第17話 親友

 ソフトの紅白戦は、思いのほか盛り上がりを見せた。

 9回裏に1点差の5―6。

 ツーアウト、ランナーなし。

 ドラマチックな展開に、クラスの男子は誰もが熱狂していた。ちょっと離れたところでは男子チームとは別の女子チームが紅白戦をやっているが、こっちに比べれば地味そのものだ。

 こっちはこっちで、男子だけのむさくるしいながらも、胸が熱くなるような試合展開を楽しんでいる。だけど、このままではこちらのチームはジリ貧。

 これでもう終わりかと思われたが、

「よし! ……完全に見切ってやったぜ、小梶」

 ボール球を見送ったニワトリが出塁する。

 得意そうな顔だが、球速にビビッてバットを振れなかったようにしか見えなかった。

「ああ、そうだな……」

 小梶はピッチャーマウンドの土を踏み均して、平然としている。

 思えば、この試合中ずっと、小梶は手を抜いたピッチングをやっていて。無表情のままの投球で楽しくなさそうだった。まあ、パワーバランスを考えれば、ここで本気になってもらっても困惑するだけだろうけどな。

「小梶!」

 緑色の網から取ったソフトボールを、山なりに小梶へ送球する。

「……ああ」

 ほとんどこっちを見ずに捕球すると、

「……なあ、準一。……そういえば、お前、勉強進んでるのか? 最近、お前から勉強のべの字も聞かねぇーから、気になってんだけどな」

「……なんだよ、いきなり」

 俺はサイズが大きめのヘルメットを被り、打席に立つ。グラグラしながら、パーマがかった髪が凹むので、変な寝癖みたいなものができそうだ。

 俺はバットを構えて、小梶が投げてくるのを待った。肩の力を抜いて、ミートの瞬間だけ力が込められように。

 それでも小梶は構えようとしないので、

「やってるよ。……だけど、宿題多くてあんまり手が出せてないんだよ」

 肩にバットを置きながら、仕方なく打ち明ける。言い出しづらかったのは、なんだか小梶が説教くさく言い募ってくると思ったから。

 小梶はとくに表情の変化を見せずに、グローブに目を向けている。パカパカ開いたり閉じたりして、ボールを何度も出し入れして、硬さを確かめているようだ。

 人差し指だけグラブから出していて、よく突き指しないなあとか思っていると、

「……お前、綾城と何かあったんじゃねぇーのか?」

「だから、なんにもないって言ってるだろ。だから、お前だって知っている通り、俺は……あの人のことが……」

 だああ。な、なんでこんなことを、人前で言わないといけないんだ。

 そのぐらい、親友なら空気を読んで欲しいんだけどな。

 あー。ニワトリが一塁で、なんだその話!? もっと俺に聞かせろよおと、興味津々に騒いでいるのがウザイ。

「そう……だな」

 言い終わると、小梶はゆっくりと振りかぶった。

 なんだよ、なにか言いたことでもあるのかよ、と胸中で愚痴っていたが、思わず目を疑った。

 ……小梶は腕を首の後ろに持っていき、そして――

「――え?」

 空間そのものを切り裂くような衝撃音。

 強烈な回転を伴って向かってくるボールが、ストライクゾーンのド真ん中を通過する。あまりの速度に、俺はバットを振ることすらできない。

 バァン! と、ボールを自動的にキャッチする網に衝突する音が、俺の鼓膜をふるわす。瞬き一回と同じぐらいの速度で感じた、小梶の投げ込んできたボール。

 あまりの球威に、シュルシュルと衝撃の反動で網の中から転がりでてきた球を、俺は軽く怒鳴りながら小梶に返球する。

「おい……どういうことだよ!」

 オーバースローで、しかも完全に本気で投げてきた。

 あの速さだと、当たり所によっては痛いじゃすまないレベルだろ。

「……べつに。このぐらいの余興いいんじゃねぇーのか」

 確かにクラスメイト達は興奮しているが。

 こいつの球の最高速度は、140キロ級。

 いくらソフトボールを使っていても、速いものは速い。

「なあ、準一。お前の夢ってなんだ?」

「はあ。そ、そんなもん――」

 言えるわけないだろうと、言い終わる前に、小梶が投球モーションに入る。それはもう一度全力で投げてくるオーバースロー。クイックではなく、あえてのゆっくりの動きに力強さを込められているのがわかる。

 試合だったら盗塁され放題の遅さで、俺がもしもキャッチャーだったら絶対にタイムをとって注意するような……そんな投げ方。 

「……言えないのか。だったらそれは――」

 銃口から撃たれた弾のような、迫力のあるボール。

 ガッ、となんとかチップするが、ボールの芯には微かに食っただけ。

 その上当たり所が悪かったせいか、そのままガッと凄まじい勢いで、後ろの金属ネットの端にぶち当たり。グラウンドに鈍い音を響かせた。

 カラン、カランと思わず金属バットを落とす。

「――夢なんかじゃねぇよ」

 痺れた手を開いたり閉じたりしながら、感覚を取り戻す。

「なんだよ。いったい何がいいたいんだよ。……お前は」

 苛立ちにまかせ、拾ったボールを叩きつけるように投げるが、動じずにグローブに収める。まるでどんな悪球でも涼しいカオでとれるような、その捕球。並大抵ではない、守備練習量が伺えた。

「そうやって、へらへら笑って、自分の夢を語ることすらできてねぇ。それが――夢? 笑い話にすらならねぇだろうが。……本気で何かをやっている人間にとって、そんな妄想、耳ざわりでしかねぇんだよ」

 もういい、頭にきた。

 なんでそんなに俺の悪口を言いたいのかわからない。

 だけど、いい加減黙ってるだけじゃ、ささくれだったこの胸の処理がおいつかない。

「べつに……そんなの俺の勝手だろ。お前にいちいち言われなくたって分かってるよ、そんなこと。だけど、お前にはわからないかもしれないけど……俺だって、俺なりに頑張ってんだよ!」

 ああ、たしかに俺は勉強をそれ程までやってこなかったのかもしれない。

 でもそれは、俺が馬鹿だから。

 どれだけやっても、結果が見えてこないから、やる気なんてでるわけがない。それは、小梶みたいな人間に言っても一生分からないことだろう。

 成功ばかりしている人間だからこそ、努力ができるんだ。失敗しかしていない人間が、何かに取り組もうだなんて思えるはずもない。

 努力しろだなんて言葉は、なにかを掴んだことのある特権階級の人間のセリフ。俺みたいにこうやって、なにもしていない奴には、一生いえないセリフなんだ。

 でも、それでもやったんだ。

 ……夢を、諦めきれないから。

 学年次席の御島があれだけ懸命にやってるのを見て、ああそんなに頑張ってるんだって知って。焦って、買ったばかりの問題集も一冊やり終えたんだ。

 全然勉強してこなかった、俺にとってはそれが奇跡に近い事で。それが、もしかしたら秀才にとっては当たり前のことであっても。

 それが、天才にとっては朝飯前のことだったとしても。馬鹿な俺が時間が死ぬほどかけてやった、達成感のあることだったんだ。

 御島をみて、ああ、あんなに頭がいいやつがこれだけ努力しているなら、俺がどれだけやったって才能あるやつには、一生追いつけないんだろうな……って。

 そんな厳然たる現実の壁にぶつかったっても。

 それでも、俺は――。

「頑張ってる? 実らない頑張りなんて、頑張りとは言わねぇんだよ。……それに、『夢』って言葉を、自分が努力できない言い訳に使うんじゃねぇ」

 うるせえよ。

 なんだよ、俺みたいな奴が夢を見ちゃいけないのかよ。

 どうせ俺なんて薄っぺらいよ。夢だって安っぽいのかもしれない。いつだって口先だけだよ。

 でも、それでも、俺は頑張りたいんだよ。

 だって。

 ――こんな俺を、笑わないでいてくれた人がいたんだ。

 きっかけは、ただの気まぐれだった。

 適当に口から出た大嘘。

 それは他人からしたら、客観的に観たらとてもとてもくだらない、ガラクタのようなものだろうな。

 でも、それでも。

 今までの自分を変えたいって思うのは、変わりたいって立ち上がるのは、そんなにダメなことなのかよ。

 俺はがむしゃらにバットを振って、そして、


「何もかも中途半端なお前が、叶えられる夢なんてねぇんだよ」

 

 最期のボールには、かすることすらできなかった。

 ――三振。

 小梶は、寸分たがわず、精密機械のようにずっと同じコースに投げていたのに。

 同情で、手加減して投げられていたボールを、俺は……。

「……これが、一度夢をあきらめた人間と、あきらめなかった人間の違いってやつだ――」

 溜息とともに、小梶はこちらを悠然と歩いてきて。俺の横を通り過ぎる際に、そう言い残して立ち去った。

 ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴って、体育の授業が終わりを告げる。俺たちの口論を観ていた男子は、我関せずといった態度をとって、そそくさと校舎内に入っていく。ニワトリだけが何か俺に声をかけてきたような気がするが、それも気のせいだったのかもしれない。

 今では、もうたった一人でグラウンドに立っていた。

 ごちゃごちゃになった感情が頭の中で渦巻きながら、俺は泣きそうになりながら、

「……なんだよ、それ」

 ――夢をあきらめなかった? 

 お前、もしかしてまだあの時の俺の言った言葉を忘れてないのかよ。

 なんだよ、なんで……。

 お前は俺と違ってセンスの塊なんだから。俺と違って才能があるんだから。

 だから、昔の俺の大ボラなんて、鵜呑みにしなくていいだろ。俺みたいなやつのことは放っておけばいいだろ。

 それなのに、まだお前は……まだあの時の俺の夢を、覚えていたんだな……。

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