第14話 逢瀬
もうすっかり春になった。川べりの桜並木も満開で、見事な景観を織りなしている。一つ季節が過ぎる間にも様々なことがあった。佐々木に色々と特訓をしてもらっていたのだ。
まずは目と目を合わせる練習。これは佐々木とは例のカフェでやっていたものだから、真冬にもかかわらず店長にアイスコーヒーをLサイズで差し入れられてしまった。職場では芳賀とバイトちゃんたちが練習台になってくれた。朝の挨拶から帰宅時のお疲れ様です、まで目を合わせて会話するようにすること、と。
最初は佐々木とやるようにはうまくいかなくて、ずっと目を直視されてるのが怖い、と言われたり適度に目線を外すようにしたら何度も見直されてるようで不安になってくるなどと言われたりした。目線を合わせること一つをとっても高度なコミュニケーションだ……としみじみ思ったものである。
しかしその特訓の成果もあり最近では自然と目を合わせ話ができるようになってきた。秋ごろ、佐々木と出会う前と比べたら随分な進歩だと思う。
できるようになってから気が付いたのだが、目と目を合わせて話をしてみるとなんと自然に笑みが出ることか。にこりと微笑みながら接客をするとお客さんも晴れ晴れとした顔をして帰って行ってくれるのが何より嬉しかった。またついでだが医薬品の売り上げも伸びて二重に嬉しい。
次に、自信を持つためのテストをした。佐々木たちに付き合って貰って、他人評価をかき集めて貰ったのだ。率直な意見で、嘘偽りなく書いてほしいと念押しをして入力してもらった。筆跡で誰が書いたのかわからないように、ワードのファイルを使って作成して入力してもらう念の入りっぷりだ。
そこには「評価できるところ」「もう少し努力が必要だと思うところ」「改善すべきところ」「魅力だと思っているところ」の四項目がある。藤木本人も含め、佐々木、猪端、芳賀、加島、歴の長く接点も多いバイト三人、総勢八人分のデータを集めたのだ。
結果として、それは惨憺たるものだった。他人評価と自己評価の落差の激しいことといったら。他人が「評価できるところ」に三項目挙げているなら藤木は一項目、「改善するべきところ」に他人が二項目挙げるなら藤木は六項目、といったところだ。それを可視化してデータとして提示することで自信をつけてもらおうというのは、佐々木の発案だった。
その目論見は見事的中し、データをすべて読み終えた藤木は「……嬉しい」と言って泣き出してしまったほどだった。藤木によるとそのデータは丁寧にファイルに挟んで保存してあるらしい。
これは佐々木が営業やっていて良かったと思う瞬間でもあった。外部の人間が突然の申し込みをするわけなのだから、店長をはじめバイトたちにプレゼンテーションをする必要があったのだ。そういうことなら仕事柄得意だ。営業をしていた甲斐があったというものだ。
最後に、残業をしないことを義務付けた。落ち着いて自分と向き合う時間を作ってやりたいという思いと、オンオフのつけ方が下手な藤木に強制的にスイッチの切り替えを促す目的もあるというのも佐々木の言だ。また制限時間が厳格化されることでバイトや先輩社員に仕事を振る必要性が出てくることも加味すれば、一粒で三度おいしい約束だった。
しかしそれも守られなければ意味がない。そこで佐々木は体を張った。雨の日も雪の日も、コートも羽織らず定時の時間に店舗前でただ待つようになったのだ。これは効果抜群だった。あの格好のまま寒空の下待たせるわけにはいかない。また流石に業務過多は店長の加島の配分ミスでもあるため、管理不行き届きを是正するためにも店長自ら藤木の仕事を手伝うようになったのだ。
このおかげで、藤木は定時に退社することができるようになっていった。過労が軽減され、楽しみなことに使える。心に余裕ができ、精神面にもいい影響を与えてくれた。
こんなに手を尽くし頭を使い助けてくれる佐々木に、感謝してもしきれない思いだった。人生をこのまま捧げてもいい、もうそう思ってしまうくらいには。
藤木はまどろみながら桜の花をみる。良い天気に、良い色づきのお花に、良い人がこれから来る。なんて素敵な日だろうか。今日はデートをしようと言って、駅の端にある小川の桜並木に集合と約束をしている。いつ来るかな。着くのが早すぎてしまったな。服装変じゃないかな。などとぼんやり考える。
するとその時、カシャ、とカメラの音が耳に届く。振り向くと佐々木がスマホを持って立っていた。
「……あんまりにも綺麗だったので、つい。」
お待たせしました、と微笑む。ふふ、と笑って、
「ありがとうございます。……でも、撮るなら一緒に撮りましょう?」
そう言って藤木は通行人にシャッターを押すのを頼みに行った。内にこもりがちだった彼女が、こんなにも明るくふるまっている。今なんて、通りすがりの人に笑顔で話しかけている。佐々木にはその変化がとんでもなく嬉しかった。
……溝木さん、あなたのおかげだな。
そう川を流れゆく桜の花びらを見て思う。あの人にはこうして差し伸べられる手はなかった。包み込む腕も、合わせる目も。自分も含めてそれをしようとしなかったのだ。そう思うと切ない思いがこみ上げる。しかしあの人がこの愛おしい人と合わせてくれたのだ、感謝せねばなるまい。ありがとう、今度は間違えなかったよ。ありがとう、こんなに愛する人と出会わせてくれて。感謝してもしきれないよ。
「景人さん、こっちですよ!」
彼女が手を振っている。
「今行きます、万桜さん」
こちらも答える。
どうやら傍にいるご夫婦が撮ってくれるらしい。暖かな陽だまりへ、歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます