第23話 偽悪な教室!(下)


「あなた、この私の授業を一度中断させて、しかも隣の生徒とは私語をして、挙句の果てに『わからない?』ですって? なんなのそれはっ!!」

 覇気の籠った一喝に、びくんと白鷺さんは体を強張らせる。

 教室にも、緊張の孕んだ静寂が訪れる。

 みんながみんな恐々と二人に注目する。

 それから永遠と思えるような、日頃溜まっている憂さ晴らしような、説教がくどくどと続いていく。

 明らかに白鷺さんが質問に答えられなかった問題とは、無関係に思えることを引き合いに出してきたり、さっき言ったであろう事柄も、思い出したかのように繰り返す。

 何度も、何度も。

「このDクラスと、他のクラスとを比較した、授業態度の悪さは最早、治しようのない病のようだ」

 とか、

「輪を乱すような行為は、今度開催される球技大会で、どうせ散々な結果を残しますよ」

 とか、それはもう盛りだくさんの苦言。徐々に荒々しくなる先生の言い回しに呼応するかのように、クラスの粛然としていた空気が、悪い意味で緩和していく。

「だっさー、めっちゃ怒られてる」

「つーか、超ウザくね? あの教師」

「ウケる、あの必死さ加減が、私的にマジウケる」

 この学園に入学して、気が付いたことが一つ。

 全員とは言わないが、このクラスのほとんどは、人の誹謗中傷を生きがいとしているようだ。

 女子だけの学園。

 少なからず女子校というものに幻想を抱いていたのだが、どうやら男子がいなければ、猫を被る必要がないようだ。女子ばかりだと、歯止めが効かない無法地帯となる。

「もう戻りなさい」

 先生は溜まりに溜まった鬱憤を全て吐き出し、心なしか満足そうだ。白鷺さんにようやく席に着くことを許した頃には、彼女の瞳にうっすらと透明な膜が張っていた。それでも涙を見せまいと、鬱血しそうなぐらい、唇を強く噛みしめながら耐え忍んでいた。そんな彼女の気丈な姿を見て、僕のほうが先に参りそうだった。

 彼女の悲痛そうな顔を見続けることは困難で、僕は顔を逸らした。

 どうして、この子はこんなに頑張り屋なのだろうか。

 どうして、僕はなにもできなのだろうか。

 震える拳を握り締める。

 胸にこみ上げてくるのは、言葉にしようのない、強靭な想い。

「それじゃあ、この問題の解答を私が……」

 先生が怪訝そうな顔で、チョークを持つ手を止める。

 教室中の人間が息を呑む気配がする。

「――どうしましたか? 秋山さん。私は挙手しろと言った覚えはありませんよ」

 いつの間にか、僕の手は真っすぐと、天にまで届きそうなぐらい伸びていた。

「僕に、その問題を解かせてください」

 強制力を持った、是非を問わない凛とした声音。

「わ、分かりました。早くやりなさい」

 眉根を寄せながらも、先生は僕に問題を解かせることを急かす。どうでもいいから、さっさと授業のノルマをこなしたいだけなのだろう。これ以上授業の進行が遅れたら、その分どこからか苦情がくる。

 そう。自分の保身のために、先生は僕との衝突を無意識に避けた。

「……もみじ……さん……?」

 立ち上がりそうだった白鷺さんを、目線で大丈夫だと制し、壇上へと向かう。

 水を打ったような静けさが居心地悪い。

 干上がった喉を少しでも潤すために、唾を飲み込む。

 いつもは余裕尺者な寮長さんは、珍しく目を丸くしながらこちらを見やる。

 僕はふーと空気を吸い込み、落ち着いて息を吐く。

 そして。

 カッ、カッ、カッと小気味いい、リズムカルなチョークの音を響き渡らせながら、逡巡も淀みもなく解答を打ち出す。

 胸を張りながら、睨むように担任教師を見ると、少しばかり青ざめているように見える。

「……正解です。その調子で、もっと勉強に励みなさい……」

 それだけで、僕が済ますわけがない。

「先生、この問題って、まだ習う予定にないところですよね」

 ざわっと、教室がにわかにどよめきだす。

 憎々しげに顔を歪める先生の鬼気迫る目線を、なるべく涼しげに受け流す。

 どうすればこの人に、もっとも効果的な意趣返しができるか。

 それだけが僕の思考を支配していた。

 なぜなら、あまりにフェアじゃない。

 高校入学前に、英語の単語帳と、文法の問題集を完全に予習していたからこそ、僕はこの問題が解けた。けれど、この問題を見たばかりの、他の人間には無理だ。白鷺さんは勿論、このクラスのほとんどの人間が解けるはずはない問題。

 さっきまで淡々と講義していた授業とは全く毛色が異なる、難解な問題だ。

 それを英語教師のこの人が、わからないはずがない。

 明らかに悪意がこもっている。

 それから僕は、黒板に書かれている英文のスペルミスを何箇所か指摘し、ネイティブ・アメリカンとは発音が遠く及ばないことを説き、仕舞には授業構成の甘さを明言した。

 先生の苦し紛れの反撃にも冷静に対応し、独断と偏見、それから正論で打ち返していると段々と先生の顔から表情がなくなっていく。

 ……あれ? もしかして、やりすぎたかな?

 今まで蓋をしてたフラストレーションが、一気に噴き出したかのように、もう自分の意思では止めることができなかった。

 クラスの人たちは全員が唖然としながら、僕に引いているのがわかる。

 授業終了のチャイムが鳴ると、先生は捨て台詞を吐いて、逃げるように教室から退散した。

「それでは、これで授業を終わります。秋月さんは放課後、私のところに来なさい」

 ぴしゃりと、ドアが閉められたあとも教室には静けさが付きまとっていた。

 小動物のように縮こまりながらも、唯一、白鷺さんだけが僕に話しかけてくれた。

「申し訳ありません、もみじさ――」

「えっ、なにが?」

「……いや、だから私の――」

「だから、なにが?」

「……えっ、でも――」

「あの先生のふてぶてしい態度に腹が立った。……ただそれだけですよ」

 白鷺さんが何か反論する前に、どかっと座席に居丈高にふんぞり返る。

 次の授業の教科書をとりだし、勉強体制。それは、もう話しかけてこないで欲しいという、無言の拒絶態度。

 何度か声をかけようとするが、結局なにもかけずに、自分の席に座りなおす白鷺さんに、僕は内心で謝罪する。

 ごめん、白鷺さん。

 でも、この事件は、僕が白鷺さんに話しかけてしまって、引き起こした事件だ。

 それに、もしかしたらあの担任教師が異常なほどに厳しいのは、僕を挑発するためもあるかもしれない。始業式でサボった時から、僕はあの担任教師も含め、先生方一同からは目をつけられているらしい。

 それを学園長が、「あの生徒は特別だから、何も手を出すな」と勅令をだしたらしい。

 学園長曰く「これで安心ね!」ということらしいが。

 余・計・な・御・世・話・だ。

 そんなことを言えば、学園長とどんな関係なのかを訝る人間もいるだろうし、逆上して僕に試練を与えるような人間も出てくるだろうに。

 あの担任教師は直接僕を責めることができないと知るや、攻撃の方向を変えた。外堀を埋めるために、僕と親しい白鷺さんに攻撃を仕替けて、僕を怒らせるようにわざとらしい芝居をうったんだ。

 まあ、まんまと僕は安い喧嘩を買ってしまったのだが……。



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