10 いっしょにおうちに帰ってくれる?

「えっ?」


 池の上空に、わたしはいた。


 いや、真下ましたに見えるのは池は池だけど、円山公園の上の池よりもずっと大きい。そのまわりの公園には緑が広がっていて、とてもとても大きくて、長方形のかたちをしていた。さらに、公園を囲むように、見たことがないくらい高いビルが敷きつめられていた。


 空気は、不思議なことにあたたかい。


 わたしと猫は、いつのまにかペンギンたちの背中から離れて、まるで鳥の羽根のように、ふわりふわりと下降していった。


「わたし、飛んでる?」


「落ちているから飛んではいないよね。浮かんでいる、のほうが近いかも」


 三羽のペンギンも、回転したり、羽を広げたりしながら高度をさげていった。


 大きな池にはまり込んでしまわないように、少しずつ岸のほうへと角度を整えながら下降していき――


「池の上から離れるときは気をつけてね」


「気をつけるって、どう――」


 ふわりふわりと浮いていたわたしの体は、池から岸の上へと移った瞬間、急に落下してしまう。なんとか降り立ったわたしの両足は、体を支えきれずに前のめりになって、芝生しばふのうえに転んでしまった。


 そのままでんぐり返しをして、足を投げ出して身体を起こす。その横を、いつのまにかマフラーから抜け出した猫と、ペンギンたちが上手に着地していた。


 ――って、暑い。


 わたしは慌ててマフラーとコートを脱いだ。それでも、服のなかが汗ばんでしまう。


 まわりにいる大量のペンギンたちは、列を作ってひたひたと歩きだした。


「あっ……ありがとう」


 わたしがそう言うと、ペンギンたちはこちらに振り返り、「くぅえー」とか、羽を振ったりとかしてくれた。


 この世界が、向こうの世界。鏡の国。


 この世界にゼニガメがいる。


「ゼニガメは、どこにいるの?」


「あ、そうだった」


 白猫は前足を組んで頭をひねったあと「あの林のほうに行こうか」と前足で行き先を指した。



 白猫とわたしは、見知らぬ大きな公園の、林のほうへと歩いていく。


 この世界は、季節も春から夏に差しかかるような彩りで、とてもあざやかだった。けれど、どこか、時間が止まってしまったかのような、そんな気がした。


 なんでそんなことを感じたんだろう。わたしたち以外に、音を発するものが無いから、かな?


 途中、人のかたちをした、幽霊ゆうれいみたいなものと何度かすれ違った。彼らからも音は聞こえなかった。ちょっと怖かったけど、白猫の言うには「君たちの世界で、ぼくらが見えないのと同じことだよ」と説明していた。


 よくわからないけど、それってやっぱり、この世界は、わたしのいた世界が鏡のようになっている空間ってことなのかな?


 白猫はすずめや、通りがかりの猫と話をしていた。



 しばらく歩いたさきの小さな池に、見覚えのあるカメがのんびり泳いでいた。


「ゼニガメ!」


 間違いない。わたしのゼニガメだ。


 ゼニガメは、わたしに気づくと、すいすいと泳いで足もとにきた。


 わたしはうれしくて、おもわず抱きかかえそうになったけど、心のなかの、やっぱり、どこかぬぐいきれない不安のようなものが湧き上がってしまい、カメに触れる寸前で手をひっこめてしまった。


「……ゼニガメ、いっしょにおうちに帰ってくれる?」


 わたしは、おそるおそる訊いてみた。


 横にいた白猫が、ゼニガメににゃあにゃあ話しかける。ゼニガメはわたしには聞こえないけど、なにかを話すように、ぱくぱく口を動かした。


「帰りたいけど、玄関は寒いから暖かくなるまでこっちにいたい、だって」


「えっ?」


 そんなことで、家出したの?


 と、思ってみたけれど、よくよく考えれば大きな問題だ。飼いだしたのは去年の夏だったから気にもとめていなかったけれど、ゼニガメにとっては、わが家ではじめて冬を越すのだ。越冬えっとう対策たいさくまで気が回らないまま玄関に放置してしまうのは、彼にとって一大事だったにちがいない。


 あれ? カメは、は虫類ちゅうるいだから、寒かったら冬眠するはずだけど――


「そうそう、カメくんは冬眠したくないみたいだよ」


「……あああ、そうだったんだ」


 それは、申し訳ないことをしてしまった。


「ごめんね、ゼニガメ。水槽、暖かい部屋に移すから戻ってきてくれる?」


 ゼニガメはわたしを見上げたあと、また口をぱくぱくさせた。


「それなら帰る、だって」


 白猫はそこで「あっ」と声を上げると、ゼニガメといっしょにうしろを振り返った。


 二人のさきには、ひとまわり小さいゼニガメがいて、こちらへすいすい泳いできた。


 ゼニガメが、わたしに向き返ってぱくぱく言う。


「友達のゴルバチョフだって」


「ゴルバチョフ?」


「ゴルバチョフもいっしょに連れていってもいい? って」


 ゼニガメとゴルバチョフ……。わたしは友達が増えるのはかまわないけれど。


「ゴルバチョフを、わたしの世界に連れ帰ってもいいの?」


「大丈夫だと思うよ。最初はきみ以外には見えないだろうけど、馴染なじめばしだいにほかのみんなにも見えるようになるし」


 そうなんだ。うーん、けど、そんなにあっさり連れていっていいのかなあ。


「……ゴルバチョフ、いっしょにくる?」


 ゴルバチョフは、一度ゼニガメを見たあと口を動かした。


「ゴルビーって呼んで、だって。いっしょに行きたいらしいよ」


「わかった、ゴルビー。連れていくね」


 わたしは、こうしてゼニガメとゴルビーを連れ帰ることにした。二匹は、家に戻るまで、わたしのリュックのなかに入ってもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る