第2話.First Xmas
メス、モノポーラ……。
機器の音、心電図モニターの小気味よい患者の鼓動の反応音。
「
助手の一人が呟くように言う。
「君たちの時代ではもうこんなことはしないんだろう」
「ええ、直接人体にメスを入れることなんか、もう無くなりましたからね。よっぽどのことがない限りこんなことはしませんよ」
「だろうな」マスク越しに苦笑する。
だが今はその特例の症例だ。
人体にメスを入れるオペは、今やもう時代遅れとなっている。
新人の研修医さえも、メスの握り方など教わることもない時代だ。
「よく見ておけ、俺たちの時代はこうして人の体を切り刻み、命を救い繋いできたんだ」
一人の医師が流れ出す流血を見ながら気分を悪くした。
「先生、すみません。」そういうなり、口を押えオペ室から立ち去った。
「やれやれ、医学が進歩するのも考え物だな」
そう言いながらも俺の手は動きを止めない。
術野を広げ患部があらわになると一人の助手が「おおっ」と声を上げた。
「初めてですよ、生で人の体内をこの目にすのは。動いているんですね。それに臓器が綺麗だ」
「君からそんな言葉が出ると思ってもいなかったよ。そうだ、生きているんだ。臓器が生きているからこの患者は死んではいない、生きている。その生きる力を僕らは幾度となく繋いできた。こうして、直接患者の体内に触れ、感じ、読み取ってきたんだ」
「光栄です。あの矢代先生と共に、こんなにも貴重な体験をさせていただいているなんて、感慨無量です」
「おいおい、そこまで言われると、いささか照れるじゃないか」
「そんなことはありません。ご無理を言って時を超えていただいたんですから」
「ふぅ、そうだな。長かったよ。こうして彼女にまた出会うことが出来るなんて思いもしなかったからな」
俺は
だがこの時代の人間ではない。それを言うのなら俺はこの時代の、この世界の人類ではないというのが正しいだろう。
俺はある日を境に自分のいた世界を捨てた。
そう、すべてを俺は捨て去って今、ここにいる。それは彼女にまた出会うために、もう一度俺のこの腕の中で彼女を抱きしめてあげたかったからだ。
彼女は、……俺と唯一血の繋がった妹だ。
妹だった、というのが今は正しいだろう。
二千十八年、十二月の二十四日。彼女は突如その消息を絶った。
俺に残されたのは小さな水晶のペンダント。彼女がいつも大切に身に着けていたペンダントだった。
一年がたち二年が経った。依然妹の消息は不明のまま、月日は流れ五年もの歳月がすでに過ぎ去っていた。
当時、某大学病院の外科医局に属していた俺に届いた、警察からの無常ともいえる通知。
五年の経過による妹の身元捜査の打ち切りの通知だった。
毎日オペと症例の論文の作成に、時間の合間を縫っては妹の消息を追っていた日々。
その日々に、終止符を打ち突かれたのだ。
それはもうすでに妹は、この世に存在しないということを意味していた。
受けいることの出来ない俺はそれでも、一人で妹の消息を探し回った。正直、絶望感しかなかった。
もう限界だった。
身も心も、ズタズタと切り裂かれているような。
まるで自分で自分の体にメスを入れているような、耐えようもない苦痛が日々俺を襲う。
そんな年の十二月の二十四日。俺は不思議な体験をする。
小雪の降る中、街にあふれだすイルミネーションの輝きが、俺の心を悲しみへといざなう。
行き交う人々はみな幸せな、暖かい心の想いを持ち、その想いを互いに分かち合うのが伝わる聖夜の夜だった。
その日も俺はこの街の中を一人妹を探し、さまよっていた。
ふと、教会のある海辺の小さな公園にたどり着いた。
教会からは、懐かしい思い出深い曲が、かすかに聴こえていた。
「カノン」
親父たちがまだ生きていたころ、よくこの曲を訊いていたのを覚えている。
ヨハン・パッヘルベル。バロック期のドイツの作曲家が生み出したこの曲。親父は古びたレコードでこの曲を何度も聴いていた。
途中針が飛んでノイズが入る場所さえも記憶にあるくらいだ。
俺がまだ医学生だったころ、親父たちは不慮の事故に遭い、夫婦そろってこの世を去った。
苦しくも、俺たち二人はともに手を取り、この世の中を乗り越えて生きてきた。
たった二人だけの兄妹。この世に存在する二人だけの兄妹で生き抜いてきた。
その妹が突如姿を消し去った。そして、消息不明のまま俺は一人っきりで生きてきた。いや、生かされていたんだろう。
コートのポケットに忍ばせていたペンダントが淡い光を放つ。
その光は暖かく、そしてとても懐かしい光。
こみあげる想いがあふれ出す。その俺の前に現れた一人の女性。
似ていた。
彼女に。妹に……
その女性は、俺の愛する人に……似ていた。
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