルーチェはそう信じて待つしかない。
(でも、いらないって、見捨てられたら……? ううん、そんなことない、そんなはずない……)
ピアスは彼女を監視し、逃げられないようにするためのもの。守るためのものではない。それでも、普段接しているシルヴィオやスカリオーネ夫妻の態度を考えれば、ルーチェを簡単には見捨てない。冷静に考えればわかることだ。
そのはずなのに、彼女の心は不安と恐怖でいっぱいだった。
八歳の頃に家族を失ったルーチェは、恵まれているとはいえ、やはり囚われの身だった。庶民の娘ほどの自由はなく、市井の暮らしをまったく知らなかった。そして身分の高い令嬢と比べると、危機意識が足りなかった。
それは彼女のせいだけではなく、スカリオーネ家を含めた保護する側の責任でもある。
強い力を持つ魔法使いは、格下の魔法使いや、魔法が使えない人間に負けるという発想がそもそも無いのだ。
視界を奪われるだけ、腕輪を奪われるだけで簡単に力を失うというのに、魔法使いたちは
§
その後、ルーチェはすぐに馬車に乗せられた。振動と馬が大地を蹴る音、そして風を感じないことから、幌付きの荷台なのだとわかる。そして、乗せられた時間の長さから、王都の外に出てしまったのだと彼女は理解した。
視界を塞がれた状態で、ただ荷台に転がされ揺れを感じている。時々、床が斜めに傾いて、山道を走っているのを知る。
ルーチェは八歳の頃から王都から出たことが一度もなかった。それ以前はカゼッラ家の領地で生まれ育った。彼女にとって王都の外は地図のなかにしか存在しない、未知の場所だ。知らない場所に連れていかれること、そしてシルヴィオから遠く離れることがなによりも怖い。
口を塞がれているから、彼女を捕らえた男たちに、これからどうなるのか、どこへ行くのかをたずねることすら許されない。
「おい、検問か?」
「ちっ!」
荷台の外、御者台にいる男たちの声が聞こえた。
この頃のルーチェは知らなかったが、バレスティ国の街道では、時々、王都警備隊によって抜き打ちの検問が行われていた。地方から王都へ違法な薬物が持ち込まれること、そしてルーチェのように王都の婦女子がさらわれて、地方に売られるのを防ぐためだ。
検問という言葉を聞いて、ルーチェは助かったと思った。おそらく正式な検問所のある場所を通る予定がなかったのだ。ルーチェは馬車の中で、縛られ転がされているだけだった。荷台を調べたら、すぐに姿は見えるし、彼女が仲間ではないことは誰が見ても明らかだ。
「突っ切れ!」
御者台の男の声と同時に、馬車の揺れが大きくなる。男たちは検問を無理やり突破して逃げるつもりなのだ。
「ま、まてっ!」
「突破されたぞ、追いかけろ!」
鞭を入れられた馬の
山道を疾走する馬車が左右に大きく振れる。荷台の中はそのたびに大きく揺れ、ガタガタという嫌な音を立てた。しっかりと固定されていない積み荷が彼女の上に落ちてくるが、縛られている状態ではどうにもできない。
「くそ! 追いつかれるぞ」
相手が馬なら、荷馬車など簡単に追いつかれる。ルーチェは男たちが早くあきらめて、荷馬車を止めてくれることを祈った。
けれど一際大きく荷馬車が曲がったのを感じた次の瞬間、荷が崩れる大きな音と一緒に、ルーチェに身に衝撃が走った。
彼女はなにが起こっているか把握できないまま、意識を手放した。
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