武術家タロウ、異世界で冒険者になる

黒霧

第1話

「それでは本日最後の試合を行います!赤コーナー、タロウ!青コーナー、エゼル!」


 実況者に呼ばれた俺、タロウ(23歳)はリングに上がる。俺は格闘家をしていて、今日は年末に開催される格闘技大会に参加していた。リングを囲むように観客席があり、俺達、格闘家は見下ろされる形になっている。ちなみに実況者もリングの外にいる。


「それでは試合、始め!」


 始めの合図と同時にエゼルは俺に対して突っ込んでくる。そして俺の顔を狙って拳を打ってくる。

 おいおい、何のフェイントも無しか。

 俺は相手の攻撃に落胆しながら避けると、カウンター気味にエゼルの腹を殴る。エゼルはその攻撃を避ける事もせずに直撃して倒れた。気絶している。


「そこまで!勝者はタロウ!」


 実況者が言う。


「畜生!またタロウか!」

「いい加減に負けろよ!」


 観客からは俺に対してブーイングが起こる。歓声は無い。

 これはいつも通りだ。俺はデビューしてから負けた事がない。最初は勝ち続ける俺に対して歓声が鳴り止まない日はなかった。でもそれが何年も続くと、絶対に勝利する俺の試合に皆は興味を示さなくなり、逆に俺に対してブーイングをするようになった。皆、俺の敗北を望んでいる。


(少し寂しいな。格闘家として強くなる為に特訓し、強くなってきたのに、その強さが原因でブーイングを受けるようになるなんて…)


 俺はブーイングを浴びながらリングを下りると、一直線に自分の住むマンションの一室に帰った。


「はぁ…退屈だな。俺より強い人はいないのか」


 つい愚痴ってしまう。俺はあらゆる格闘技を修得し、さらに、あらゆる武術を学んだり、気功、心理学(目的は自分の動作や視線で相手の動きを操作する為)、経絡なども学んだ。そんな事をしていたら、俺より強い人に出会う事がなくなってしまった。

 俺は弱者を虐げる趣味はない。俺の願望は1つ。強者と闘う事だ。そして苦戦の末に勝利し、闘いの中でその強者の技術や心構えなどを盗む。そうして今よりも更に俺は強くなる。


「この世界に俺の居場所はないのかもしれないな………寝るか」


 俺は寝ようと思ってベッドに横になる。

 そろそろ引退するべきなんだろうな。明日、記者会見でもするか。

 そうして俺は眠りについた。


「…ここは、どこだ?」


 目覚めた俺は見知らぬ部屋にいた。天井から壁、床にいたるまで全てが木で造られている。窓は無く、ドアが1枚だけある。室内には箪笥が1棹あり、他には俺が寝ていたベッドしかない。

 誘拐された可能性は低い。なぜなら俺は、俺に対して悪意を持つ人が近付くと、寝ている時でも目覚めるようになっている。別に俺はロボットではないんだけど、気配で分かるようになった。その俺が目覚めていないんだからら、少なくとも、悪意のある人が近付いてきたわけではない。

 寝ている間に出歩いてきたわけでもないだろうし………俺はどうしたんだろうか?

 その時、部屋のドアが開かれ、若い女性が入ってきた。


「異世界にようこそ!」


 ドアを開けて中に入ってきた女性はドアを後ろ手に閉めながら、そう言った。しかし女性は俺を見るなり、自分の両手で顔を隠した。


「ど、どうして裸なんですか!?」


 女性の言葉で、態度の理由が分かった。俺は裸ではないが、下着しか身につけていなかったのだ。


「これが俺の寝る時の姿なんだ。悪いとは思うけど、ノックもしないで部屋に入ってきたキミにも責任があると思うぞ?」

「そ、それは…そうですね。すみません。とりあえず、服を着てくれませんか?」

「そうだな。…ああ、すまない。ここに俺の服は無いんだ」

「そこの箪笥を開けてください。中に、あなたに合った衣服が入っているはずです」

「俺に合った服が?」


 疑問に思いながら箪笥を開けると、そこには服やズボンが入っており、着てみると確かに俺にピッタリと合っていた。


「着たぞ」


 その言葉を聞いて女性は顔を隠していた両手を下ろして、俺を見る。


「それでは改めまして…異世界にようこそ!」


 気を取り直したのか、女性は部屋に入ってきた時と同じ言葉を言う。


「ここが異世界?俺の生まれ育った世界ではないという事か?」

「その通りです!すぐには信じられないかもしれませんが、外に出てもらえれば分かると思います。では行きましょう!」

「行くって、どこに?」

「ギルドです!」


 そう言って女性はドアを開ける。女性から悪意を感じなかった俺は、玄関にあった靴を履いて女性と共に部屋を出た。その靴のサイズも俺にピッタリと合っていた。


「ここが異世界…」


 室外に出た俺は、そう呟いた。

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