高校生編~Bパート~

第21話 カオスな教室!

 高級感溢れる長い廊下を突き進む。

 毎日丁寧にワックス掛けしている賜物なのか、自分の靴底が擦れる音が、いい感じに響き渡る。

 利き手にはクラス分けと、これからの年間予定表の二枚のプリントを持っていて、少しばかり震えている。

 今日からとうとう、僕の高校生活が本格始動する。

 ……うっ、落ち着け僕。

 微かな緊張を解す為に、周りに聞こえないようにそっと、深呼吸。それにしても、なんだか嫌な予感が胸中で蠢く。

 僕が編入することが決定したこのDクラスだけが、甲高い声でざわめいているからかも知れない。小規模な雑音は、まるでアイドルのコンサートのように色めきだっている。

 他のクラスは、新しきクラスに早く馴染もうとしながらも、新たな門出の緊張感からか、中等部からの知り合いであっても話せないような雰囲気を感じ取られた。

 特に、Aクラスは真面目さが際立っており、寡黙なままカリカリとシャーペンを動かし、机に噛り付いていた。あそこまで統率された動きをされると、かえって不気味だ。

 まるで別世界にも思えるドアを、ガラリと開く。

 すると教室の中にいた、全ての人間の視線が僕に集まる。まあ、入室して何秒間は注目が集まるのは当然かな。集団は新たな闖入者に飽きて、即座に談笑に舞い戻る。……と思っていたのだけれど、どうも違う。

 シン、とした痛々しいまでの沈黙が解除されると、弱弱しい囁きがぽつぽつ離れている固まりの中から、生まれ始める。

「なんであの人がDクラスに? 最成績優秀者なら、αクラスじゃないの?」

「きれ……い……。このクラスに入って、初めて良かったと思ったわ」

「噂によると、堂々と始業式をサボったらしいわよ。しかもあの不良と仲がいいらしいわ」

「でも、凄いわよね。あの方と綾城様。綺麗所が揃い踏みよ」

 綾城様……?

「うわっ!」

 側面から、しなやかな腕に絡め捕られる。

 その瞬間、「きゃあああ」とどこらかしこで、嬉しそうな明るい悲鳴が湧き上がる。

「もみじちゃんと同じクラスになれるなんて思ってなかったわ。あー、普段から問題を起こす問題児でよかった」

 寮長さんが僕の腰骨あたりを愛撫するかのように、触れてきたので、冷静に打ち払う。

「……問題児ってなんのことですか?」

 おっ、と両眉を上げて、へえ、と寮長さんは瞳の色を変える。

「どうしたの、もみじちゃん? 寮でただあたふたしていた人間と、同一人物とは思えないわね。もしかして、外弁慶なの?」

「いいえ。ただ、寮長さんがちょっかいをだして、僕があわてるのを見るのが好きなだけだということが、この前の件でよく分かりましたから」

「ちょっかいだしちゃ、だめなの?」

「少なくとも、僕は寮長さんに慣れましたよ」

「ふーん、じゃあもっと私とイケナイことしてみる?」

 そういうと、周りから溜息があがる。みんな、抗えないフェロモンに当てられているのだろう。この人の言い方から冗談だというのは分かるのだが、本心では、どうしても男としての理性のタガが外れそうになる。

 虚勢でなんとか自分を騙しているだけだ。

 この感じだと、クラスの人達も花の色香にふらふらと誘われて、罠にかかっている昆虫のようだ。甘美な匂いに引きずり込まれ、以前の僕のように頭から抜け落ちたのかもしれない。きれいな花ほど、棘という落とし穴があるということを。

「綾城先輩、もうよろしいのではないでしょうか? もうそろそろHRが始まるので、座ったほうがよろしいと思います」

 鞄を両手で持ちながら、ふわりとスカートをはためかせながら、一輪の花のように佇むのは白鷺嬢。完璧なる笑顔は、まるで城の塀。目尻が動いていないせいで、高く聳える鉄壁が幻視される。

 な、なにをそんなに怒っているのでしょうか白鷺さんは……。

 もしかして低血圧で、朝が苦手なタイプな人なのかな。

「あ、ら、ら?」と、コーヒーに砂糖をかき混ぜるスプーンのように、指をくるくる回す寮長さん。

「珍しいわね、あなたが私に突っかかってくるなんて。もしかして、ようやく私の愛人候補になってくれたの?」

「いいえ。綾城先輩のように不特定多数の人と関係を持てるほど、私は器用ではないので」

 なぜか険のある口調で寮長さんを牽制しながら、僕のほうを横目で、ちらちら何かを望んでいるかのように見てくる。

 僕に何を期待しているのだろうか。

 レディ、ファイ!!

 と、レフェリーさながら試合開始のゴングを鳴らせという、白鷺さんの無言の合図なのだろうか? いやいや、それは流石にないだろう。

 それとも、猛然と攻めてくる寮長さんという危機から回避したいが為に、アイコンタクトで助けを求めているのだろうか。あのですね、と寮長さんに話しかける前に、本人に喋られてしまった。

「そういえば、もみじちゃんはどうして始業式にこなかったの? 会場は騒然としてたわよ」

「そうですよ、もみじさん。私もそれ聞きたかったです」

 矛先が自分に向き、傍観者から舞台に引きずり込まれる。客観的に物事を思慮していた為、突如振ってきた疑問に対して、どう返答していいのかつんのめる。

「えっ……と……」

 どうしよう、誰か助けてほしい。

 誰かが助け舟を出してくれないかと、都合のいいことが起きないかと待ってみるが、返ってきたのは好奇の視線。

 ど、どうしようと白鷺さんに微笑みかけるが、

「きっと教えてくださいますよね、もみじさん。実はあの日、もみじさんのこと結構探したんですよ、私」

 ぐはぁ、と心の中で吐血する。

 孤立無援の援軍なし。しかも、味方かと思われた人には、背中からさくっとナイフで追撃された。挟み撃ちにされた僕は、小走りで魔の手から逃れる。

「僕の席、どこかな~?」

 三十六計逃げるに如かず。

 多少嘘っぽい口調になってしまったのは、最早言うまでもない。

「どこに行く気なのかな、もみじちゃん?」

「私からは逃げられませんよ」

 がしっと、両腕をしっかりホールドされる。背後からは強烈なプレッシャー。というか、ヤンデレのような言い方に、ちょっとだけ腕が粟立つ。あはは、とどうにか笑ってその場をやり過ごそうとしても、一切無駄。二人にはそんな小細工通じない。

 万事休すとばかりに、頬をひくつかせていると、半開きだった扉が完全に開かれる。ガラガラとわざとらしく大きな音を立てているのは、威嚇という名の自己主張。

「はい、みなさん席について」

 いかにも真面目です! とばかりにきっちりと背筋を伸ばしながら、底の分厚い眼鏡を掛けて入ってきたのは、もう顔見知りの担任教師だった。

「あら? またあなたですか、秋月もみじさん。もうすぐHRですよ、早く席に着きなさい」

 大っぴらに、隠すつもりもない苛立ちを孕んだ瞳。見下ろすように睨み付けてくる表情は、日頃し慣れているいるのか、サマになっている。

 タイミリーな話題となったが、始業式に出席しなかったことを鬼のように怒られた先生だ。ファーストコンタクトで、固い先生だとは思っていたが、その見立ては間違っていなかったみたいだ。

 僕は嘆息すると、異常に気が付く。

 さっきまで共犯者のように僕らと一緒に騒いでいたクラスのみんなは、優等生のように、みんなだんまり。みんながみんなが、示し合わせたかのように机に向かっている。両手に花状態であった、二つの花も同様だ。

 裏切りられて落ち込んだという感情より、手際のよさに感嘆してしまった。もしかして、こうやって繕うのは、この人たちにとっては日常茶飯事で、お手の物なのだろうか。

「さあ、早く!」と担任の教師に叱られるように促され、席に着いた。

 さらに教師に目を付けられる事態に陥ってしまい、僕は密かに肩を落とした。


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