第21話 想いが繋ぐ愛の紋章1

「ティーノ……」


 ジリジリと距離を詰める敵に対し、レオは呼びかける。


「お久しゅうございます。王太子殿下!」


 血走った目、肩を揺らしながらゆっくりと近づいて来る姿には、かつての親友の面影はない。そして、男はあり得ない呼び方でレオに呼びかけた。

 そう呼ばれたレオは、この男に対して抱いた違和感の理由をはっきりと理解した。


「やはり……。お前はティーノ・サルヴィーニではないな」


 顔は同じ。それでもレオには確信があった。彼の知っているティーノはこんなふうに歪んだ笑みを浮かべる人間ではないし、王太子イルミナートと近衛騎士ジェラルドを見間違えるはずがない。


「ひっひ、何をおっしゃっているのか……。まさかこんな小娘と二人で旅をされているとは、考えもしませんでしたよ。おかげでお探しするのに時間がかかってしまったではないですか! ははっ……ギリギリ、俺たちの勝利だなぁ! かつて西部で多くの人間を殺し英雄になった男が、人助けなんかして墓穴を掘るとは、なんとも滑稽! あははははっ!」


 男は外套がいとうの内側を探って小瓶を取り出す。中には鮮やかな紫色の液体が入っている。とても飲み物とは思えない怪しい色の液体を、何の躊躇ちゅうちょもなくあおる。

 ティーノ・サルヴィーニの姿をしている男が液体を飲んだのを合図に、護衛兵の隊服を着た男たちもそれに続く。


「ひ、ひひっ……。これで『契約の紋章』にも勝てるぞ! 痛みも感じねぇ! 力が湧いてくる! まさに万能薬だ!!」


 先ほどよりもさらに目が血走り、目を見開いたまま歓喜の涙を流す。男の状態はもはや普通の人間ではなかった。

 魔力を高め、痛みをなくす薬。レオも名前だけは何度か聞いたことがあったし、そういった内容を熱心に研究している者が存在していることは知っていた。

 けれど、人体に何の害もなく都合よく能力を高めるような薬は存在しない。

 それらの多くは、命を代償にして一時的に能力を高めるだけの劇薬でしかない。男たちはその薬を使っているのだ。


「その薬の力で姿を変えたのか? 本物の兵たちはどこだ?」

「ひひっ。ひひひ……」


 魔法で人間の骨格を変えることは可能だ。ただ、その痛みに耐えられれば……の話だが。男は、彼らが万能薬と呼ぶその薬で強い魔力を手に入れ、痛みを感じる心を捨てたのだ。

 襲撃された日、出立前までティーノはいつもと変わらないティーノだった。いくらなりすまそうとしても、人格が変われば家族や友人は気がつく。

 だから、入れ替わったのはあの襲撃の直前。

 本物のティーノや護衛兵たちの行方について、レオにはあまりいい想像が浮かばなかった。


 今はただ、レオ自身とロゼッタの安全だけを考えなければ。彼はそう思い、左手で腕輪に触れた。


「そろそろお覚悟を! 王太子殿下ぁ!」

「……残念だが、私は王太子殿下ではないよ。本物の殿下は今頃都に着いているはずだ。お前たちは最初から間違っていたんだ」


 奏者に扮した王太子は道を急ぐと言っていた。おそらくはもう都にたどり着いているだろうし、今頃はスピナー家討伐に向けて動いているはずだ。男たちの計画は入れ替わりに気がつかなかった最初の時点ですでに破綻していたのだ。


「何を……苦し紛れの戯言か!?」

「本当だ。私がお前の正体がティーノ・サルヴィーニではないとわかったのも、お前がありえない名で私を呼ぶからだ。殿下と私は全く似ていないのだから」


 真実を告げたところで、彼らが愚かな行動をやめ、おとなしく捕まるとはレオには思えなかった。レオが王太子に仕える身分の高い人間であることはわかっているだろうから、せめて道連れにと考える可能性が高い。

 だが、王太子ではないという事実は、彼らの動揺を誘い戦意を削ぐことにつながるかもしれない。レオはそう考えた。


 同時に状況が自分たちに不利であることも彼はよく理解していた。『契約の紋章』の所有者に対抗できる、という彼らの話がどの程度本当なのかは定かではない。だが、本当に彼らが紋章所有者に対抗できるというのなら、近衛騎士一人、見習い魔法使い一人という戦力で勝てるとは思えなかった。


(それでも、負けるわけにはいかない……)


 男たちが未だに隊服を着ていること、そして人助けをして墓穴を掘ったと語ったことから、アッデージ一家の件からレオたちの足取りが露見した可能性が高かった。

 もしレオがここで倒れれば、ロゼッタはどう思うだろうか。癒しの力を使ったことが居場所の特定につながったことをきっと悔やむだろう。必要のない罪の意識を彼女に植え付けることになる。

 ロゼッタを守るだけではなく、レオ自身も倒れるわけにはいかない。彼にとってはかなり厳しい戦いになることが予想された。


「ロゼッタ。後ろは気にせず、目の前の敵に集中してください」


 万能薬を飲んだのはレオの正面にいる敵だけだった。ロゼッタが対面している敵は魔法使いではないようだ。『視る』ことで魔法を発動する魔法使いは、死角となる後方に回り込まれると非常に弱い。まずはどちらかの敵を無力化しなければならないのだ。


「はい!」


 敵が一斉に剣を抜く。レオもそれに合わせ剣を構え、ロゼッタは右手を地面と平行に差し出す。

 レオにとって、残念ながらロゼッタは背中を安心して任せられる人間ではない。魔法の才能はかなりのものだが、戦ったことのない人間を戦力として考えるのは危険だ。

 だから彼は前方の魔法使いと対峙しながら、後方にも注意を払わなければならないのだ。


 ロゼッタが対峙している敵が声を上げて二人の方へ一斉に向かってくる。その瞬間――――。


 バリバリと空を切り裂くような轟音と強烈な光がレオの後方で炸裂する。

 そして、一瞬にして二人の敵が地面にひれ伏す。ロゼッタが雷を放ったのだ。

 彼女は近づいてくる正面の敵を次々と雷で倒していく。


 レオが対峙する魔法使いたちは、明らかにロゼッタに狙いを定め、距離を保ったまま遠距離攻撃を放つ。

 背を向けている人間を攻撃するのは、魔法使いの初歩的な戦術だ。レオはロゼッタに迫る炎や雷の魔法が彼女に当たらないように壁を築き、その全てを弾く。


(くっ、やはり強いな……)


 敵の強さはレオの予想以上だった。魔法使いの攻撃を弾きながら、ロゼッタが取りこぼした敵を剣でなぎ払う。それだけで手一杯だった。

 それでも、十人以上いた非魔法使いを全て片付けた二人は、魔法使いたちを正面に見据える。


「ロゼッタ! 同じ要領で後方にいる魔法使いを狙ってください」

「は、はい!」


 自身とロゼッタ、二人の人間に向かってくる魔法を全て弾きながら、レオは高速で敵の一人との間合いを詰めて、容赦なく剣を振るう。


 ロゼッタはレオの位置をよく考えながら、彼に影響を与えない位置にいる敵を攻撃する。

 しかし、先ほどとは違い相手も魔法使い。当然だが攻撃は弾かれる。それでも、敵の一人にロゼッタの雷撃が命中した。だが――――。


「嘘……。な、なんで、起き上がるのっ!?」


 一度は倒れた敵が、ゆらゆらと起き上がる。雷撃を受けたというのに、嬉しそうに顔を歪め、ロゼッタを見る。

 その目は倒すべき敵と対峙している人間のものとは思えないほど虚ろだ。


 そして、今度はロゼッタめがけて敵から雷撃の魔法が次々と放たれる。五回目の雷撃でロゼッタの前にあった透明な壁が砂埃を立てながら粉砕された。


(ロゼッタ!!)


 衝撃で倒れたロゼッタを庇う位置にすぐさま移動したレオに向かって、敵が一斉に光る矢を放つ。

 いくつかの矢を剣で弾き、自身の魔法で相殺したレオだが、全てを防ぎきることはできず、三本の矢が彼を貫いた。


「レオさん!!」


 レオは崩れ落ちそうになりながら、地面に向けて風の魔法を放つ。

 すさまじい砂煙が二人と敵を隔てるように巻き起こり、互いの視界を奪う。

 これではレオも敵も、魔法を使うことができない。


 左肩、脇腹、太ももの三カ所に深い傷を負ったレオは、敗北を悟った。次に取るべき行動は、ロゼッタを逃がすこと。もうそれしかない。


 レオは痛みを堪え、呆然としているロゼッタを少し乱暴な手つきで抱き上げる。


「ロゼッタ、申しわけありません」


 レオはそのまま、深い谷底に飛び降りた。

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