第5話 深淵の創造
ティストリアは閉鎖国家だ。
透明な魔法障壁に囲まれていて、その中心部に校舎が居座っている。校舎の周囲には森が生い茂っていて、大きな湖や沼などが散見される。迷宮のように入り組んでいる森林の入り口に呼び出された三人。遅刻者はもちろんいない。
「よーし、よーし。これで全員そろったな」
パン、パン、とアムリタは手を叩く。まだ陽の高い早朝から快活な声を張り上げられると、げんなりしてしまう。
華奢な肉体で、針金を伸ばしたような印象を受ける。
どこか頼りなさそうな顔つきをして、皺だらけのスーツに身を包んでいる。身なりがキチンとしていないのは、世話好きな妻の手ほどきをもう受けられなくなってしまったからか。
とにかく、だらしなそうだ。
だが、そんな見た目と裏腹に、二年の学年主任を務めている側面を持つ。
それが、メビウス家の現当主――アムリタ・メビウスだ。
「それじゃあ、さっそくだけどみんな目を瞑ってくれ」
「…………」
「…………」
ヴァンは思わずチギリと顔を見合わせるが、やはりどういうことだ、これ? という困惑の感情しか読み取れない。
「いいから、速く、速く」
急かされるままに両目を塞ぐ。五感の一つを失くしたせいで、音に鋭敏になる。
「目を瞑って、何も考えない。できるだけ心を無にするんだ。そう、そう、そうそんな感じ……」
アムリタの言葉が心の奥まで染みわたる。言いなりになるのは癪だが、何故か彼の指示に逆らえない。強制力を伴っている言霊に縛られ、
「――そうすれば、君達の大切なものを奪える」
腹を一突きにされる。
地面を這っていた影から、にゅるんと伸びた腕が身体を突き破っている。いや、自分だけでなく、チギリとイリーブの二人も同様に刺し貫かれていた。
「がぁっ!」
ドロドロした影が糸を引いて、腕と地面を連結している。黒い湖面のように広がった影から波紋が広がっている。これは――
「『
アムリタの『
「――ぐあっ」
どてっ腹に、水晶玉がずっぽり入るような穴を開けられたのだ。壊れた噴水のように血が噴き出すかと思いきや、何も起きない。不審に思って腹を弄る。
「……なんともない?」
ぽっかりと空いた空洞どころか、傷跡すらない。気持ちの悪い感触だけは残っている。まるで腹の底を探られたような、妙な感覚はこびりついている。
「俺の魔法は他人の心を暴くことができる。浅めの表層意識から、本人自身が気づかぬほどの深層心理まで影の手を伸ばすことができ、完全とはいえないが掌握できるんだ」
三本の黒い腕はアムリタの影にゾゾゾ、と集まる。その手はしっかりと握られていて、感じる魔力はおどろおどろしい。
「お前達の最も大事なものが今この手の中にある」
「――まさか……」
最初はピンとしなかったが、アムリタの言葉の意味を悟る。
慌てて制服の胸に手を当てる。
例え入浴している時であろうと、寝ている時であろうと。
どんな時であろうと肌身離さず首にぶら下げているものがなかった。ポケットに手を突っ込んでも、地面に視線を落としても、どこにもない。
「俺の指輪を……お前っ!!」
地面を踏み鳴らして、アムリタの胸ぐらを掴む。
「『お前』……ね。いい傾向だ。あまり感情を他人にぶつけようとしないお前が、他人に本音をぶつけるのはいいことだ」
涼しい顔をして、こちらの腕を振りほどこうともしない。それどころじゃないとばかりに目線を外して、
「だから、こうしよう」
影で構築された三本の腕をブン、と振り回す。
「なっ!」
高速で投げられた、他の人間の大切なものが何なのかは視認できなかった。黒い影に包まれていたような気もするが、あまり見えなかった。だが、どの方向に飛んで行ったかは分かる。
大切な指輪が右方向にぶっ飛んでいってしまった。
「お前達の大切にしているものをそれぞれ別方向に放擲した。罰則はこれで終わりだ。森の中に入るのが嫌なら、このまま帰ってもいい。ただし、今日中に帰ってこいよ。もしも帰ってこなかったら、捜索隊を派遣しなければならない。まあ、この森で一夜を過ごすってことは、死体回収するってことだろうから、あまり推薦はしないがな。危ないと思ったら、さっさと帰ってこい」
「くそっ! お前ええええええ!」
とりあえず、ぶん殴る。勝手に他人の心を覗いて、それからそいつの大切なものを投擲するなんて。そんな最悪なことをよく思いつくもんだ。
「待って! ヴァン」
「止めるな!」
ヴァンの大切なものだけじゃない。チギリとイリーブの大切なものまでどこかにいってしまったのだ。
「今は俺の相手をしている暇があるのか? 言い忘れていたが、あの影には時間制限を設けている。時がたてば影に閉じ込めたお前らの大切なものは、自動的に完全破壊されることになっている。だが、飛ばした影に辿りつこうにもここはお前の知っている通り、『バク』の巣窟だ。お前の大切にしているものを、影が壊す前に『バク』が壊してしまうかもしれないぞ?」
……そうだ。もしもあの指輪が。
あの人への唯一の手がかりが失われてしまったら、ここまで追いかけた意味がない。
生まれつき魔力のない家系に生まれた自分が、この学園にくれば針のむしろに苦しむことは分かっていた。それでも、あの人に追いつくためならば、そんなものは粗末なことだと割り切れた。そんな心の依代となっていた大切なものだ。
「くそっ!」
あれが壊れてしまったら、いったいどんな顔で詫びればいい。『バク』に見つかる前に探し出して、この手で再び掴んでみせる。
眼前のアムリタに叩き込みたい衝動を抑えると、猛然と森の奥底へと走った。
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