第14話 道が教える彼の過去3

 馬車の持ち主は都で商売をするアッデージという姓の一家で、怪我をしたのは一家の主ということだった。そして彼と妻、娘、娘婿の四人で取引先から都へ戻る途中で盗賊に襲われてしまったのだった。

 レオは彼らに、ロゼッタがお忍びで旅をしている名家の令嬢で、自分はその護衛であると説明した。


 道からはずれ、少し傾いていた馬車をレオとアッデージの娘婿・ガストーネが直し、安定した場所で治療を行うことにした。

 レオはナイフで商家の主人の服を切り裂き傷口をよく見えるようにしてから、ロゼッタを見守るように彼女の隣に座る。

 男性の傷は腹部のかなり深いところにまで達している。ロゼッタが本格的な癒しの力を使うのはレオのときに続いて二度目になる。商家の主人の傷はレオの時よりも深い。

 目を背けたくなるような傷でも、魔法使いがそこから目を逸らすことはない。ロゼッタは大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。


(大丈夫! あの時もできたんだから)


 腹部の傷をしっかりと『視』て、ロゼッタは光を放つ右手を彼の腹部にあてる。


(もう少し、もう少し……)


 ロゼッタの腕輪の三つある石のうち、一つの輝きが失われる。即座に触れていた石をなでるように、指先を別の石へと動かす。すると、今度は中央の石が淡く光った。ロゼッタの意識は傷を消すこと、それだけに支配されていく。


「そこまでです!」


 ロゼッタの視界が急に暗くなり、今まで見えていたものが何も見えなくなる。何をするのか、と心の中で視界を奪った何かを非難する。


「やりすぎです。もう十分ですよ、このままではあなたが倒れてしまいます」


 ロゼッタの視界を奪っていたのはレオの大きな手だった。手袋越しでも温かいと感じるその手の感覚で、彼女は急に我に返る。


「あっ……! ごめんなさい、もう大丈夫です」


 ロゼッタは魔法に集中するあまり、またしても加減を忘れてしまったのだ。気がつけば、ロゼッタの額には汗がにじみ、息は荒い。彼女が視界をふさいでいる手をそっとどけると、心配そうなに覗き込む空色の瞳が見えた。

 魔法を使う時、その核となる部分は水晶に溜めておいたものではなく、自身の身体にある魔力を使う。実力以上の魔法を使うのは危険な行為で母からも止められているというのに、またやってしまったのだ。


「あなたは少し優しすぎます」

「ごめんなさい……」


 レオの視線は少し冷たい。彼女を心配して、無理をしてしまったことを非難しているのだ。ロゼッタとしては素直に謝り、反省することしかできない。


「結構深くて、完全には治せませんでしたが……」

「ありがとうございます! ありがとうございます! 本当になんとお礼を言っていいのか」


 ロゼッタの言葉に、一家を代表してガストーネが礼を言う。妻と娘は涙ぐみながら頭を何度も下げた。商家の主人はまだ目覚めないが呼吸は安定し、ひとまず安心できそうだ。

 レオは荷物から手当の道具を取り出して、男性の傷口に清潔な布をあて、包帯を巻いた。傷は完全にはふさがっておらず、今後熱が出る可能性があるため、ロゼッタの作った薬も渡しておく。


 傷は最寄りの村で医者に診せることになるだろう。その場合、通りすがりの魔法使いが傷を治したことがばれてしまう。


「では、あなた方のことは秘密にしましょうか? 医者や役人に、かけ離れた容姿を告げるとか?」


 二人がお忍び中であるという話を聞いてガストーネがそう提案した。


「それは駄目です。盗賊も取り調べを受けるでしょうから、偽証がばれしまうとアッデージさんが危険な目に。なるべく役人とは関わりたくないというのが本音ですが、罪を犯して逃げているわけではないので正直に話していただいて構いません」

「わかりました」


 ロゼッタのことまでは見られていないかもしれないが、レオの顔は盗賊に見られているかもしれないのだ。盗賊に口止めをすることなどできないのから、アッデージ一家に偽証をさせるのは危険だ。積極的にふれ回るのは控えて欲しいが、役人の取り調べまで嘘をつかせるわけにはいかない、というのがレオの考えだった。


「……ところで、大変失礼ですがお二人は駆け落ち中とか……ですか?」


 ロゼッタは口をぽかんと開けて何も言えなくなった。自称「名家の令嬢」が男性の護衛一人だけ伴って旅をしていること、そして罪を犯したわけではないが、役人とは関わりたくという話を邪推し、ガストーネは駆け落ちだと思ったようだ。

 ロゼッタは初日の宿の主人にも同じように言われたことを思い出す。なぜそう思われるのか全くわからない。


「ご想像にお任せします」


 ガストーネの問いに対して、レオは笑顔でその言葉を否定しなかった。この場合、否定しないことは肯定しているのとほとんど変わらない。 ロゼッタは一瞬ムッとしたが、そう思われている方が都合がいいことくらいわかるので我慢する。


「そうですか? アッデージ商会と言えば、都ではそれなりに有名なんですよ! 落ち着いたらぜひ、いらしてください。義父の命を助けてくださった恩人ですから、困ったことがあれば力になります」

「ありがとうございます」


 それはまるで、駆け落ちして仕事に困ったら世話をすると言っているようだった。実際そのつもりなのだろう。二人は苦笑し、再開を約束して馬車から離れた。



***



 アッデージ一家と別れた二人は、当初立ち寄る予定だった村を通り過ぎ、先を急いだ。


 縛られたままの盗賊たちは、村の自警団に引き渡される。そしてアッデージ一家が村で経緯を説明することになるだろう。命の恩人であるロゼッタたちのことを彼らが積極的に話すことはないはずだ。けれども、どうしても癒しの力のことは話さざるを得ない。


 奏者の青年が言っていた忠告に従うのであれば、敵である可能性が高いヴァルトリ領からはすでに出たとはいえ、油断はできない。自警団や役人から、強い力を持った魔法使いがいたという情報が敵に漏れる可能性があるからだ。

 今のうちにできるだけ遠くに逃げておきたいというのが二人の考えだった。


 そんな中、ロゼッタは身体に異変を感じていた。いつもなら一日中歩いても疲れない足が、異常なほど重い。


(魔法を使いすぎちゃったかな……)


 一気に水晶二つ分の魔力を使ったことは今までなかった。限界の見極めができないロゼッタはやはり未熟なのだ。でも、レオにこのことを知られるのは嫌だった。体調が悪いと言えばレオは休ませようとするだろう。

 ロゼッタは半分、自分のわがままで癒しの力を使ったのだ。それだけでも、敵に見つかる危険な行動だと最初から知っていた。

 今はできるだけ盗賊や馬車から離れなければならない。だから立ち止まるのは嫌だった。


 ロゼッタはフードを被ったまま、できるだけレオに顔を見られないようにし、必死についていく。しばらく歩くと、徐々に視界が狭くなり世界が色あせてしまうような感覚に陥る。これはまずいと思いながら、ゆっくりと地面が近づいていく様子を朦朧もうろうとした意識でただ見ていた。


「ロゼッタ、どうしましたか!?」


 ロゼッタが地面に倒れこむことはなかった。その前にレオが彼女を受け止めたのだ。


「大丈夫ですよ! ちょっとつまずいて」


 ロゼッタは元気に答えたつもりだったが、その声は上擦り、どこか不自然だ。彼女の外套がいとうのフードをレオが無理矢理はぎ取り、顔を覗き込む。


「……どうして、言わないんですか」


 レオの声はいつもより低く、はっきりと非難の色が混じる。


「だって、迷惑を……」

「迷惑ではありません! ただ、心配なだけで」


 レオの非難は、彼女を心配する気持ちだ。それがわかるからこそ、身の程をわきまえない行動で彼に迷惑をかけてしまう自分自身が嫌になるのだ。


「なんで私、こんなに身体が動かないの? 母様や、レオさんはこんなふうにならないでしょ!?」


 こういうことで泣くのはずるいとわかっていても、ロゼッタは涙をこらえることができない。

 先ほどの一件ではレオも魔法を使っていたのだ。彼だって疲れているはずだ。記憶消失の彼ですら、この先の道のりで消費する体力を計算しながら魔法を使っているのに、ロゼッタにはそれが全くできていない。


「ロゼッタ。魔力を制御するのは、冷静になるということです。確かにあなたにはそれが全くできていないのかもしれません。でも、冷静になるというのは非情になるのと同義なんですよ……。あと少し、そのままのあなたでいてください」

「でも、私は誰かに守られたいわけじゃ……」

「それも、知っています。でもあなたはいつも守られているだけ存在ではないでしょう? 私やアッデージさんを助けたのはあなたです。一緒にいる間は、私が補助する。それではいけませんか? 私はそうしたいですし、あなたが嫌がってもそうします」


 レオの言葉は、ロゼッタという一人の人間をそのままでいいと肯定してくれるものだった。最強の魔法使いを母に持つロゼッタは、誰に比べられたわけでもないのに、勝手に劣等感を抱き、すぐに卑屈になる。レオの前では今のままの自分を好きになれる――――ロゼッタはそう感じた。


 結局、ロゼッタは近くの街までレオにおぶわれることになった。自身の荷物を前に抱え、ロゼッタを背負ったまま黙々と歩くレオの背中は大きくてとても温かい。


「そういえば、私が倒れたときはロゼッタの父君が運んでくれたのでしょう?」

「そうですね……」


 その話をわざわざするのは、人に迷惑をかけるのはロゼッタだけではない。完全に気絶している人間の方がより担ぎ手の負担になるので、レオの方がたちが悪いのだと言いたいからだろう。

 ラウルに担がれたレオの姿を思い出すと、少しだけ愉快な気持ちになり口の端が不自然につり上がる。レオにはあの時、服を着ていなかったことを伝えていない。ロゼッタは顔を覗かれる心配がないのをいいことに、少しだけ笑う。そして、気持ちが楽になるのを感じた。


「レオさんは優しい人ですね……。ありがとうございます」

「私が優しいのはあなた限定です。おそらくは」

「…………」


 いつもなら「既婚者!」と言って牽制するはずなのに、今のロゼッタにはそれができない。

 そしてレオの言葉にまたロゼッタの胸が苦しくなる。胸が苦しくなるその根本的な理由をロゼッタはこの時にやっと理解した。


 本当はわかっていて、認めたくないだけだったのかもしれない。




(私はレオさんが好きなんだ。だからこんなに苦しい……)




 ずっと考えないようにしていた彼への恋心は、誤魔化すことができないくらい大きくなっていたのかもしれない。彼を優しくていい人だと思うたび、会ったことのないヴィオレッタのことが頭をよぎり、ロゼッタの心が罪悪感でいっぱいになる。


 レオから伝わるぬくもりを感じることも、肩に回した腕に力を込めることも、ロゼッタには罪なことのように思え、心がギシギシと音を立てるように痛んだ。


(消さなきゃ、こんな気持ち早く消さなきゃ……!)


 言わなければ許されるという想いではないだろう。想ってしまうこと自体がきっと罪だ。ロゼッタの理性が、止められない気持ちに警鐘を鳴らす。


「ごめんなさい……」

「大丈夫ですよ。あなたは軽いので」


 その謝罪は、レオに対して言ったものではなかった。頭では絶対に許されない気持ちだとわかっているのに、なぜこんな気持ちを抱いてしまうのだろうか。ロゼッタは、彼に気持ちを告げないことだけが最後に残された自分の良心であるように感じていた。



***



 一番近い町までは結構な距離があった。なんとか町にたどり着いたのは夕方で、宿に着くとロゼッタは安心し、すぐに眠ってしまった。

 目が覚めると、レオは部屋に一つだけあるテーブルにランタンを置いて、腕輪の手入れをしていた。魔力を込め、淡い空色に光る石はとても澄んでいる。

 たった十日ほど前のことだというのに、まったく逆のことがあったなと、ロゼッタは懐かしく感じる。


「目が覚めましたか?」

「はい……。ご迷惑をおかけしました」

「お腹は空きませんか?」

「少し……」


 ロゼッタは魔法の核となる魔力を急に使いすぎて気力と体力を消耗してしまったのだ。こういう時はしっかりと休んできちんと食事を取ればすぐに回復する。

 彼女は制御力不足ノーコンだが、魔力の保有量は『瑠璃色の魔女』と肩を並べるほどだ。魔法の核となる魔力を体内から取り出すのは精神的にも肉体的にも疲労する。今回は魔力が底を尽きたわけではなく、その前に魔力を取り出す作業に疲れただけだ。


 ロゼッタはゆっくりと起き上がり、小さな机を挟みレオの向かいに座る。

 テーブルの上に置かれていたのはかなり冷めたスープとパンだ。


「下の食堂が開いている間に作ってもらったんです。かなり冷めてしまいましたが……」


 ロゼッタは冷めたスープを口へ運ぶ。野菜と豆がじっくり煮込まれたスープはちょうどいい塩気で、冷めても食べられないわけではない。体調の悪いロゼッタを気遣って、消化のよいものを選んで用意してくれたのだと思うと温かい気持ちになる。


「……おいしいです」


 ロゼッタは用意されたスープとパンを残さず食べた。きっとあと少し休めば体も元どおりになるだろう。


「明日はこのまま、この町に留まりましょう」

「えっ、どうしてですか!? 私なら大丈夫です!」


 まだ事件のあった場所からそう遠くへは進んでいない。今は一刻も早く都へ行くべきだ。

 それにロゼッタは明日になれば動けるという自信があった。今度こそ、途中で倒れたりはしない。彼女がそうレオに訴えても、彼はただ首を横に振るだけだった。


「もう倒れないのと、体調か完全に治るのとは違うでしょう。無理はいけませんよ」

「でも……」

「それに、あなたのために言っているわけではないのです。私のため……」


 レオの表情に陰が落ちる。なぜそんな顔をするのか、ロゼッタにはわからない。


「ロゼッタ、あと少しだけ私に時間をください。……都に行くのは私にとって覚悟が必要なんです」


 レオはしっかりとロゼッタの瞳を見据え、低い声でゆっくりと告げる。


「私は、きっともうすぐ消えてしまう存在です……。ですから、あと少しだけ時間がほしい」


 揺らめくランタンの明かりが反射するレオの瞳は、全てを諦めてしまっているように悲しく穏やかで、ロゼッタの胸を締め付けた。

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