少女は春だった。
水硝子
春
彼女は突然、僕の前に現れた。
それは僕が、高校への入学式を一週間後に控えた朝だった。偶然目が覚めてしまった僕は、気晴らしにと家の前の公園へと向かっていた。桜の花は満開を通り過ぎたようで、時折吹く風によって、柔らかい色をした花びらを、ひらひらと空中に舞わせていた。
桃色の絨毯が敷かれた公園のベンチで桜の木を眺めていると、突如として視界に入る、真っ白のワンピースを着た少女。それがドアップで視界に入り込んで来たものだから、肩が大きく跳ねた。
「うばぁああああああああああ!?」
「ひゃっ!?」
僕の悲鳴に、その子も驚いたような声をあげる。ごめん、と言おうとした時にはもう遅かった。彼女と数メートルの隙間が生まれていた。
「いやっ……ごめん! 君がいきなり現れたから! びっくりして……!」
弁解を試みるが、どきまぎしてしまい上手く言葉にならない。身振り手振りでそのことを伝えようと必死になっていると、彼女は不思議そうに僕を見つめたあと、小さく楽しそうに笑った。
安堵のため息を零す。怖がられていないようでよかった。目の前の少女は楽しそうに、先程の僕の動きを真似していた。うん? 馬鹿にされているのか?
改めてベンチへと座り直すと、少女はててて、とこちらに駆けてきた。そして、僕の隣へと収まった。
「おにいさんは、春、好き?」
「え?」
薄い桃色の長い髪が揺れたと思えば、僕の方へと桜色の瞳が向いた。そりゃあ、君みたいな女の子にとってはうってつけの季節だと思うけど……って違う違う。
質問とは違う思考を振り払うように頭を振れば、僕は目を細めて小さく頷くことにした。
「うん。好きだよ」
「そっか! わたしもね、好きだよ!」
僕の挙動不審な行動はさほど気にも留めなかったようで、答えた言葉に彼女は嬉しそうに笑ってくれた。つられて僕の口角も上がる。
「おにいさんがね、はる、好きって言ってくれて、良かった!」
「え、なんで?」
「だって、嫌いだっていわれたら、ちょっと悲しい」
悲しそうに視線を落とす彼女。よっぽど春が好きなのかな。
柔らかそうな彼女の髪へと戸惑いながらも手を伸ばせば、優しく頭を撫でた。
「大丈夫。好きだよ」
「ならよかった」
ぱっと女の子に笑顔が戻る。うん。この子には笑顔がお似合いだな。
そして彼女はててて、とまた駆けだした。何かと思えば、先程の数メートル離れたところで足を止め、大きな大きな桜の木を見つめていた。
心配になった僕は、ベンチから立ち上がり、彼女の方へ寄ろうとする。
刹那、先程起こった風よりもさらに強い風が吹き、桃色の絨毯も空へと舞う。砂埃も舞う。
閉じる視界の端に映ったのは、嬉しそうに笑う、少女の姿だった。
砂埃が収まってきたところで、僕はゆっくりと目を開けた。その拍子に小さな風が吹き、服についていた砂が目の中に入る。
「うわっ……」
目を擦りながらも、ぱちぱちと瞬きをして砂を追い出す。酷い目にあった。もう少し目を閉じておけば良かったかな。
顔をあげ、今度こそしっかりと目を開ける。そこにはもう、桃色の絨毯はなかった。そして、少女の姿も。
「…………」
夢、だったのだろうか? もしかして僕は今の数分間寝ていた? そう言われれば何となくそういう感じがしてくる。
だが、少女の柔らかい髪の感触は、確かに夢ではなかった。そこには温かさが存在していたのだから。
自分の手を見つめ、握ったり開いたりしてみる。……まぁ、確認するすべはないんだけど。
急に当たりが真っ白になり、目を細める。いつの間にか太陽の明かりが差し込み始めていた。そろそろ朝ごはんだと母さんに呼ばれる時間だなぁ。
後ろ髪を引かれる思いで、僕はその公園をあとにした。
途中、女の子の笑い声が、耳をかすめたような気がした。
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